24 王女の微笑み
晩餐会からひと月が経った。あの事件で第四王子に毒を盛ったサミュエルは留置され、まもなく裁判が行われる。極刑を免れることは難しいだろう。かつて婚約者だった人がこんな末路を辿るとは思いも寄らなかったが、クレート公爵家に頼りきっていたサミュエルには、自分で生き抜く力がなかったのだろう。
また、ルアンにも厳しい罰が与えられ、王位継承権を剥奪された。
更に、王国騎士団にも影響が及んだ。事件前にルアンと副団長キールが接触していたことが告発され、キールはルアンの計画を知りつつも子どもの戯言だと黙っていたことを認めた。大事になるとは思っていなかったらしいが、彼は責任を取って副団長を辞した。
その後、キールは国王にルアンの教育係になることを申し出て、国王はそれを許可した。ルアンはキールになんだかんだと言いながらも懐いており、タウンハウスで穏やかな日々を過ごしている。息子を亡くしているキールもまた、ルアンを自分の子と重ねるように可愛がっているそうだ。そして、国王も度々タウンハウスに足を運んでいるらしい。
第四王子の正体が吸血鬼であることが貴族の間で知れ渡り、ネフィーテの扱いをどうするべきかという議題が、議会で持ち上がった。
たとえ国家の英雄であろうとも、再び暴走する可能性を懸念し、吸血鬼を王宮に留めておくのは危険だとする意見が大半を占めていた。
そこで持ち上がったのは――ネフィーテの政略結婚だ。ネフィーテが問題を起こした際、王家に非難が集中することを防ぐ目的がある。つまり、結婚相手に全ての責任を押し付けて、厄介払いしようという魂胆である。
(ネフィーテ様が、結婚)
騒動のあと、ネフィーテの体調も少しずつ回復していた。休暇をもらったオーガスタは、久しぶりに実家に帰っている。
「結婚……ネフィーテ様が、結婚、結婚……」
オーガスタの頭は、ネフィーテの結婚のことでいっぱいになっていた。国中の花嫁候補たちには、花嫁選びの夜会の招待状が届いている。だが、オーガスタの元には待てど暮らせど、招待状が届かなかった。花嫁候補は政治的な要素を考慮して議会で決定されるため、仕方なく招待状を待つしかなかった。
思い悩んでいるせいで、歩いている途中で階段は踏み外すし、しょっちゅう物にぶつかるし、食事中に飲み物や食べ物を零したりするしで散々だった。オーガスタの様子を、使用人たちは随分と心配していた。
廊下でぶつぶつと呟きながら歩いていたら、誰かに顔をぶつけた。
「――痛っ。す、すみません」
「きゃっ……」
ぶつかった侍女は、持っていた何かの封筒を床に落とす。オーガスタが拾おうと手を伸ばすと、彼女は真っ青になってそれを先に拾い、腕で隠した。
「その封筒は?」
「お嬢様、申し訳ございません、申し訳ございません……っ」
「……?」
彼女は謝罪の言葉を繰り返したあと、どこかに逃げていってしまった。
侍女の様子を不審に思った直後、別の声がして振り向く。
「やれやれ、しっかり前を見て歩きなさい」
ダクラスが困ったような顔してこちらを見ていた。父は晩餐会の夜、ネフィーテに剣を向ける騎士たちに攻撃を止めるように訴えてくれた。これまでネフィーテに冷淡だったので、父が彼を庇う姿は意外であり、同時に嬉しくもあった。
「考え事かい?」
「……はい」
「どうせまた、第四王子殿下のことだろう。今度は一体、何を悩んでいるんだい?」
「それは……」
「例えば、王子の花嫁探しの件とか」
図星を刺されたオーガスタは、顔をしかめる。オーガスタの顔に『ズバリおっしゃる通りです』の文字が貼り付いているのを見た父は、苦笑を漏らす。オーガスタは気まずそうに頷く。
「――なら、彼にお前の思いをそのまま伝えたらどうだい? 誰とも結婚してほしくないのだと」
「告白するってことですか?」
「ああ、そうだよ」
「で、できません!」
オーガスタの大声が廊下中に響き渡り、周りの使用人たちがこちらを振り向いた。
人通りのある場所で話す内容ではないと判断し、ふたりは応接間に移動した。父は横長のソファに座り、オーガスタは立ったまま話を続けた。
「ネフィーテ様に告白なんて……とてもできません」
「どうして?」
「だって、これは絶対叶わない恋なんです。……私なんて、ネフィーテ様に相手にされてませんよ」
ぎゅっと拳を握り締め、俯くオーガスタ。
前世のノアとしても、ネフィーテに恋い焦がれていた。当時は性別を偽っていたため、成就するはずもない恋だった。自分が女であることを打ち明ける前に死んでしまったので、きっとネフィーテはノエを男だと思ったままだろう。
今世では性別こそ女だが、社交界で『男顔令嬢』などと噂されるオーガスタ。ネフィーテの近くにいられるだけで奇跡なのに、好いてもらうなんて、そんな夢のようなことが起こるはずがなかった。
「それはお前が決めることではないよ」
「え……」
「他人の心は、その人にしか分からないものだ。それに、伝えたい思いは伝えられるうちにね。……私みたいに後悔しないように」
ダクラスは寂しそうに眉尻を下げ、オーガスタの頭を撫でた。オーガスタの母ソフィアは、オーガスタが幼いころに病死した。きっと父には、ソフィアに伝えたかった思いが沢山あるのだろう。
(伝えたい思いは、伝えられるうちに……)
オーガスタの胸に、父の言葉が響く。
一度死んだ自分が生まれ変わってネフィーテの傍にいられるのは、奇跡のようなことだ。けれど、その奇跡は永遠ではない。ネフィーテが誰と結婚しようと、しなかろうと、いつか必ず別れが否応なく訪れる。
「それに、私には第四王子がお前に特別な情を抱いているように見えた。晩餐会で、他の誰でもなく、お前の声で彼は理性を取り戻した。心は通じ合っているはずだよ」
ダクラスの慰めの言葉を聞いたオーガスタは、父に聞く。
「もしも、ネフィーテ様と思い合える……奇跡が起きたとして。父上は、許してくれるんですか?」
「お前と彼が結婚することをかい?」
オーガスタはこくりと頷く。ネフィーテのことを強く警戒していたダクラスことだ。少しずつ彼への誤解が解けてきているとはいえ、近衛騎士になることを許してくれても、まさか結婚まで認めてくれるはずがない。
しかし、父の返答は予想外のものだった。
「構わないよ」
「え……」
「騎士の育成に熱心で、国随一の軍事力を誇る我が家以上に適任はないだろう。そして、彼が安全であることを理解しているのも現状――私たちだけ。それに、王家の危難を救った英雄を招けば、繁栄がもたらされるかもしれない」
「父上……」
オーガスタが思っていたより、彼はネフィーテのことを信頼してくれているのが分かった。
ダクラスは昔から、娘にはつくづく甘い。オーガスタのことを応援し、幸せを願ってくれることが伝わり、目頭が熱くなった。
「私にも、招待状が届くでしょうか」
「条件は満たしているし、十中八九届くさ。まだ届いていないのが不思議なくらい。なに、不安に思わず待っていなさい」
クレート公爵家も王家の意向には従わなくてはならないため、招待状を待つしかなかった。
しかし結局、オーガスタの元に花嫁選びの夜会の招待状が届くことはなかった。
◇◇◇
休暇を終えたオーガスタは、数日ぶりに王宮に戻った。ネフィーテに挨拶をしようと支度を済ませ、塔へと向かう。
(あれ……? 扉が開いてる)
螺旋階段を上った先で、玄関扉がゆっくりと開くのが見えた。あの扉は外鍵がかかっていて、中から開けることはできないはずだ。となると、客人でも来ていたのだろうか。
いやしかし、ネフィーテの部屋への出入りが許されているのは――王族と関係者のみだ。
開かれた扉の隙間から部屋の中の明かりが漏れてきて、オーガスタが目を細めた直後、ヒールの音が耳を掠めた。そして、甘い香水の匂いが鼻腔に届く。
「あら、お久しぶりですわね。――オーガスタ様?」
「……!」
ネフィーテの部屋から出てきたのは、かつてオーガスタから婚約者を奪った王女アデラだった。
(王女様がなんで……ネフィーテ様の部屋に)
アデラは例の晩餐会に参加し、暴走したネフィーテの姿を目撃している。それなら普通、恐れて塔に近づいくことすらないだろう。
彼女の可憐な笑顔がやけに恐ろしく思えて、オーガスタは後退して、無意識に階段を一段下りる。何か、嫌な予感がする。アデラがオーガスタの前に現れるとき、ろくなことがないのだから。
「あ、あの……王女様が、どうしてこちらにいらっしゃったのですか?」
「ふふ、気になる?」
アデラは優雅に螺旋階段を下りてながら、オーガスタを見下ろし、胸に手を添えた。
「わたくしね、ネフィーテ様の花嫁候補として――立候補しようと思いますの。近々行われる花嫁選びの場に参加することにいたしましたので、そのご挨拶に」
「……!?」
彼女に告げられた言葉に、雷に打たれたような衝撃を受けた。確かにアデラはサミュエルと離婚しているので、別の相手との結婚が可能だ。けれどなぜ、再婚を望む相手がよりにもよって――ネフィーテなのだろうか。
王女は、どうしてこうもオーガスタが大切な人を横取りしようとするのだろう。父、サミュエルと続いて、今度はネフィーテまで。
「どうして……っ。だって、あなたとネフィーテ様は、血が繋がっているじゃないですか……」
「あら。ネフィーテ様は三百年前にお生まれになった方ですのよ? 純血とはいえ、もうとっくに血は薄まっておりますわ。他人のようなものです。国王陛下も、ネフィーテ様とわたくしが婚姻を結び、賜姓降下して王宮の外で暮らす形で納得してくださっております。あとは、ネフィーテ様に選んでいただくだけ……」
そしてその場合、王妃の実家である公爵家がネフィーテの保護者となるらしい。王妃の実家も、クレート公爵家に匹敵する大貴族であり、吸血鬼を預かる役目は問題ない。
(ネフィーテ様と王女様が結婚……)
一瞬にして、オーガスタの心に深い影が差す。オーガスタはずっと、女性らしい魅力があるアデラに劣等感を抱いていた。実際、サミュエルは彼女の虜になっているし、ネフィーテだって王女に魅力を感じるに違いない。
アデラはそんなオーガスタの心の内を見透かしたように、不敵に口角を持ち上げた。
「晩餐会の夜……初めてネフィーテ様をお見かけして、心が震えましたわ。人間を超越した不死の肉体と美貌、そして衝動に抗う高潔さを持つ彼が……欲しくなりましたの。オーガスタ様が心酔する理由が――よく分かりましたわ」
「……」
どうして、ネフィーテなのか。
どうして、オーガスタが大切にしてきたものを次々に奪おうとするのか。
「王女様は昔から……私が大切にしている人を、取ろうとなさいますね」
心に霧が立ち込めていき、気がつくとこんな言葉が口をついて出ていた。するとアデラは、とぼけたような顔をして、唇に人差し指を押し当てながら首を傾げる。
「わたくしはね、昔から誰かが大切にしているものばかり欲しくなる性分なのです。許してくださいまし。それに、あなたから人が離れていくのは――あなたに魅力がないことが原因では?」
彼女はオーガスタの肩にわざとらしくぶつかりながら、螺旋階段を下りていった。
白い絵の具で塗り潰されたように頭が真っ白になり、オーガスタはその場に立ち尽くした。




