21 呼び出し
基本的に寛容なネフィーテが、オーガスタの行動に『否』と言うのは珍しい。だが、それだけネフィーテも、このルアンという少年に危険を感じているのだろう。
ネフィーテは微笑みを浮かべ、穏やかな態度は崩さない。しかし、どこか有無を言わさない感じで続けた。
「今夜は一緒に絵を描く予定だったでしょう? 先約は私です。何より君は、私の騎士だ。ということで、ルアン王子。彼女を連れて行かれるのは困ります」
「はっ、それってもしかして独占欲ってやつ? 絵なんていつでも描けるじゃん。少しくらい僕に時間をくれてもいいでしょ」
「はっきり言わないと分かりませんか? 敵意剥き出しの相手に、オーガスタのような若い女性を連れて行かせるのは不安なんですよ」
「じゃあ、オーガスト嬢が王族に無礼を働いたって、王国騎士団にチクるけど、いい? ダクラス団長もさぞ胸を痛めるだろうね」
「…………それは、脅しですか?」
ふたりとも笑顔で会話をしているが、それぞれの目の奥は全く笑っていない。
彼らの間に、バチバチと火花が散るのが見えた気がして、オーガスタはごくっと喉の奥を上下させた。
どうしてもオーガスタと話がしたいルアンと、連れて行かせたくないネフィーテの、両者一方も譲らぬ攻防。一触即発な状態を諫めたのは――オーガスタだった。
「ネフィーテ様。心配してくださってありがとうございます。でも平気です。少しだけ、第三王子殿下とお話ししてきます」
ここでルアンの命令を拒み、ネフィーテと他の王子との間に余計な軋轢を生むのは不本意だ。そんな思いがあり、ルアンとともに塔を後にするのだった。それに、何かおかしなことを企んでいるかもしれないルアンを、ネフィーテから離しておきたかった。
◇◇◇
オーガスタはルアンとともに塔の外に出た。満月が夜空に輝き、王宮を妖しく照らしている。
「あの……どこまで行くおつもりですか?」
塔を出てみれば、今度は「付いてきて」とひと言言われ、遠くの場所まで歩かされた。
夜の庭園では、湿った草の匂いが時々鼻先を掠め、冷たい風が身体の線をなぞっていく。そして、オーガスタのすぐ近くにある小さな池が月を反射し、静かな波が揺れている。
池のほとりでルアンは立ち止まり、ようやく口を開いた。
「君はどうして、あの怪物の傍にいようと思うの?」
ネフィーテが怪物呼ばわりされたことを腹立たしく思いつつ、なけなしの理性を掻き集めてきわめて冷静に答える。
「ネフィーテ様が私の恩人だからです。それにあの方は、怪物なんかじゃありません。とても……優しい人なんです。だけどとても、気の毒で……。私はあの人を救って差し上げたいんです」
すると彼は、オーガスタの顎をすくい上げ、顔を覗き込んだ。
「ひょっとして君、あの男に惚れてるの?」
「………!?」
そう指摘されたオーガスタは、薄暗い中でもはっきりわかるくらい顔を真っ赤にした。
「その反応……図星か。……世の中には本物の物好きがいるらしい。でも……羨ましいよ」
「羨ましい?」
ルアンは一歩後ろに下がり、どこが寂しそうな顔をして空を見上げた。どこか遠くを見つめるようなその姿は、ネフィーテと重なって見えた。
「あの化け物にさえ、心にかけてくれる人がいるっていうのに。僕にはそういう存在がひとりもいないんだ。母親が違うってだけで、どうして僕ばっかりこんな惨めな思いをしなくちゃいけないんだろうね。……僕だけがずっと、孤独で、不幸だ」
すると今度は、ルアンの表情が一変し、怒りが滲んでいく。彼は拳をぎゅっと握り締め、低く冷たい声で呟いた。
ルアンとネフィーテは同じように孤独を抱えてきたが、ふたりは似ていない。ネフィーテは誰かを傷つけるようなことをしなかった。ルアンが不幸を嘆く気持ちは分かるが、それは他人を傷つけていい理由にはならない。
(孤独から抜け出したいなら、誰かに愛されたいなら、本人が変わらなくちゃいけない。確かに気の毒なところもあるけど、こればかりはルアン様自身の問題でもある)
オーガスタは心の中でそう思い、静かにルアンを見つめた。
ルアンの他には、ネフィーテを除いてふたりの王子と、ひとりの王女がいる。彼らは正妃の子だったが、ルアンだけが娼婦との間にできた子だった。
王は婚外子であるルアンに王子の地位を与えた。しかし、王宮内でのルアンの立場は弱く、正妃の意向によって、王宮から追い出されるような形で住まいを与えられた。
「オーガスタ嬢。あいつは、ただの怪物だよ。そして、僕は……あの怪物を利用して王家に復讐するんだ」
そのとき、ルアンの笑顔が歪になり、オーガスタの背筋に冷たいものが流れる。
「ルアン様、私に大事な用とはなんですか? それに復讐って、一体……」
彼は意地の悪い笑顔を湛えたまま、オーガスタの肩をぽん、と軽く叩いた。
「君はただ、ここに立っていて。今日の晩餐会が終わるまでね。これは――命令だから」
「……?」
彼はそう言い残して、暗い庭園から出ていった。
するとその直後、ネフィーテがいる塔の方からガラスが割れる音がした。
(ネフィーテ様……!?)
ネフィーテの身に何があったのだろうか。まさか、ルアンが塔から自分を連れ出したのは、ネフィーテとオーガスタを一時的に引き離し、その隙に何か悪さをするつもりだったのではないか。そんな推測が瞬時に頭の中を駆け巡り、気がつくと、ルアンからの命令を無視して走り出していた。




