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19 盤上の駒 ※ルアン視点

 

「失礼いたします。お客様がお見えです」


 その日は灰色の空が広がり、激しい雨が降っていた。あちこちで雷が鳴り響いている。


 街のだだっぴろいタウンハウスには、十六歳の少年と数人の使用人が暮らしていた。


「こんな雨の日に客人なんて珍しいね。誰?」

「サミュエル・マキシミルア侯爵令息です」

「サミュエル……ああ、そう。ここに呼んできて」

「承知いたしました。――ルアン王子殿下」


 執務室から出ていくメイドの後ろ姿を見送ったあと、ルアンは窓の外に視線を移す。


(この調子だと、明日まで止まなさそうだな)


 ルアン・フェルシスは、ネリア王国の第三王子だ。長らく王都に構えたタウンハウスで暮らしていた。なぜ王宮で暮らさないかというと、理由は簡単だ。ルアンは妾の子であり、王妃や他の王子、王女たちに疎まれていたから。


 娼婦だった母はルアンを産んですぐに病死した。国王は催し事が好きで、しょっちゅう晩餐会やパーティーを開く。けれどもそこに、ルアンだけは招待されたことがない。母親が違うというだけで、疎外されることが、ルアンにとっては耐えがたい屈辱だった。

 それにもかかわらず、王宮にはルアンと同じフェルシスという姓を名乗る吸血鬼が暮らしている。怪物でさえ王宮で暮らすことが許されているのに、どうしてルアンだけは認めてもらえないのか、理解できなかった。


 サミュエルは最近、金を貸した相手だ。彼はルアンの執務室に入ってきて、早々にいたたまれない様子で、借金を返せなくなったことを告げてきた。


「ふうん。つまり君は騙されたってわけ」

「は、はい。先行投資として預けていた金も、全部持ち逃げされまして……」


 サミュエルは、実家の借金を楽して返そうと、ある自称実業家の甘い誘惑に乗せられて事業を始めた。しかし、その実業家は詐欺師で、サミュエルは事業立ち上げのためにルアンから借りた金を丸ごと騙し取られてしまったのだ。努力もせず、大金を得ようという考えがそもそも甘かった。


(まぁ、最初からこうなることは予想済みだったけど)


 その実業家については、サミュエルに金を貸す前に調査していた。

 王子であるルアンにとって、まとまった金を貸すことは簡単だ。サミュエルが騙されていることを知っていながら、あえて金を貸したのには理由がある。


 ルアンは頬杖をつき、不敵に口角を持ち上げる。


「気の毒だったね。そんな君にひとつ、良い提案がある」

「提案……ですか?」

「うん。僕の言う条件をクリアすれば、借金は返さなくていい」

「……! 本当ですか!?」


 一縷の希望を見出したかのように、目を輝かせるサミュエル。あまりの単純な反応に、ルアンは笑い出しそうになるのを堪えた。


(あー食いついた食いついた。ほんと、チョロすぎ)


 サミュエルは、格式あるクレート公爵家の一人娘オーガスタの元婚約者で、公爵一家と懇意にしてきた。クレート家は、サミュエルがオーガスタの伴侶となる代わりに、サミュエルの実家の借金返済を約束していた。


 それなのに、サミュエルは大事なチャンスを棒に振った。王女アデラとの一時の恋に溺れ、判断を誤ったのである。ダクラス公爵やオーガスタのふたりの兄たちも、サミュエルを実の弟のように可愛がっていたため、失望も大きかっただろう。


 サミュエルは後先考えない、浅はかな男だ。妻に逃げられ、借金を抱え、もう失うものは何もない。だが、こういう人間は――良い駒になるのだ。


 ルアンは引き出しの中からガラスの小瓶を取り出して、執務机の上にコトン、と置いた。


「これをネフィーテ第四王子……いや、あの――怪物に飲ませるんだ」

「その小瓶は……」

「こいつは――毒だよ。吸血鬼にとってはね。ひと口飲めば、奴は吸血衝動を抑えられなくなり、暴走する。そうなったらもう完全に、野生にいる獣と同じだ」

「……!」


 ルアンは赤い液体が注がれた小瓶を手に取り、傾けながら観察する。


 吸血鬼にとっては、人間以外の動物の血は毒になる。

 一度、ネフィーテが飲む血に動物の血を混ぜて実証済みだ。もっともその結果、王国騎士団は警戒を強め、ネフィーテの飲む血は厳格に管理されるようになってしまったのだが。


「この液体は、動物の血液成分を凝縮したものさ」

「それを王子に飲ませて……いかがなされるおつもりですか」

「さぁ、それを君が知る必要はないよ」


 もし吸血鬼が王宮内で暴れたら、大騒ぎになるだろう。騒ぎを起こすことで、ネフィーテの存在を世に知らしめ、国王の治世を――邪魔してやる。


(怪物の存在が知られれば、国王も王妃もみんな困るはずだ。狼狽える奴らの顔を見られるのが楽しみで仕方がない)


 人間にとって脅威となる吸血鬼が、政治の中心地であり神聖な王宮に暮らしていること自体が不自然だ。それがきっと、王家にとっての弱点になる。

 必ずあの塔から怪物を引きずり出してみせる。そのためにルアンはずっと、このタウンハウスで吸血鬼の勉強をしてきたのだった。


「ですが…… 仮にも王族に毒を盛れば、大逆罪として俺は断罪されることになります」

「別に、バレなきゃいい話じゃん」

「……ではどうして、俺に協力させるんですか? もっと他に、適任がいるのでは……」

「うるさいよ。分からない? 僕は妾の子だ。王宮で嫌われてる僕に、味方しようなんて物好きはいないんだよ……っ!」


 ルアンには味方がいない。


 近ごろ、王国騎士団を訪問して、副団長キールを懐柔できないかと説得したが、相手にされなかった。彼はかつて国王の近衛騎士をしており、国王を暴漢から守ったことで恨みを買い、報復として暴漢の仲間に妻を殺されている。国王を恨んでいるはずなのに、ルアンには協力できないと言われた。


『陛下を恨むのは逆恨みですし、復讐するつもりもありません。あなたの気持ちは分かりますが、馬鹿なことを考えずに大人しくしておくのが身のためですよ』

『はっ、ただ臆病なだけじゃないか。僕は絶対に負けないよ。復讐してやる』

『恐れながら申し上げます。私には、あなたが親に構ってほしいだけの子どもに見えますがね。悪戯については内緒にして差し上げますから、素直に陛下に思いを伝えてみてはいかがでしょうか。それとも私が、構って差し上げましょうか』

『うるさい!』


 どうせ、国王の目に自分は映ってなどいない。そうに決まっている。

 ルアンが迫害されてきたことを何も知らないくせに、知ったような口を利くキールに苛立ちを覚えた。


 昔からずっとルアンはひとりぼっちだった。ルアンのことを庇えば、ルアンを疎む王家に逆らっていると捉えられかねない。だから、人々は王家に迎合し、ルアンのことをさげすんできた。


 何もかも、ルアンを無視する父や王族が悪いに決まっている。

 誰も協力してくれないなら自分の手で――王家に復讐するのだ。

 そのために吸血鬼を、利用してやるのだ。


「君、オーガスタ嬢に頻繁に手紙を送ってるんだってね?」

「どうしてそれを……」

「探偵を雇って調べさせたんだ。自分を捨てた彼女を恨んでるんでしょ? ねえ、僕とふたりで、復讐しようよ。僕は王家に。君は君を捨てた元婚約者に。ひどいよね? 借金返済を約束してたくせに、ちょっと浮気したくらいでぽいって捨てるなんてさ」

「おっしゃる……通りです」


 サミュエルの元婚約者オーガスタは、あの怪物の近衛騎士になった。

 これまで、誰もネフィーテを恐れて関わろうとしてこなかったし、ましてや護衛をしようとする者は現れなかった。

 しかし、オーガスタは名乗りを上げ、献身的に三ヶ月もの間仕えている。まったく、頭がおかしいとしか思えない。吸血鬼にさえ味方ができたのに、どうしてルアンはひとりなのだろうか。


「オーガスタは相当な強さです。それに相当、第四王子に心酔している様子。彼女の存在はその……厄介かと」

「なら僕が彼女の気を引いておくから。それでどう? やるの? やらないの?」


 サミュエルは視線をあちらこちらにさまよわせて、逡巡と葛藤を繰り返した。しかし、しばらく沈黙したのち、意を決してガラスの小瓶を受け取った。


「実は、俺もちょうどオーガスタに痛い目を見せてやりたいと思っていたところなんです。――その役目、ぜひ引き受けさせてください」


 彼から了承を得たルアンの唇がそのとき、ゆるりと扇の弧を描く。


(王宮をめちゃくちゃにして、僕を除け者にしたことを――絶対に後悔させてやる)


 王家にとって、ネフィーテという怪物の存在は汚点でしかない。怪物の存在を白日の元に晒し、回復の余地などないほど王家の名誉に傷を付けてやるのだ。


 そしてその瞬間、ひときわ大きな雷が屋敷の近くに落ち、ルアンの愉悦に満ちた笑みを、妖しげに照らし出すのだった。


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