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18 早まる鼓動


 ネフィーテは一体いつの間に後ろに立っていたのだろうか。気配を読むのが得意なはずなのに、至近距離に立っている彼に気づかなかった。


「気にならないと言ったら嘘になりますけど……。ネフィーテ様が見られたくないものを見る気はないですよ」


 するとネフィーテは、無言で布が被っている場所まで歩み寄り、布を掴んだ。


「見ても構いませんよ」


 そう告げると彼は、一面を覆い隠している布を取り去った。そこから現れたものを見たオーガスタは、大きく目を見開き、固まる。


「……!」

(あれは、私が描いた絵………)


 積み重ねられていたのは、ノエが百年前に描いた絵だった。どれも、ネフィーテの作品とは比べ物にならないくらい未熟なものだが、どれもネフィーテに追いつこうとした健気な想いが込められている。

 キャンバスの一番上にあるのは、見覚えのある紫の花の絵だった。絵だけではなく、ネフィーテをモデルにして彫った歪な石像や粘土細工も並べられている。


(まさか、捨てずにとっていたなんて)


 予想外のことに驚いていたが、それを口にはしなかった。ネフィーテは、目の前に立っている女騎士の正体が、前世で保護した非力な元孤児だとは夢にも思っていないだろう。


「私の大切な友人が描き残したものなんです。ずっと片付けようと思っていたんですが、なかなか気が乗らなくて」

「処分されるつもりですか?」

「いえ、まさか。ほったらかしにしておくと、経年劣化がひどくなるので、ちゃんと管理しようと思っています」


 ネフィーテは一輪の花の絵を手に取り、優しげに目を細めた。


「私にはこれを、とても捨てられません」

「とても大切な……思い出なんですね」

「はい」


 彼がノエのことを覚えていただけではなく、大切に思っていてくれたことが嬉しくて、鼻の奥がつんと痛くなった。


「戦争で拾った孤児でした。あの子と過ごした八年があったから、今の自分がいるんです。私は彼を救ったつもりでいましたが、本当は逆で――救われていたのは私の方でした」

「…………」


 オーガスタは唇を引き結び、込み上げてくる感情を堪えていた。ノエにとっては、ネフィーテが世界の全てだったから、『救われていた』だなんて身に余る言葉だ。ノエはずっと、どうしたら助けられてばかりの自分がネフィーテの役に立てるのか、そればかりを考えていた。ネフィーテの言葉によって、当時の自分ごと救われた気分になる。


(そっか……私、ほんの少しはこの人の役に立ててたんだ。よかった。……嬉しい)


 喜びを噛み締めつつ、震える喉を鼓舞して言葉を絞り出した。


「きっとその子も……ネフィーテ様のことを想っているはずです」

「いいえ、彼はきっと私を……恨んでいるでしょう」

「そんな――」


 どこか憂いた笑みを浮かべるネフィーテに、『そんなことない』と否定の言葉を告げかけたが、喉元で抑え込む。


(やっぱり、ノエが死んだことで責任を感じて……)


 ノエは自分の意思で森に出かけて、吸血鬼に殺されて死んだ。ノエの自業自得だ。ネフィーテは何も悪くないし、ノエはネフィーテのことを恨んでなどいない。どうしたらこの気持ちが伝わるだろうかと気を揉んでいると、彼が突然話を変えた。


「そうだ、オーガスタ。そこの椅子に座ってもらえますか?」

「あ……はい。何をするんですか?」

「今日は君に――モデルになってほしいんです」

「!」


 ネフィーテの頼みならなんでも喜んで応じたいところが、戸惑って目をさまよわせる。そして、オーガスタの頭に『モデル』という単語が幾度となく木霊する。


(どうしよう。私なんかがモデルなんて、ふさわしくないし)


 オーガスタは社交界で『男顔令嬢』と呼ばれてきた。平均的な女性より背が高く、男と間違えられるような凛々しい顔立ちだ。

 せっかくネフィーテが絵を描くなら、例えば『社交界の花』と称されるアデラのような、愛らしい令嬢の方が描きがいがあるのではないか。


 返事に迷っているこちらを見兼ねたネフィーテが言った。


「もちろん、君が嫌がるなら無理には言いません」

「いえ! 嫌って訳じゃないんですけど、その……」

「……?」

「こんな容姿じゃ、描きがいがないかなって。私ってほら、背も高くて男みたいだから……」


 オーガスタが指で髪の先をいじりながら、空元気にへらへらと笑うと、彼はこちらに歩いてきて、座ってるオーガスタと目線を合わせて身をかがめる。


「君がそんな風に卑下するようになった過程を知らないので、無責任なことは言えません。でも、私は君の外見が――好きですよ」


 彼の美しい赤の双眸に射抜かれたとき、オーガスタの心臓がどきんっと跳ねた。


 前世でも、ノエの下手な絵を彼が好きだと言ってくれたのを思い出す。


「それにほら、私と比べればオーガスタは華奢で、小柄に見えますし。十分女性らしいです。全く。君の自信を喪失させたのは、一体誰の仕業ですか?」


 彼はこちらを見下ろしながら、また目を細める。

 ネフィーテはオーガスタよりもずっと背が高くて、見上げなければ顔を見ることができない。


「社交界で私、男顔令嬢って言われていて」

「なるほど。他の人の目にどう映るかは知りませんが、オーガスタは魅力的ですよ」

「……ネフィーテ様の目には私がどう映っているんですか?」


 遠慮がちに尋ねれば、ネフィーテはこちらの顔を覗き込み、甘やかに答えた。


「とてもかわいい女の子に見えます」

「〜〜っ」


 オーガスタはその言葉に耐えかねて、顔を伏せる。

 かわいいと言われてしまった。たぶん、家族以外の人にそう言われたのは初めてだ。気を遣わせて申し訳ないやら、恥ずかしいやらでいっぱいいっぱいになる。


(心臓、うるさい)


 心臓の鼓動はすっかり言うことを聞いてくれず、加速するばかり。顔はのぼせ上がるように熱くて、耳まで朱に染まった。


「どうしました? 顔、赤いですよ」

「な……んでもありません!」


 オーガスタは前世から変わらずネフィーテのことが好きだ。好きな人に褒めてもらえたら、嘘でも舞い上がってしまうのが乙女心である。オーガスタのことを女の子扱いしてくれるのは、ネフィーテくらいだ。こんな風に異性に女の子として扱われるのが、憧れだった。


「本当ですか? ひょっとして熱があるんじゃ……」


 そう言って彼はするりと手を伸ばし、オーガスタの額に触れた。彼に触れられるだけで、ますます熱が上がる。

 とうとうオーガスタはぷしゅうと頭のてっぺんから湯気を上らせた。


(ああもう。やっぱりこの人には、敵わない)


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