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10 衝動に駆られて

 

 ネフィーテが囚われている塔は、厳重な警備体制が敷かれていた。絢爛豪華な王宮の敷地内で、古びた塔は異彩を放っていた。風化した石壁には苔が生えており、蔦が絡みついて陰鬱な雰囲気を醸し出している。入り口にはふたりの騎士が控え、王族か許可を得た者以外、誰も中に入ることができない。


 彼らの首には、吸血鬼の弱点とされる十字架の銀のネックレスが掛けられていたが、ネフィーテにとって十字架は効果がない。彼らはネフィーテのことを、ろくに理解していないのだろう。あるいは単なる気休めに過ぎないのかもしれない。


「ここは関係者以外立ち入り禁止です。どうかお引き取りを」

「私は王国騎士団長ダクラスの娘です。父に話をしに来ました。どうかを通してください」

「ダクラス団長のご子女でしたか。それなら……」


 騎士たちが話し合いを始めたとき、突如として奥から、重々しい声が響いた。


「私から話すことはないよ」

「父上!」

「騒がしいと思ってきてみたらお前だったのか。その格好……。まさか、病院から脱走してきたのかい?」


 その声の主は、ダクラスだった。王国騎士団の制服を身にまとい、団長らしい威厳を漂わせながら現れた。騎士たちは気を引き締め、姿勢を伸ばす。


「治療はどうなったんだい?」

「私に治療は必要ありません。お願いです、私の話を聞いてください。ネフィーテ様は悪い人じゃないんです。きっと父上も分かってくれるはず――」

「――まだそれを言うか!」


 ダクラスの怒声が辺りに響き渡り、地面で虫の死骸をつついていた数羽のカラスが一斉に飛び立ち、空を覆った。騎士たちはダクラスの威圧感にすっかり萎縮して、黙ってその場に立ち尽くした。


 父にこんな風に怒鳴られたのは、いつぶりだろうか。小さなころ、ひとりで勝手に屋敷を出て夜遅くに帰ったとき以来かもしれない。ダクラスはいつも穏やかで優しく、滅多に娘を叱りつけることはなかった。


 今目の前にいる父は、あのころとは別人のようだ。

 優しい父を怒らせていることに胸を痛めるが、オーガスタは父から目を逸らさず、毅然と立ち向かう。


 辺りに響くのはカラスの鳴き声だけ。親子は言葉を交わさず、睨み合う時間が続く。沈黙を破ったのはオーガスタだった。


「何度諭されても、私の気持ちは変わりません。お願いです、隔離するのではなく、少しだけ話をさせていただけませんか」


 オーガスタの懇願を遮り、父が冷徹に両肩に手を置く。いつもならオーガスタを安心させるその手が、今日は逆に不安を掻き立てる。


「いいかい? お前は洗脳されているんだ。一度しか会ったことがない相手を慕うなんて、普通ではない。病院に戻りたくないと言うのなら、強引に連れて行くよ。――お前たち、娘を頼む」

「「御意」」


 やはり、ダクラスにはオーガスタの言葉が届かない。病院の医者と同じで、オーガスタの言葉に耳を傾ける気などないのだろう。

 ダクラスは付き従っていた騎士たちに、オーガスタを病院に連れて行くように命じる。


(どうしよう、どうしよう……。もう病院には戻りたくない)


 ひと月、手足を拘束されて過ごした日々が、胸に重くのしかかっていた。このままずっとあの状態が続いたら、心が壊れてしまう。

 だが、今の父に、前世の話を打ち明けたところで、洗脳の一部だと取り合ってはくれないだろう。どうしたらいいかと迷っていたとき、塔の奥から男性の叫び声が聞こえた。


「っぐ……あ゙あっ……ふっ、ぅ……あぁ!」

「…………!」


 悲痛な叫び声が鼓膜を貫き、頭の中が真っ白に塗り潰される。ネフィーテの苦しみがオーガスタの胸を締め付け、全身が震えた。


 彼が苦しんでいるのを見過ごすことができない。

 自分を拘束している騎士のひとりを突き飛ばし、もうひとりを手刀で昏倒させると、オーガスタは止めようとする父をすり抜けて、螺旋階段を駆け上った。


「待ちなさい! オーガスタ! そっちに行ってはいけない!」

「はっ……、はぁ、は……」


 オーガスタは体力だけは自信があった。父との距離を少しずつ広げ、上階の部屋の前に辿り着く。ネフィーテの悲痛な呻き声が絶え間なく聞こえてきて、胸が押し潰されそうになる。


 扉に手をかけるが、鍵がかかっていて開かない。


 無理にドアノブを捻ろうとしているうちに、とうとうダクラスに追いつかれてしまった。彼はオーガスタの手に自身の手を重ねて、冷たく告げる。


「その部屋は、王族を除き、どんな者の侵入も禁じられている。中に入るつもりなら、娘のお前でも許さないよ。吸血鬼を外に解き放つわけにはいかない」

「ネフィーテ様ほどの力があれば、こんな檻から脱走するのは造作もないことです。でも、誰かを怖がらせたり傷つけたりしたくないから、ご自分の意思でここにいらっしゃる。現にひと月前の夜会で、この部屋の外で私は助けてもらいました」

「それらは全て、吸血鬼が書き込んだ偽の記憶だ! 正気に戻りなさい、オーガスタ……!」


 ダクラスは剣を引き抜き、オーガスタに向ける。まさか父に剣を向けられる日が来るとは、考えてもいなかった。


「怪物を世に放てば、お前だけではなく、家族全員が断罪される。お前ひとりの問題ではないのが分からないのか……!?」


 父のことも家族のことも大切だ。けれどどうしても、ネフィーテのことを思う気持ちを手放せないのだ。血液が沸騰し、魂が震え上がるほどに、彼のことを求めている。


 その瞬間、オーガスタの目に涙が溢れた。


「今、初めて……父上の子であることを悔やんでいます。私のことは除籍してください。今日からもう、私は――あなたの子ではありません」


 人生の中で、父に反抗したことなど一度もなかった。父が娘より王女を優先して可愛がっているときも、自分は寂しさを胸にしまって遠くから眺めていた。サミュエルとの婚約も、オーガスタの意思ではなく父が決めたことだった。ずっと、父の言うことを大人しく聞いてきた。


(ごめんなさい。こんな最低な娘で、本当にごめんなさい、父上)


 しかし、今、オーガスタにも譲れないものができた。たとえ、それが父を深く傷つけることになったとしても。


「話を聞いてくれないなら、実際にその目で確かめてください」


 オーガスタは、自分に向けられた剣をぎゅっと握り締める。血がぽたぽたと落ち、ダクラスはわずかに動揺をあらわにした。

 その隙をついて、ダクラスの腰に下げられた部屋の鍵を奪い取る。


「待て――」


 父の制止を聞かず、その鍵で扉を開けると、オーガスタはダクラスに言った。


「もしこの部屋にいるのが本当に怪物で、この記憶が全部偽物だったなら――この命をもって償いましょう」


 扉を開けると、部屋の隅でネフィーテが苦しそうにうずくまっていた。オーガスタは無我夢中で彼の元に駆け寄る。そして名前を呼んだ。


「ネフィーテ様……!」



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