贈りもの
コンラート・オルデンブルクは、オルデンブルク伯爵家の次男として、この世に生を享けた。
爵位は長男が継ぐものと決まっているが、世間的には名門で裕福で、美しいと形容される両親の容姿をも受け継いだ、まったくもって申し分のない生まれだ。
広大な屋敷と、四季折々の花が咲く美しい庭。たくさんの使用人。
両親から溺愛され、父は「オルデンブルクの名に恥じぬ、立派な人間になれ」と繰り返した。そして呪文のように付け加えることも忘れなかった。
「兄のようには絶対になるな」
コンラートは兄に同情していた。
兄といっても実は双子。
なのに二人に対する父の態度は、まるで違う。
「誇り高きオルデンブルク伯爵家の後継者なのだから」
兄にはそう言って、勉学や鍛練の授業をコンラートの倍ほども強いていたし、ほんの少しでも手を抜いたり反抗したりしようものなら、気が違ったように体罰を与えていた。
教師たちも父に倣っていた。
兄と同じことをコンラートがしても、両親も教師たちも、「仕方のない子だ」と笑って許してくれるのに。
「兄上が可哀想だ」
そう思い、しょっちゅう仕置き部屋に閉じ込められ食事を抜かれる兄のために、厨房でこっそり差し入れを用意してもらったことも二度三度ではない。
そのたび料理人たちは気遣わしげに言った。
「コンラート様は本当にお優しい」
「でも兄上様は気性の激しい方です。関わらないほうがよろしいですよ」
何を言われようと、コンラートは気にしなかった。
執事に頼み込んで――コンラートが一生懸命お願いすれば、ときには「秘密ですよ」と仕置き部屋の鍵を開けてくれることもあったから――どうにか軽食を差し入れていた。だが……
「食べてください、兄上」
そう声をかけても、ロウソクひとつない暗い部屋の中で、血のにおいを立ち昇らせ虚空を睨む兄から、答えが返ったことはない。そして差し入れに口をつけてくれたこともなかった。
「お気遣いするだけ損ですよ」
乳母たちが顔をしかめて小言を言うのも、いつものこと。
父にもすぐに知られてしまったが、それでもコンラートは怒られない。
「お前の優しさや思いやりなど通じぬ相手なのだ。関わるな」
憎々しげに吐き出す言葉は、周囲の者たちと同じ『関わるな』そればかり。
関わろうにも、兄のほうがこちらを見向きもしてくれぬのに。
だがコンラートは知っている。
兄はちゃんと、自分を気にかけてくれている。無視するのはきっと、父との確執に巻き込みたくないからだ。
だってコンラートが兄の真似をして庭伝いに森へと抜け出し、そのまま迷って帰れなくなったとき、迎えに来てくれたのは兄だけだった。
季節は秋。日は急ぎ足で傾き、雨まで降り出して、泣いても叫んでも誰も来てくれず、狼と思われる遠吠えまで聞こえてきて、心細くて恐ろしくて、うずくまって泣くことしかできなかった、あのとき。
「おい」
いきなり声をかけられて、心臓が飛び出しそうなほど驚いた。
雨音にまぎれて足音もわからぬうちに、奇跡のように目の前に、ずぶ濡れの兄が立っていた。
自分よりずっと薄着で、白い息をたくさん吐いて。
きっと弟の危機を知り、取るものも取り敢えず、必死で探し回ってくれたのだ。
そのとき初めて、兄の顔を正面から、よくよく見つめることができた。
双子といっても似ていないと皆は言う。コンラート自身もそう思っている。
(似ていればよかったのに)
そう思わずにはいられない。
遠目でも、こうして近くで見ても、兄のほうがずっと格好いい。「ご両親に似て愛らしい」とよく評される自分より、ずっと。
コンラートは金髪で、兄は銀髪。
コンラートの瞳は青灰色、兄は赤。
コンラートは父似で、兄は曾祖父似らしい。
自分も曾祖父に似たかった。甘ったるい印象を与えやすい自分の容姿より、鋭利な刃物のように凛々しい兄のほうが、何倍も美しい。
見惚れているあいだに兄が背を向けて歩き出したので、コンラートはあわてて立ち上がり、そのあとを追った。
森を歩き慣れている兄の足は速く、コンラートはすぐに息が切れた。
「ま、待って、兄上」
声をかけても、立ち止まってはくれない。
手をつなぎたかったが、拒まれるのが怖くてできなかった。
けれどあまりに距離がひらいたときだけは、だるそうに待っていてくれる。
屋敷と庭が見えるところまで来ると、兄は無言で駆け出し、引きとめる間もなくどこかへと去ってしまって、ひどく寂しく思った。
その後、コンラートの不在に気づき大騒ぎしていた家の者たちは大喜びで迎えてくれたし、両親も説教はあと回しにして気遣ってくれたが、「兄上が連れ戻してくれたのです」といくら言っても、誰もがその報告だけを聞き流してしまった。
(なぜ兄上ばかり……本当は優しい人なのに)
そんな疑問にも、ときを経るうち答えを得た。
「爵位を継ぐのは、コンラート。わたしによく似た、お前こそ相応しい。待っていなさい。お祖父様が亡くなれば、父がお前を後継者として指名し直してやるから」
父は酔ってはそう言った。
隠居して田舎に引っ込んでいた祖父は、父が賭け事で借金を重ねたり、事業の失敗を繰り返すたび、尻拭いのため呼び戻されていた。実業家の祖父と裕福な実家出の母がいなければ、父はとっくに破産していただろう。
だからこそ未だ当主としての発言権は祖父にあり、慣例を破って後継者を指名するとしても、その権利は祖父にあった。
オルデンブルク家は、昔からある能力で一目置かれ、富と栄誉を有する家門だった。しかし伯爵位を授かったのは、曾祖父の代である。
ある能力とは、魔法使いの能力。
魔法使いの中でも誉れ高き『聴き手』を、数多く輩出してきた。
特に曾祖父は古竜の歌を解くほどの天才で、竜の歌の内容から偶然、当時の国王の暗殺計画を知った。おかげで反逆事件を未然に阻止し、暗殺組織も瓦解。その手柄ゆえ伯爵に叙された。そして同時に、『大魔法使い』の称号も授かったのだ。
祖父は以前、コンラートと向き合い、こう言い聞かせてきた。
「いいか、コンラート。お前は多くの贈りものをその手に握って生まれてきたのだから、他者に与えられた贈りものを、羨んではいけないよ。この家の後継者はお前の兄だが、だからといって、お前の贈りものが奪われるわけじゃない。……わかるかい?」
正直、まったくわからなかった。
だがあれこれと話をつなぎ合わせて考えるに、こういうことだろう。
オルデンブルク家は、竜のおかげで栄えた。
よって竜の歌を集め、世界に貢献することで、恩を返さねばならない。
そして――オルデンブルクで聴き手の才能を持つ者は、例外なく、銀髪に赤い瞳をもって生まれる。
「私やお前の父が握った贈りものには、それがなかった。何度も『なぜ』と思ったよ。なぜ私にはその才能がないのだろう、大魔法使いの息子なのに。でもね、別の贈りものがちゃんとあったんだ。人のものを羨んだり妬んだりする前に、自分が持つもので何ができるかを考えなさい。そうしたら、いつかはちゃんとわかるから」
双子なのに兄を真っ先に後継者として指名した理由と、聴き手としての才能がなくても悲観することはないという励まし。コンラートはそう受け取った。
(だけど……)
確かに祖父は、竜の歌を解けずとも成功者になった。己で道を見つけ、みごとに切り拓いた。
だが、父は?
今ではもう、コンラートも気づいている。
この屋敷を一歩出れば、社会的評価が高いのは、父が虐げている兄のほうだ。
ものごころついた頃から竜の歌を解き、何をやらせても優秀で、『曾祖父と祖父の才能をすべて受け継いだ』と評される兄だ。
それは、父が欲しくてたまらなかった贈りもの。
だから父は、兄を憎むのだ。
父は未だ自分に与えられた贈りものを見つけられず、兄が握った贈りものごと兄を憎んでいる。
(じゃあ、僕は? 「わたしによく似た」と父上が言う、僕は?)
兄を憎む気持ちは毛頭ない。
だが自分が持つ贈りものとは、どこを探せば見つかるのだろう。




