もいちど「「「ラピスーッ!」」」
呪法をかけられた騎士たちへの解呪が成功し出血も止まったものの、躰の内側に負ったダメージを完全に治癒するには至らず、まだまだ治療と安静が必要な状態だった。
ジークの部下たちが手分けして馬橇に乗せてやっているあいだ、ドロシアはポカンと口をあけて「聖魔法って……嘘でしょ」と呟きながら、その様子を眺めていた。
そしてそんな彼女を、ジークら騎士と騎士見習いたちが、凍りつきそうな目で見据えている。
呪詛による人質という切り札を失い、四面楚歌状態の彼女に、「ドロシア・アリスン」と声をかけたのは、意外にもイーライだった。
ドロシアは「うわ、びっくりした!」と文字通り跳び上がり、そちらへ顔を向けた。
「イーライくん、まだいたのね。忘れてたわ」
正直、ラピスも忘れていた。
さすがに傷ついたかイーライは顔をしかめたが、小さな目に何やら決意を宿して、挑むようにドロシアを見つめ返した。
「きみは、その……おれの父親だという男と結婚させられるのが嫌で。それで大祭司長と組んで、呪法に手を染めたってことなんだね?」
「え。その話題に戻るの?」
眉根を寄せた少女に、イーライはカッと顔を赤くした。
「だって、きみたちの呪法は失敗したんだろ、こんなボーッとしたラピスなんかに阻止されて! こんなトロい奴に止められるようなショボい呪法で、いったい何ができるって言うんだよ! お、おれが、ちちち父親に、結婚はやめるよう言ってやるから! 『ドロシア・アリスンは、おれと結婚するから』って! だからさ」
「……どさくさ紛れに意味不明なこと言ったわね?」
「だってママは何度も言ってたんだ、『パパの浮気性と暴力と、何度も水虫をうつされるのが耐えられなくて離婚したのよ』って! そんな奴ときみを結婚させてたまるものか! だから、だから! もう……呪法なんてやめて、家に帰ろうよ……」
「イーライ……」
ラピスは感動した。
「あの、いつだって『おれ様一番』だったきかん坊のイーライが、自分を呪おうとした相手のことを気遣っているなんて……!」
そう心の声をそのまま漏らしてしまったほどに。
おかげで「うるせえラピスこの野郎! ぶっ飛ばすぞ!」と怒鳴られたが、彼の優しい面を見られたことが、本当に嬉しかった。
「僕、イーライの恋を心から応援するよ!」
義兄に幸あれとエールを送る。
が、ドロシアは秒で言い切った。
「ごめんなさい、イーライくん。ないわ」
「アンドどんまい、イーライ!」
「ラピスこの野郎! お前のせいだっ!」
涙目で突進してきたのであわてて逃げたが、イーライは雪に足が埋まって前のめりに転び、這いつくばりながら「なぜだーっ!」と雪に八つ当たりを始めた。
ふと気づけばヘンリックもがくりと膝をつき、「腹痛い、もう勘弁してカーレウム関係者たち……!」と涙が出るほど笑っている。
そんな彼らに、ドロシアが大仰なため息を漏らした。
「ショボい呪法とは失礼ねぇ。確かにあの方ですら、まさかラピスくんがこんな短期間で聖魔法を駆使するようになるとは予想していなかったでしょう。けど、大事なことを忘れてない?」
ジークがハッと空を見上げる。
青空に、遠く、黒い点のようなものが見えた。
それはみるみる近づいてきて、ピュイーィと鳴き声を響かせる。
騎士のひとりが「団長の鷹だ!」と指差した。
「ホルストは団長専用の鷹だよ。騎士団の緊急出動要請とか、危急のときの連絡鳥なんだ」
隣に立ったディードが、緊張した面持ちでラピスに教えてくれた。
危急と聞いてラピスも思い出す。
ドロシアは、王都が水不足だと言っていた。運が悪ければ火災も起きているかもと。
ジークが手早くマフラーを巻きつけ伸ばした腕に、黒い翼と金色の瞳の使者が迷いなく降り立ち、羽音をたてて大きな翼をたたんだ。
ギュンターがその脚から筒状のケースを外して文を取り出すと、ジークにも見えるように広げる。
ディードが身を乗り出した。
「なんて!?」
「ドロシア嬢の言った通り。王都で火災と水不足による混乱、それに乗じた略奪や乱闘も起きている。王都警備の第一騎士団だけではどうにもならない、巡礼は中止して、護衛騎士は全員王都に帰還すること、だとさ」
「みんな無事なの!? 父上たちのことは書かれてる!?」
小さな手紙をひったくらんばかりのディードに、「無事だと思うわ。まだね」とドロシアが言った。
「……まだ、だって?」
「そうよ。まだ、水不足と『運の悪い』火災程度で済んでる。なぜだかわかるでしょう?」
「なんだと! 何が『火災程度』だ、『運が悪い』で済ませられることか!」
全身に怒気を漲らせたディードに、ドロシアの顔もこわばった。
が、その緑の瞳に宿る意志は強固だった。
「なら言わせてもらうわ。これが王都以外の災害なら、皆さんはそこまで必死になった?」
「なに!?」
「これまでも国内外問わず、ひどい災害が起きていたわね。亡んだ国もある。けれど被害のなかった王都ではまるで他人事だったじゃない。アカデミーだって竜の警告を口では憂いつつ、本気で『欠けた力の対処法』を探そうとはしなかったわ」
「それは……」
ディードは唇を噛んだ。ドロシアの指摘が正鵠を射たからだろう。
クロヴィスも以前、問題を先送りするアカデミー派と衝突して王都を去ったのだと語っていた。
「陛下は! 陛下や王子たちは違う! アカデミー派から鼻で嗤われたって、ずっと諦めずに大魔法使いを捜し続けてきたんだからな! その苦労がお前にわかるか!? 本気じゃないなんて、お前なんかに言わせない!」
叩きつけるようなヘンリックの声からは、悔しくてたまらないと、乳兄弟として臣下として、本当に王家の人々が大好きなのだと、痛いほど伝わってきた。
だがドロシアは「なら、その本気を確かめさせてもらいましょう」と、冷淡な目を向ける。
「ねぇ、ディードくん。ラピスくんが『竜の書』を焼かないのなら、代わりに王都が燃えるわ。そうなれば王家の方々はもちろん、王都の民全員が犠牲になるでしょうね。それでもやっぱり、彼に竜の書を焼かせるという選択はしないの?」
「てめえ!」
ヘンリックが飛びかかろうとしたのを、ギュンターがあわてて止める。
だが成り行きを見守る騎士たちも殺気立っており、ほんの小さな火種で爆発しそうだ。みんな王都に大切な人がいるに違いない。
ラピスが声をかけるより先に、ディードが口をひらいた。
「なめるな」
「えっ」
目を丸くした少女を、凄みの宿った榛色の瞳が睨めつける。
「お前たちは『世界を壊したい』んだろう。なら結局、王都を燃やすだけで済ませるはずがない。それを止められるのは、グレゴワール様とラピスだけだ。あの聖魔法みたいに。アードラーもそれをわかっているからラピスの力を削ごうと必死なんだろう? ラピスが魔法を失ったら、奴の思うつぼだ。王都だけじゃない、世界が終わる。ぜったい、竜の書は焼かせない」
断言した第三王子を見つめ返す、底光りする緑の瞳。
重苦しい沈黙と、刺すような緊張感が場を支配した。
「……たとえばきみを殺したり、拷問でアードラーの居場所を吐かせたりしたら?」
いつもの優しい垂れ目の笑顔で、王太子が恐ろしい提案を口にした。と同時に、騎士たちが少女を取り囲む。
ドロシアはそれでも笑みを絶やさなかった。
「無駄なことですわ。わたしの安否はすぐにあの方に伝わりますから」
ギュンターも笑みを崩さない。
「やっぱりねぇ。ラピスの状態をグレゴワール様が把握しているようなものか」
自然、皆の視線がラピスに集まった――次の瞬間。
誰もが息を呑み、次いで悲鳴が上がった。
「「「ラピスーッ!」」」
「ほえぇっ?」
尋常でない反応に、ラピスも仰天して跳び上がった。
しかし皆が驚くのも無理はないのだろう。なにせラピスはとっとと炎魔法を発動させ、今まさに、『竜の書』を焼いているところだったのだから。
「な、ななな、なんでっ!」
「消せっ、早く消せーっ!」
あわてふためき駆け寄ってきたディードとヘンリックと、無言ですっ飛んできたジークに、ラピスはにっこり笑いかけた。
「これで、王都の人たちは助かるのでしょ?」
「「「ラピス!」」」
「僕はもともと、竜の書を持ってなかったんだ。でも歌は聴けたし、それに」
本当は震えている手を気づかれないよう、炎の勢いを強めて。
大切な水色の表紙の本が、一気に灰になるのを見届けた。
ラピスはふう、と吐息をこぼして、キッと顔を上げた。
「僕、とっても怒ってるの」
「お、おこ?」
「お師匠様は言ってた。『どういう理由があるにせよ、自分が気に食わない相手は壊していいなんて、そんな理屈は通らんよ』って」
涙の止まらぬディードに、「こうなったら」とうなずく。
「こ、こうなったら?」
涙と鼻水でびしょ濡れのヘンリックにも、グッとこぶしを握って見せてから、大きな声で宣言した。
「竜とお師匠様に、言いつけてやるーっ!」




