ドロシアの身の上話
アリスン家は地元では大地主として知られ、銀山も有する豊富な資金力を背景に、代々、国政の中枢に食い込む高官を輩出してきた。
しかし近年では鉱物資源の採掘量も減少の一途を辿り、長年培った人脈による政略的な婚姻が、勢力と財政を保持する最大の要因となっていた。
血筋や財力目当ての愛の無い結婚など、上流社会ではよくある話だ。
格式が保たれて、裕福に――社交界で面目が保たれるよう暮らせるならば、それこそが“良い”結婚なのだと。アリスン家の子供たちはそう教育されてきた。
ドロシアは四人姉妹の三番目。
国防長官である祖父は孫娘たちに甘いが、縁談は自分が決めて当然という考えを崩したことがない。我の強い祖父に、両親が反対意見を表明することもない。
そんなわけで四姉妹は皆、早々に婚約者を決められていた。
ドロシアの姉たちはすでに結婚して生家を出ている。
いよいよドロシアの番となったとき、祖父が「お前の婚約者を決めてきたぞ」と満足そうに言った相手は……祖父の親友の息子で、銀行家。最初の結婚が上手く行かず、女性不信気味だという男だった。
「うちの自慢の孫娘の中でも一番の別嬪さんのドロシアならば、女性不信なんぞ吹っ飛ぶだろう」
そう言って大笑した祖父の真意は、親友との友情のためなどではなく、彼の資産にある。王都にも不動産を多く抱えるという、その財力が目当てなのは明白。
そうでなければ、まだ十五の誕生日も迎えていなかったドロシアを、いくら裕福でも親子ほど年の離れた男の、しかも二度目の妻に据えようとは思うまい。
☆ ☆ ☆
「わたしの婚約者ってね、二人の子持ちなの」
「ええっ!?」
「長女は十六歳で、長男は十三歳。離婚した奥さんは準男爵家の令嬢。令嬢のほうから猛烈に求婚されて盛り上がって、親の反対を押し切って結婚したんだって。だけど結局、浮気されて離婚して。その際、自分も酔って娼婦と同衾してしまったものだから、強く出られなかったとか」
「十六と十三歳の子持ち!? しかもそんな情けない理由で離婚した男が婚約者だっていうのかい!?」
「そうよ。でもその元奥さん、その後も別の街で、ものすごく裕福な貿易商の後妻におさまってね。風の便りにそれを知ったわたしの婚約者は、『何かおかしい』とあれこれ調べさせたの。結果、どうやら元妻は、怪しい薬を用いて自分を罠に嵌めたらしいとわかったのだけど、あとの祭り。離婚条件の誓約書まで作らされてたしね」
「ひどい元妻だな! 男の敵だよ!」
「養育費はしっかり取られたのに、子供たちには会わない約束なんですって。親からも『あの女の産んだ子を孫とは認めん』と言われて援護なし。気の毒よね。わたし、母からその話を聞いたあとに、パーティーで婚約者殿と直接会ったの。お世辞にも器量よしとは言えなかったけど……いかにも人がよさそうで、わたしの幼さに引いてたわ。それを見て、ああ、祖父と違って良識があるんだわ、善人なんだろうな、確かにこの人なら悪人に簡単にだまされそう。そう思った」
「そうだね、男は人がいいだけでは駄目さ!」
「……ところで。さっきから、わたしとイーライくんのみの会話になってるんだけど?」
ひくりと引きつった笑みを浮かべたドロシアから見つめられたラピスたち着膨れ三人組は、「「「寒い寒い」」」と足踏みしながら身を寄せ合っていた。
いくら晴れて穏やかな天候でも、雪の世界でじっとしていると、足もとから冷えが這いのぼってくる。
「ラピスが風邪をひくから、手みじかに、結論から話してくれ」
ディードの注文に、「わたし、『話が長くなるけどいいか』って訊いたわよね!?」と少女の眦が吊り上がる。
「乙女がこんな哀れな打ち明け話をしているのに寒いと文句をつけてくるとは、どんだけ冷血なの!?」
「どっちが冷血だ。ラピスの竜の書を焼けなんて言い出す奴から、いきなりそんなドロドロしたお家の事情を聞かされても、どう反応しろと?」
ヘンリックも不満を打ち返し、ドロシアをさらに怒らせたので、ラピスは何かフォローせねばと懸命に考えて……
「あったか服魔法~」
とりあえず、みんなをあったかくした。
騎士たちも「わあ、これが噂の防寒魔法かあ」「これは良い!」と喜んでくれて、わいわい場が和んだのだが。肝心のドロシアが、
「ほんとだ、あったか~い♡……って、違うでしょう!」
雪壁を平手打ちしている。機嫌を直してはもらえなかったようだ。
「ごめんなさい……」
しょんぼりすると、「ちちち違うの、怒ってないのよっ」とあわてた様子になったが、ディードとヘンリックがラピスの肩を抱いてきて、口々に抗議した。
「ラピスに八つ当たりしないでくれるかな!」
「そもそも雪の中で待ち伏せするほうが考えなしなんだよっ」
「はいはい、わたしが悪うございましたっ! もうあなたたちに普通の反応は期待しません! こうなったら、でっかい独り言を勝手に語ってやるわ!」
「僕、ちゃんと聞いてますよ~」
「出しゃばるなラピス! ドロシア・アリスンの話はおれが聞く!」
一転、大騒ぎだ。
ドロシアは自棄になったように、「どのみち祖父が決めた人と結婚しなきゃならないんだから」と本当に勝手に語り始めた。
「顔はまったく好みじゃないけど優しそうだしのう。お金に不自由しないし、まあ、いっか。とドロシアは思ったのじゃ」
なぜか昔ばなしの語り口で。
「じゃ?」
ラピスが小首をかしげると、「可愛いのじゃ、ラピスきゅん」とうなずき、すかさずイーライも「じゃ!」と言ったのには無反応だった。
「でもこの通り、わたしってば面食いなのじゃ。ああもう、こんなにわたしは若くて可愛いのに、『なんでこうなった』と思わずにいられる? ディードくんならわかるでしょ? あなただって王子様だもん、政略結婚になるでしょうね」
ラピスはハッとしてディードを見る。
ロックス町での夜、未来の夢を語ったラピスに、『俺も、自由に将来を選びたい』と呟いた。
寂しげだった表情は、今はない。ドロシアをまっすぐに見つめ返している。
「たとえそうなっても、俺なりに選べることはあると思うよ。だって俺は『人任せにするタイプじゃない』し」
ラピスに向かって明るい笑みを浮かべる。
それはラピスがディードに言った言葉だった。
そして続けて「少なくとも俺は」とドロシアを見据えた。
「ラピスという人間を知った上で竜の書を焼けだなんて、そんな選択はしない」
「……ふーん。ま、出会いは人生を変えるわよね。それはわかるわ」
肩をすくめたドロシアは、どこか懐かしむような目になって話を戻した。
「わたしは婚約を受け入れたけど、大神殿によく通うようになったの。星竜の像に向かって、それは熱心に祈ったわ。『やっぱり美少年がいい!』と」
「……気持ちはわからんでもないが、美少年と結婚しても、どうせおっさんになるからな?」
ヘンリックは、もはや痛いものを見る目だ。無理に瘡蓋を剥がそうとしているときと同じ顔になっている。
ドロシアは「わかってるわよ」と呆れ顔だ。
「だから現実的に、金持ちの後妻でもいいかと自分を納得させたんじゃない。けど月殿に通ううち、初めて大祭司長様から声をかけてもらえたの。熱心な信者と思われてたのね。あれが運命の分かれ道だったわぁ」
アードラーの名が出て、静観していたジークたちの目つきが変わる。
ドロシアはそれにはかまわず、いたずらっ子のように笑った。
「怖いけど意外に気さくな方なのよね。婚約の件を聞いてもらったら、先方のことをご存知だったの。神殿にもたくさん寄付してるお家だから。で、興味深いことを教えてくれた。ちょうど婚約者殿の二人の子供たちが、アカデミー入学を希望しているって」
「え。アカデミー? 嘘だろ、そいつらアカデミーの学生なのかい?」
イーライは驚くばかりだが、ディードは何かに思い至ったらしい。同じく目を瞠ったジークとうなずき合っている。
ラピスにはアカデミーのことはわからないので、ただただドロシアの語る、別世界にも感じる話を理解しようと努めていたのだが。
ヘンリックが「うん?」と目をすがめて、イーライを見た。
「それってもしや、お前じゃね?」
そこでようやく、ラピスも気づく。
継母グウェンは準男爵家の娘で、その長女と長男の年齢も、後妻として入った家が貿易商であることも、ドロシアの話と符号する。
「ほえ。えっ。ええっ!?」
仰天しながらイーライを見ると、「なんだよラピスこの野郎」とすごんできたが、皆の注視の中、しばらくしてからピタリと動きを止め、パカッとひらいた口から、この日一番の大声が発せられた。
「おれえええええええっ!?」




