弟子入り決定!
「すごいですクロヴィスさん! 僕、継母上は許してくれそうもないなと思ってました。でも急に弟子入りを許してくれたし、それにそれに、僕は、僕は本当に……」
興奮のあまりぷるぷる震え出したラピスのおでこに、「落ち着け」と恒例の痛くない手刀が落とされる。それでもラピスの話は止まらない。
「本当に僕、あなたの養子になるのですか?」
「将来的にお前が望むなら、という話だ。嫌なら断れ、お前の自由だ」
「……よくわからないのですけど、僕、全然嫌じゃないのです。だってカーレウムの家には」
居場所がない。
……と言うのをためらったとき、ガタンと馬車が大きく揺れて、ラピスはちょっと舌を噛んだ。
「いひゃい」
「だから落ち着けと言ったんだ。とりあえず養子の話は、あのがめつい女が、のちのちラピんこの価値に気づいたときのための防衛策だからな」
「ほえ? 僕の価値? 防衛策……?」
二人はすでに、クロヴィスの家に向かう車上の人となっていた。
ラピスの荷物は母の形見の品と、例の『竜の書』くらい。
着替え用の衣服は一枚きりしか持っていなかったが、それすらクロヴィスから「そんな雑巾みたいなものを持ち込むな」と却下された。
ゆえに、せっかく二頭立ての立派な馬車で迎えに来てくれたが、荷台はからっぽだ。運んでいるのは、向かい合って座る二人と、馬車の中で待っていたあの幼竜ばかり。
「キュウ」とラピスの膝上からまん丸の目で見上げてくる竜の子は、傷もずいぶんよくなって元気そうだ。
クロヴィスは、ラピスのなめし革工房入りを阻止することを優先してくれていたので、幼竜の仲間を探すのは一旦おあずけになっていた。
けれどご機嫌そうな竜の子を見れば、大切にされていたことがよくわかる。
「防衛策とは、なんですか?」
「……お前の保護者があの女のままだと、お前はいずれ、国中から搾取される」
窓外よりもずっと遠くを見ているような目で、クロヴィスは呟いた。
「さくしゅ?」
首をかしげたが、答えは返らない。
よくわからぬままラピスは、屋敷でのクロヴィスと継母のやり取りを思い返した。
☆ ☆ ☆
クロヴィスは師弟関係を阻もうとした継母に、どこから入手したものか、なめし革工房の親方と継母が結んだ契約書の写しを見せた。
途端、継母の顔色が変わった。
「たった十二歳の子供を、こんなところに売りつけた人でなしが『親』とは、よく言えたもんだぜ。それにお前は、その才もないお前の子らを、ドラコニア・アカデミーに入学させようと画策してるだろう?」
継母は、キッと憎々しげにラピスを睨みつけてきた。
が、それはラピスが教えた話ではない。
すべてはほんの数日のあいだに、クロヴィス自身が集めた情報だ。
「う、売りつけたなんて人聞きの悪い! わたしはラピスのためを思って、手に職をつけさせようと」
「まともな親方に弟子入りさせるなら、普通はこちらが大枚はたいて『どうかよろしく』と頭を下げるもんだ。だがお前は逆に結構な額をもらっている。まあ、百歩譲って本当に『大事な子供』のために、大人でも耐え難い過酷な職場に十二の子を弟子入りさせるってんなら、お前の実子も同じ職場に弟子入りさせろよ。それが筋ってもんだろう?」
「なっ! た、他人が口出しすることじゃないでしょう!」
「アカデミーは見栄と綺麗ごとの世界だ。『竜の歌を解く才に恵まれた魔法使いは、その栄誉を民のため還元せよ』と、口を酸っぱくして教える。――表向きはな」
クロヴィスは一度話を切って、皮肉げに笑った。
「そんなわけで、年端もゆかぬ子を危険な工房に売っ払ったなんて噂が広まったら、そんな悪評のある家の子供を入学させねえぞ、あそこは。でかい神殿をひとつ建てるくらいの寄付をすればわからんが」
継母は顔を青くしたり赤くしたり、しどろもどろながらも食ってかかっていたが。
結局、クロヴィスの冷笑に一蹴され、
「竜識を学ぶ師弟契約および保護権の譲渡を承諾する」
という正式な契約を結ぶに至ったのだった。
二人が応接室で向き合ってから、一刻足らずのこと。
クロヴィスのあまりの手際の良さに、ラピスはひたすら口をあけて見つめるばかりだった。
(どうしてかなぁ)
幼竜を撫でながら、ラピスは心の中で呟く。
ほんの数日前に会ったばかりの人。
その素性も、知ったばかりの人。
「大魔法使いだ」と称しているのは真実だろう。継母にも心当たりがあるようだった。
かと言って、数日のうちに弟子入りとか、養子入りとか……
この事態はたぶん、普通ではない。それくらいは十二歳でもわかる。
だがラピスは、なぜか最初から彼を信じている。受け入れている。
幼竜に驚かなかったからだろうか。
幼竜が懐いていたからだろうか。
『竜の書』について、教えてくれたからだろうか。
(信じてくれたから……かも、しれない)
そう。クロヴィスは最初から、ラピスが竜の子を『保護した』と言ってくれたのだ。盗んだとは思わないと断言してくれた。少しの間も、なんの気負いもなく。
本当は、自分はけっこう傷ついていたのかもしれない、とラピスは初めて自覚した。
母を亡くし、父を亡くし。
すでにカーレウム家に自分の居場所はないのだと察してはいても。
継母たちと、仲良くなりたかった。
好いてもらえたら、嬉しかった。
努力したつもりだった。
でも彼らの中のラピスは、『幼竜を盗んでくるような人間』のままだった。
「キュウゥゥ」
鉤爪の小さな手が、ぺたりとラピスの手の甲に置かれた。
赤い目がじっとラピスを見上げている。
その瞳を見ただけで、自然と笑みがこぼれた。
「――あの森に寄って行くぞ」
「え?」
いつのまにかラピスを見つめていたらしきクロヴィスが、肩をすくめる。
「そいつの保護者も見つけてやらねばならんだろう。今度こそ気合いを入れて、成竜に遭遇しろ」
「わぁ……が、頑張ります!」
この子にも、保護者を。
その言葉が、暖炉のようにじんわりと、ラピスの心を芯からあたためていく。
『どうかどうか、お健やかにお過ごしください。必ずお手紙で近況をお知らせくださいね』
カーレウム家を出るとき、継母たちに挨拶をしたかったがすでに外出しており、代わりに執事や料理長や、いつも親切にしてくれた使用人たちが、目に涙を浮かべて見送ってくれた。
何度も何度も、『坊ちゃまをよろしくお願いいたします』とクロヴィスに頭を下げて(そして何度も『知るか。俺はお前らの指図など受けん』と返されて)。
皆の心配は伝わってきた。
ラピス自身、不安な気持ちが少しもなかったと言えば嘘になる。
けれど心に散らばっていた不安の欠片は、今、きらきらと光る砂になってどこかへ飛んで行った。
「あの、クロヴィスさんっ」
「ん?」
「七十歳過ぎてるって本当ですか?」
「……サバ読んだかも。八十過ぎかも」
本当におぼえていないように首をひねる、美しい青年にしか見えない相手に、ラピスの笑顔は全開になった。
「何歳でもよいのですけど、クロヴィスさんっ」
「いいのかよ」
「あの、あの、僕はあなたの弟子になれるのですよね? それなら、あの、『お師匠様』って呼んでもいいですか?」
クロヴィスは一瞬目を瞠り、フッと笑った。
継母に向けていたのとは違う、陽だまりみたいな優しい微笑みで。
「おう。師匠でも先生でも、好きに呼べ」
「はい! 好きに呼びます! ちなみに母様は、たまに父様を『あ・な・た』って呼んでました。そしたら父様はすごく喜んでいたのですけど」
「ヤメロ。俺は断じて喜ばん」
「あの、あの、お師匠様」
「なんだ」
「どうして僕を……」
弟子にしてくれたのだろう。
時間と労力を割いてくれたのだろう。
彼にとっても偶然会っただけの、見知らぬ子供だったろうに。
「あの、あのね、お師匠様」
「なんなんだ」
「僕、頑張りますね!」
「おう、励め」
「はい! でも、なにを頑張ればいいのでしょう」
クロヴィスの視線が、幼竜に流れた。
「……竜を識ることを。そして世界を識ることを」
「竜を識ること。世界を識ること」
「けどたぶんお前は、アカデミー上層部の連中なんかよりずっと多くのことを、すでにわかっているんだ、ラピんこ」
「僕が?」
目をパチクリさせて続きを待ったが、クロヴィスの目はまた窓外に向けられてしまった。
そうこうするうち馬車は、二人が出会ったあの森の入り口に到着した。
二人と幼竜で森に入り、しばらく歩いて、ぽっかりとひらけた草地に辿り着いた頃。
急に変わった風向きに驚き仰いだ空に、それは現れた。
遥か上空を突き刺す落葉樹たちが、強風にあおられ身をしならせる。
数えるほどになった黄葉が、季節はずれの蝶みたいに舞い落ちてきた。
「本当に来たなぁ」
クロヴィスが呆れたようにも嬉しそうにも聞こえる声を上げる。
その視線の先には、青空に湖が出現したように揺らめき光る、獣型の蒼竜が飛来していた。
体長的にまだ若い。
光の加減で紺色にも水色にも見える鱗は、遠目にも、腕の中の竜の子と同類の煌めきを感じさせた。
その証のように、幼竜はまん丸い目をさらに見ひらき、せわしなく鼻をすんすんさせて、接近してくる竜をじいっと注視している。
「ここまで来て、ここ、ここっ!」
ラピスは竜の子を掲げて、ぴょんぴょん飛び跳ねた。
「この子に見おぼえありませんかーっ!」
「叫ぶより、歌えないか?」
「ほえ、歌? なんの歌ですか?」
クロヴィスが何か答えようと口をひらいたが、先に上空から歌が降ってきた。軽やかに楽しげに、弾むような竜の歌。
応えて竜の子もラピスの腕の中で首を振り、嬉しそうに歌い出す。
「解いてみろ」
微笑んで――出会ってから初めて見る、心の底からくつろいだような笑みを浮かべて、クロヴィスが促してきた。
ラピスは母以外と、心おきなく竜の話をしたことがない。竜のことが大好きなのに、誰ともその想いを分かち合えずにきた。
でもこれからは違う。クロヴィス相手なら隠すことなく、好きなだけ竜について語れるし聴けるのだ。嬉しくて楽しくて、頬が火照るのを感じた。
「『別に親でも兄弟でもないけど、同類のよしみで連れてってやる』って言ってます。笑ってるみたい。あと、この竜の子は……地名? ぷれ、ぷれと? 山のふも、と、東の森って歌ってます」
「プレトリウス山の麓の、東側の森、だな」
満足そうにうなずいたクロヴィスの銀髪が、竜の鱗を反射したように煌めく。
「その森がどうしたのでしょう」
「行ってみたらいい。上手いぐあいに我が家の近くだ」
「そうなんですか!」
おおーと興奮するラピスにかまわず、クロヴィスは「自分で上まで行けるな?」と幼竜に話しかけている。
と、強烈な上昇気流が発生して、二人をよろめかせた。
「うわわっ!」
思わず声を上げて見上げると、梢越し、巨体がゆったり旋回している。その動きが新たな風を呼んだのだ。
素早く態勢を整えたクロヴィスがラピスを支えてくれたが、竜の子はブワッと放り出されたように空に向かった。
ラピスはとっさに手を伸ばすも、「キュッ」と可愛らしい声を残して、小さな竜は小さな翼をはためかせている。そのまま、気流が凪いでも、ぐいぐい上空へ。
やがて待機していた竜の鼻先まで辿り着くと、ぱくりと咥えられて、そのままぽーんと背中に放り投げられた。そうして翼のあいだに幼竜が納まると、飛竜はバサリと翼をはためかせ。
巨体の飛行がまたも強い風を吹き下ろし、竜たちの姿は、みるみる空に同化して見えなくなった。