ラピス、釣られる
「……まさかそっちの方向で怒られるとは思ってなかったわ」
「おう、ラピスの天然っぷりをナメるなよ!」
目を丸くしたドロシアに、ヘンリックが挑発するように舌を出して見せた。
天然、という言葉に、ラピスは小首をかしげたが、咳払いをしたドロシアが「ま、まあ、その言葉は、あの方に伝えておくわ」と話を進めたので、そちらに集中することにした。
「あの方とは、アードラーのことかい」
王太子の問いに、ドロシアは瞬間、動揺を見せたが、すぐに「ご明察です」と笑みを浮かべた。
まだ古竜の骨について聞かされていないほかの騎士たちは話の流れについていけず、いきなり出てきた大祭司長の名に困惑した様子で、しきりに視線を交わしている。だがドロシアは彼らなど眼中にないようで、楽しそうな笑みをラピスに向けた。
「もうじきラピスくんも再会できるわよ。わたしは、そのためにここに来たんだもの」
「どういうことだよ」
ディードが、ラピスを庇うように前に立った。
ドロシアは薄笑いで、手持ち無沙汰な様子で彼女のうしろに立つイーライを親指で示す。
「彼を返してあげる代わりに、ラピスくんがわたしと一緒に来てちょうだい」
「「「はああ!?」」」
ディードやヘンリックばかりか、取り囲む騎士たちの口からも、何重もの「はああ!?」が飛び出し、イーライがビクッと小さな目を剥いた。
しかしドロシアは平然と、「ラピスくんのお義兄さんなんでしょう?」と、ラピスを見――ようとして、壁と化したディードに阻まれた。
「ちょっと、どいてよ! ラピスくんが見えないじゃない!」
「ディ、ディード?」
皆の反応の早さについていけずにアワアワしていたラピスは、目の前の肩をつついたが、ディードは退かずに「馬鹿らしい」と吐き捨てた。
「ラピスはすでにグレゴワール様の子息であり、そいつとは無関係だ」
「そうは言っても」
ドロシアは挑戦的に言い放った。
「わかってるわよね? 大魔法使い様の加護魔法をかいくぐるほどの呪法を、こちらは使えるの。だからイーライくんを呪殺するくらい、簡単なのよ?」
ラピスは驚き、ドロシアを見――ようとしたが見えないので、ぴょんぴょん跳びはねた。それでもドロシアは見えなかったが、青い顔でよろめきながらあとずさる、イーライが視界に入った。
「ラピスが同行しないと、そいつを呪い殺すと脅迫してるのか?」
「ええ。もしくは、死んだほうがマシという苦痛を与えるとか?」
「ひっ、ひいいぃっ!」
転び出たイーライが、雪まみれになって叫ぶ。
「ちくしょう! おれの護衛役は、騎士たちはどうした! 早く助けろぉ!」
「お前の姉ちゃんがゴルト街に連れて行っちまったよ」
ヘンリックが親切に教えてやった。「そんな女にフラフラついて行くからだ」と付け加えて。
「そんな女とは失礼ね。まあいいわ。そういうわけで、ラピスくんとイーライくんの交換を――って、ちょっと!?」
ため息をついて振り返ったディードが、「やれやれ」とラピスの肩を抱き、橇へと踵を返す。ヘンリックやジークもそれに続いてドロシアに背を向けたものだから、少女のあわてた声が追いかけてきた。
「ちょ、人の話を」
「待てーい!」
がなり声がドロシアの声をかき消す。
イーライが必死の形相でこちらに手を伸ばしていた。寒さのためか恐怖のためか、涙と鼻水を垂らした顔が真っ赤だ。
「お、お前らなあ! おれ様が呪い殺される危機なのに、なぜに普通に帰ろうとしている!」
ヘンリックがため息をついた。
「逆になんで、お前のためにラピスを差し出すと思えるんだ?」
「その逆に、なんでおれを最優先と思えないんだよっ!」
「馬鹿じゃないの」
「なんだとーっ!」
確かにイーライとラピスは、良好な兄弟関係とは言えなかった。
だが自身が呪詛された夜の恐ろしさを思えば、このまま義兄を見放すことなどできはしない。
ラピスは精いっぱい力強く、キリリと騎士団長に訴えた。
「ジークさん! 僕とイーライを交換してください!」
「駄目だ」
「えぇぇ」
即座に却下されて、情けない声が出る。
「俺はラピスの護衛役だ。命を懸けてきみを守ると、グレゴワール様に誓った。あの少年は気の毒だが、ラピスと引き換えにする選択肢はない」
「で、でも」
「そうだねぇ。力ずくであの娘を捕らえることもできるけど……ほら、あれ」
いつのまにかそばに来ていたギュンターが、ドロシアの護衛役である騎士たちを指差した。
制服の色と紋章から見て、第三騎士団所属ではないようだ。
彼らは先ほどから無言で、折り目正しく待機しているものの、こちらの騎士たちと違って、どんな会話にも反応を示さない。
その視線は護衛対象と周囲の動きとに油断なく向けられているが、よくよく見れば、五人中五人ともが、そっくり同じに、顔と視線を動かしている。
まるで、からくり人形のよう。
寒さのせいでなく、ラピスは怖気立った。
「彼らもたぶん、なんらかの術をかけられているよねぇ。となると“人質”はイーライくんだけじゃない。ドロシア嬢は少なくともアードラーと合流するまで、護衛役を解放する気はないだろうから、イーライくんを返しても五人の人質は確保したまま。そもそも不公平な交換条件なんだよ」
「またもご名答」
ドロシアは、いたずらっ子のように笑う。
「まあ、上手くいくとは思ってなかったし。わたしと一緒にあの方に会いに行くのが嫌なら、それでもいいわ。でもたぶん、あちらには、グレゴワール様も来るわよ」
「えっ! お師匠様が!? それを早く言ってください、行きます行きますっ」
駆け出しかけたところを、あわてたディードとヘンリックに止められた。
「ラピス! だまされやすすぎ!」
「そして釣られやすすぎ!」
「ほへ。嘘なの?」
きょとんとすると、ドロシアまで「ほんとに可愛いんだから」と苦笑した。
「嘘じゃないわよ。推測ではあるけど。だってあの方は、グレゴワール様と再会するときのために、大魔法使いの力を削いでおきたいんだもの。ラピスくんという、稀代の大魔法使いの最大の弱味を握ってね」
「――グレゴワール様に何をするつもりだ」
氷点下の大気より冷酷なジークの声と、一瞬で凍りつきそうな眼が、ドロシアを射る。
少女は「ひゃっ」と声を上げ、イーライのうしろに隠れた。
「わ、わたしは詳しいことは知りませんよ、アシュクロフト様っ。やだもう、ほんと大人はこれだから嫌。ほんと美少年以外は認めん!」
盾にされているというのに、イーライはちょっと嬉しそうだ。背後をちらちら振り返っているが、ドロシアは彼には目もくれない。
「怖い顔で脅したって無駄ですからね!」
「先に脅迫してきたのはそっちだろう」
ディードの呆れ声は聞き流された。
「ラピスくん。一緒に来なくても、もうひとつの条件だけは同意してもらわなきゃ困るの。あの方から厳命されているから。同意してくれないと、この騎士たちにかけられた呪法が発動して、ひどい死に方をすることになっちゃうのよ。ラピスくんは見たくないでしょ? 目の前で彼らが、全身の穴という穴から血を噴き出して死ぬところなんて」
ビリッと、ドロシアとイーライを除く全員が殺気立つのをラピスは感じた。
「それは見たくないです! 条件てなんですか?」
ドロシアはいちいち「うぅ、やっぱり可愛い」と相好を崩す。が、へらりと笑ったまま、とんでもないことを言った。
「ラピスくんの『竜の書』を、燃やしてちょうだい」




