ラピス、久々に睨む
ヘンリックが言った通り、進行方向を塞ぐかたちで停まっていた馬橇の前に、雪に映える赤い髪と外套姿のドロシアが立っていた。
ラピスが橇を降りると、手を振りながら駆け寄ってくる。
「お久し振りねっ、ラピスくん! ああぁ……なんてこと、少し会わないあいだに愛らしさに磨きがかかってるうぅ。まっちろお肌に桃色ほっぺで、雪の精でしゅか~? たまらん」
後半はブツブツした呟きでよく聞こえなかったが、これまでと特に変わりなく、いつもの調子だ。
とはいえ、こんな辺鄙な雪道で偶然出くわしたとは、さすがのラピスも思えない。
「うう~」と寒そうに唸りながら足踏みしている様子を見ても、けっこう前からここで待っていたのではなかろうか。
そして――こうして対面してみればごまかしようもなく、ドロシアが近づくほどに、ラピスの肌がチリチリと痛んだ。
ラピスにとっては、初対面のときから親切にしてくれた女の子という印象のままなのに。わけがわからないから、とにかく、話を聞きたかった。
「こんにちは、ドロシアさん! 鼻水出てますけど大丈夫ですか!」
「ぎゃっ、ほんとに!? ていうかそれ大声で言わないでほしいやつ! やだもう、寒くて垂れてる感覚すら麻痺してた」
「ハンカチをどうぞ」
「あ、そこはヒソヒソ声じゃなくていいのよ? いえいえ、天使のハンカチをわたしなんかの鼻水で汚せないわ~。もう、ほんと相変わらず可愛い上に優しいんだからあ」
「何しに来たんですか、あなたは」
ディードの冷たい声が、会話を断ち切った。
にこやかだった少女の口元がひくりと歪む。
ドロシアは何か言い返そうとして、取り囲む騎士たちからも注視されていることに気づいたらしく、ささっと髪を撫でつけると綺麗にお辞儀をした。
「ごきげんうるわしゅう、王太子殿下。そしてリンシュタット公ディーデリヒ王子殿下。その節は大変失礼いたしました。粗忽者にて、高貴な方々のご尊顔を存じ上げず」
「今さらそういうのいいから。鼻水垂らすほど寒い中、待ち伏せしていた理由を率直にどうぞ」
「おほほ! では遠慮なく、そうさせてもらおうかしら! ほんと最初っから可愛いくせに可愛くないわよね、あなた!」
宣言通り、遠慮なくこれまでの態度に戻ったドロシアに、ディードが「は? なに言ってるんだ?」と眉根を寄せる。ラピスも隣で小首をかしげた。
「わかってるわよ、本題に移るわよっ。あとラピスくんたら、その首かしげる癖きゃわゆいっ!」
ドロシアはやはりよくわからないことをまくしたてつつ、自分たちの馬橇に向かって「さ、出てきてちょうだい!」と声をかけた。
それまでまったく存在感なく、橇のうしろに隠れていた者がいたのだ。
「あっ!」
その人物の顔を見て、ラピスは思わず大声を上げた。
「イーライ! 無事だったんだねっ」
「ぶ、無事で悪いか!」
そう。ラピスの義兄、イーライだ。
ロックス町でディアナとはぐれたと聞いていたが、ようやく安否がわかった。ラピスは心からほっとした。
ただ、やはり寒いのか歯をカチカチ鳴らしているし、ふてくされていると同時に心細げにも見える。ドロシアが肩をすくめた。
「言っとくけど、この人は勝手について来たのよ。前からわたしに見惚れてるのは知っていたけど、まさか一緒に来ちゃうとは予想外だったんだから」
イーライがドロシアを『追っかけ回してた』とディアナが言っていたが、その通りだったらしい。おかげで疫病の町から脱出できたのだから、幸運と言えるかもしれないが……。
「ドロシアさん、よくロックス町から出られましたね!」
どうやって出たのだろう。町長に話を聞いたときから、それが不思議だった。
ジークの部下のプレヒトが伝書鳩を飛ばす隙すら、待ちに待って、ようやく見つけたらしいのに。殆どの人が入った途端に閉じ込められた町から、どのように出て行ったのか。
赤毛の少女は、にっこり笑った。
「うん。わたしが脱出するための時間は、あったのよ」
「え」
「ごめんねラピスくん。その辺はまだ詳しく教えてあげられないの。さっきから第三王子殿下が睨んでるから、話を進めなきゃいけないしね」
ドロシアの視線がディードに流される。
ふたりのあいだに火花が飛び散るのを、ラピスは見た。
「……わたしが呪法に関わっていることは、もう気づいちゃったわよね」
ずばり切り出したドロシアに、ラピスは目を瞠る。
わかってはいたが、いざ本人の口から言われてしまうと、ズシリと重石を乗せられたような衝撃があった。
「ほんとにほんとなの……? ドロシアさん」
「あうぅ。ごめんねぇ。ラピスくんには本当に申しわけないと思ってるのよ。でもね」
「「申しわけないじゃ済まないだろう!」」
激高したディードとヘンリックの声が重なった。が、すかさずギュンターが二人の口を塞ぐ。ジタバタ抵抗するのを封じている間に、ジークが「で?」と先を促した。
ドロシアはまた肩をすくめて……
「ラピスくんは大魔法使い様から、完璧な加護魔法をかけられるだろうと。そのことは巡礼が始まる前に予想されていたの。だから呪法を成功させるためには、手間暇かける必要があったのよ。そのためにまずは、ラピスくんに好意しか持っていないわたしが、『呪詛の橋渡し』になる必要があった。……これ、わかる?」
ドロシアが天鵞絨の小袋から取り出したのは、小指くらいの大きさの、白っぽい欠片。
それを目にした途端、ラピスの全身が粟立った。
どろりと、溶けた腐肉が黒くひろがり、大気に染み出すような錯覚。
およそ人が持ち得る、ありとあらゆる負の想念――憎悪、嫉妬、怨嗟、恐怖、傲慢、強欲、殺意、後悔――胸が悪くなるような悪臭を発する怨念が、その小さな欠片から放たれている。
誇りも尊厳もない呪具。
哀れな姿に変わり果てているが、ラピスにはすぐわかった。
「古竜さんの骨」
「ええ、そうよ。わたしはこれをずっと持っていたの。わたしはラピスくんに害意がないどころか好意しかないから、加護魔法に引っかからない。でもこの呪具から放たれる呪詛の力は、ちょっとずつ確実に、あなたを取り巻いていった。そして呪いの力が必要程度、蓄積されたところで、一気に呪詛を強めたわけ」
心底同情する、という表情で、ドロシアはラピスを見ている。
ギュンターの制止を振り切ったディードが、「どうかしてる」と吐き捨てた。
「よくもそんなことを、ラピスの前で言えたものだな!」
「何を怒ってるの? 話せと言ったのはそっちじゃないの」
本当に理解できない、という顔で。
ラピスは思わずへたり込んでしまいそうなほど、悲しくなった。
「どうして、こんな……ひどいこと……」
途端、ドロシアの目が潤む。
「ああっ! ごめんねラピスくん、泣かないで! あなたを悲しませたくなんかないの、本当よ! でもこれは、この愚劣な世界のために必要なことで」
「ラピス! こんな奴のために傷つく必要ないよ! 結局、呪詛は失敗したんだからな! ざまあみろ!」
ヘンリックの言葉に、ラピスは「でも」とフルフルと首を振る。
「骨は戻らないから……」
「へ? 骨?」
ぱちくりと瞬きしたヘンリックにうなずいた。
「だってこれ、割れ目が新しいもの」
ディードやヘンリックやドロシアだけじゃなく、厳しい顔で見守るジークら騎士たちの表情にも、当惑の色が浮かんだ。
ギュンターが「ラピス?」と窺うように訊いてくる。
「呪詛の告白にショックを受けた……わけじゃ、ないのかい?」
「それはもちろんショックです。でも僕のことなんかより、古竜さんの骨が」
「ほ、骨がどうかした?」
問いかけてきたドロシアに、ラピスは目を潤ませて首肯を返した。
「たぶん、お師匠様が持ち込んだ骨はもっと大きかったんですよね? 割って使ったのでしょ?」
「そ、そうだけど」
「なんてことをー! お骨を、古竜さんのお骨を! 利用するために割っちゃうなんてえぇ! それも乱暴に割ったね、割れ目がボロボロだもの! 可哀想にいぃぃ」
目を白黒させるドロシアの手の上の白い欠片に、ラピスは手を合わせた。
それから、キッと少女を睨み据える。
誰かを睨むなど、いつ以来だろう。
「呪詛するならするで、大切に! 感謝して! 使うべきですよっ! ものを粗末にしてはいけません! ましてお骨をぞんざいに扱うなんて、言語道断!」
その場に風花と沈黙が落ちる。
しばし呆然とラピスを見つめていたドロシアが、
「怒るの、そこ?」
と呟くと、ギュンターが、次いでディードとヘンリックが、「ブフッ!」と思い切り噴き出した。
それにつられたか、騎士たちも肩を震わせ出す。
笑っていないのは、きょとんとしているラピスと、あぜんとしているドロシア。そして、
「お前ら絶対、おれのこと忘れてるだろう……」
ふくれっつらのイーライだけだった。




