あいつじゃね?
「古竜の骨は、解呪をしないと見えないし触れないって? そんなこと、まったく知らなかったよ。父上からも教えられてないしぃ」
ぶぅ、と唇を尖らせ不満顔をして見せるギュンターに、ディードが「王位の継承時に伝えられるはずだったのでは? すねて見せても砂粒ほども可愛くないからやめてほしい」と冷たい視線を向けたが、一転、ラピスを見る目は輝いていた。
「でもすごいね、さすが大魔法使いだよね! 見えなくするばかりか触れなくする魔法なんて、すごすぎるよ! ラピス。きみのお師匠様は本当に偉大だね!」
「うんうん! お師匠様はすごいよねぇ!」
きっとラピスの目も負けずにキラキラしているだろう。
こぶしを振り振り、「それに本当に優しいし、月の精かと思うほど綺麗だし、いい匂いだしねっ」と同意を求めたが、「匂いまでは嗅いだことない」と言われてしまった。
そんな二人と、「弟が冷たい」と泣き真似をするギュンターとを黙って見ていたジークが、「ならばやはり」と低く呟いた。
「古竜の骨を持ち出せたのは、アードラー大祭司長で決まりなのだろうな」
「そうだねぇ……」
いつも優しげなギュンターのタレ目も、一瞬、険しく光る。
「本物はとうに持ち出していて、堂々と偽物を置いていたってわけだ」
「信じられない」とディードが眉根を寄せた。「どうして大祭司長が」
「さて。考えてもわからんだろうねぇ、今の段階では。こうなったらやはり一旦、城に帰るのがよさそうだ。あちらで何か情報を仕入れられるかもしれないからね。いいな? ディード」
「え。帰るなら兄上ひとりで帰ってよ!」
「だーめ。そろそろ本気で父上が心配してる頃だ。わかるだろう」
「……」
反論できずに兄を睨みつけるディードを、「ラピスだって引き上げる頃合いなんだから」となだめるギュンターの声を聞きながら、ラピスは、ゴルト街で対面した大祭司長のことを思い出していた。
(悪い人だとは、感じなかった……)
子犬だって、ちっとも警戒せず彼に寄って行った。抱き上げる手も優しかった。
面白がるような灰色の目も、張りのある声も、なぜか既視感があって。クロヴィスと似ている気もしたが……。
(でも、やっぱり似ていない気もする)
だがひとつ、思い出したことがある。
アードラーと話したあのときも、チリチリするような肌感覚があった。ドロシアがそばにいたときと共通の感覚。クロヴィスはそれを「呪法の気配」だと言った。
ならばやはり、アードラーが呪法のために古竜の骨を盗み出し、ラピスを呪詛した張本人なのだろうか。だがなぜだか、そう思いたくない。
「どうしてかなぁ……」
☆ ☆ ☆
翌日。
何度も引きとめられ、別れを惜しまれながら、ロックス町をあとにした。
「本当に、何度お礼を言っても足りないわ! 町民一同、皆様へのご恩は一生忘れません。代々語り継がれることでしょう!」
ベスター町長を筆頭に大人から子供まで、動けるようになった者は全員が見送りに来てくれたのだが、小さな子たちは「ラピスくん、行っちゃイヤ~」と泣き出してしまい、ラピスは「泣かないで~」とオロオロしてしまった。
その光景につられたか、大人たちまで涙ぐんでいた。
「ほんと残念……しばらく滞在してほしかったのに。ラピスくんを見てると元気が出るもの」
「うんうん。あのお薬の奇跡の治癒効果には、絶対ラピスくん効果がプラスされてると思う!」
「怖い女房にくたびれきった心にも効きました」
「まだ全然恩返しできていないのにぃ!」
皆がそうして元気に回復してくれたことが、何よりの返しでご褒美だ。
それをそのまま伝えると、「もう、可愛いんだからっ!」と町長のふくよかな腕で抱きしめられ、「ずるい町長、わたしもっ」「わしもっ」などと揉みくちゃにされて、ジークが救出してくれたのを機に、三台の馬橇を連ねて町を出たのだった。
空は雲もまばらで、雪に反射した陽射しが眩しい。
相変わらずラピスたちは着膨れしているが、風も弱く、『あったか服魔法』を使わなくても平気なくらいに過ごしやすかった。
「本当にラピスは、どこに行っても大人気だよね」
思い出したようにギュンターが笑う。
「さすが、あのグレゴワール様が溺愛するだけあるよ」
「お師匠様は愛情深い方ですから!」
最近は、クロヴィスの悪評を耳にすることも激減した。
ベスター町長からも、こう言われていた。
「大魔法使い様によくよくお礼を伝えてちょうだいね。よくぞ天使を遣わしてくださいました、と。お弟子さんがこれほど尊いのだもの、大魔法使い様はきっと、神々しいようなお方に決まっているわ!」
天使とか尊いとかは脇に置き、それ以外は全肯定した。
「はい! お師匠様は僕なんか比べものにならないくらいすごくて、神々しい方です! なんでも知ってるしなんでもできるし、優しくて強くてかっこよくて綺麗でいい匂いで、それからそれから」
言ってる途中で「はいはい、どうどう」とヘンリックに止められてしまったのだが……それでも思い出しては嬉しくて、知らずヘラヘラと頬が緩んでしまう。
そのとき、ディードがぽつりと呟いた。
「はあ……。帰りたくないなぁ」
途端、寂しい現実を思い出す。
これからまたゴルト街に戻って、旅の支度を整えたら、みんなで王都へ戻る予定だ。ラピスに雪山での巡礼は無理だとジークが判断したため、巡礼はここで一旦終了、春になったら再開しようということになった。
ラピスはさらに、クロヴィス宅のあるクリオ村まで帰路が続くわけだが、クロヴィスが現在どこにいるかわからないので、とりあえず王都で待つことになった。
ただ、ディードもギュンターも、立場上、自由に動き回るのは限界がある。
今回は、ようやく大魔法使いを発見し、その愛弟子が巡礼に参加するという特別な事情があったため、国王や第二王子の協力も得て、同行が叶ったらしい。
だがこの先も、これほど長期間の自由行動が許される可能性は低い。雪解けを待って巡礼を再開したとしても、そこにディードたちはいないかもしれない。
「……こんなにワクワクしたこと、今までなかった。ラピスのおかげ。ありがと」
ディードはそう言って、つらそうなのに一生懸命笑うから、ラピスの笑顔は引っ込んで、じわっと目の奥が熱くなった。
ラピスとて、近しい年の少年と、こんなにずっと一緒に過ごしたのは初めてだった。会えなくなるなんて実感が湧かないけれど、悲しさはじわじわと迫ってくる。
「ね、ディード。絶対にまた一緒に巡礼できないと、決まったわけではないのでしょ?」
きゅっと外套の袖を引っ張ると、「うん……」と浮かぬ顔の返事。しかし。
「ぼくは普通に参加するけどね? 巡礼再開が楽しみだね、ラピス!」
ヘンリックが首を伸ばしてラピスの顔を覗き込み、その頬をディードがつねった。
「痛い! 何すんだよディード!」
当然ヘンリックは食ってかかったが、ディードは平然としている。
「ごめん。あまりに無神経なお前の顔にイラついた」
「正直か! それで謝ってるつもりか!?」
「謝ってないと言えるか?」
「え……あれ? 謝ってる、か……? あ、ごめん」
「わかればいいんだ」
ギュンターが苦笑している。ラピスも笑ってしまった。
なんだかんだ言ってディードは、ヘンリックがいると元気になる。お城で兄弟みんながそろえば、さぞ賑やかなのだろう。ラピスには家族と呼べるのはクロヴィスだけだから、素直に羨ましかった。
「きっと二番目のお兄さんも、ディードが帰ってくるのを楽しみにしてるだろうね」
「そうだね。アロイス兄上は……って、そういえば」
「うん?」
「巡礼参加登録日に、ラピスはグレゴワール様や団長と一緒に、学術研究棟へ行っただろ?」
「あ、うん! おぼえてるよ~」
クロヴィスが昔の友人たちに会いに行ったときのことだろう。ラピスも彼らに紹介してもらった。
「あのとき、俺はあそこの一階にいて、様子を見にきたアロイス兄上と喋ってたんだ。そしたら挙動不審な女子が、こっちを見てて……それがドロシア・アリスンだったんだ」
「そうなんだぁ」
またも失念していたが、ドロシアは、ラピスにかけられた呪詛に関わっているかもしれない。そんなふうには思えないのだけれど。
ディードは別意見らしく、怖い顔になった。
「どこに隠れたか知らないけど、もしも王都で見かけたら、絶対とっ捕まえてやる」
そう言った直後、馭者台の騎士が「団長!」と声を上げた。
眠っているのかと思うほど静かだったジークが顔を上げ、ラピスも視線をそちらへ移す。前を走っていた馬橇が速度を落としながら、合図を送ってきたようだ。
どうやら前方に、別の馬橇が停まっているらしい。
完全に橇が止まる前に、ジークとギュンターが飛び降りた。
身を乗り出して前方を確認したヘンリックが、「あれ」と指差しながらラピスとディードを見た。
「あいつじゃね? ドロシア・アリスン」




