捨て切れぬ過去
「ちっくしょう……」
偽物の『古竜の骨』が鎮座する小箱を前に、クロヴィス・グレゴワールがガックリと肩を落としたのは、ゴルト街でラピスたちと別れた翌日のこと。
例によって『近道』を駆使して訪れた、王都ユールシュテークの大神殿の、奥の奥。ごく限られた者しか立ち入ることのできない『儀式の間』のさらに奥に、『封印の間』がある。
そこには、特に重要な儀式の祭具が厳重に保管されているのだが、それは表向きの説明で。
本当の目的は、歴代の大魔法使いたちが入手した、強大な魔力を秘めし品――多くは古竜の躰の一部である、『呪具』と呼ばれる物たち――を、悪用されぬよう監視することにある。
大魔法使いの称号を得た者は、国王や大祭司長と同じく、封印の間に入る権利を有する。
が、何十年も前に王都を去ったクロヴィスを、衛兵たちが顔パスで通すわけもなく。腕ずくでも魔法ずくでも入るだけなら簡単だが、確かめたいこともあったので、クロヴィスは平和的な手段を選択した。
つまり、副祭司長のゾンネを脅して扉を開けさせたのだ。
「わ、わかった、わかったからっ。もうクソを食わせるのはやめてくれ!」
涙目になったゾンネは、『クソ食らえの刑』が、よほどこたえたと見える。正確には『クソのにおいを食らえの刑』なのだが。
ついでにパウマンだとかいう祭司も一緒になって、「竜に仕える方ならば、お慈悲を!」と、ゾンネの頬肉同様、プルプル震えながら叫ぶので、非常に鬱陶しかった。
「わーったから早く開けろ!」
封印の間へ移動しながら、クロヴィスはゾンネに、大祭司長は今どこにいるのかと尋ねた。
が、竜王の祭壇での祈祷を断念し早々に帰途についたはずだが、現在どの辺りにいるのかはゾンネにもわからないという。
「干渉を嫌う方なのでな」
「何人目の大祭司長だ? 俺が古竜の骨を預けたクラインミフェル爺さんから数えて」
途端、パウマンが「先々代の大祭司長様を、爺さん呼ばわりとは!」と震えながら抗議してきた。
「爺さんの次の大祭司長は、就任から、ほんの数年で亡くなったんだろ」
「また無視ですか!」
「アードラー様は、きみが去ってから三人目だが……まさか知らんのか? きみが?」
嫌味ではなく、ゾンネは本気で驚いているようだった。
その間にパウマンが力説する。
「アードラー様は尊敬すべきお方ですよ! 聖道を志し入信されたその日のうちに、裕福なご実家の財産を惜しみなく喜捨し、地位も肩書きも名も捨て去り、高位に就こうといかなる聖務も怠らず」
クロヴィスの頭で、情報が渦巻いた。
故クラインミフェル大祭司長は、珍しくアカデミー派と距離を置き、中立的な立場を守る人物だった。だから彼ならばと古竜の骨を託した。
けれどその後クロヴィスは国王と決裂。
アカデミーとも絶縁して王都を飛び出してからは、竜と竜の歌を追うことばかりに目を向けてきた。現在の大祭司長についても、名前と人物評くらいしか知らずにきた。
正直、王都に関することは聞きたくもなかったのだ。
若さと怒りに任せて飛び出したこと自体は、後悔していない。しかし自分が持ち込んだ呪具に関しては、責任を持つべきだったのだと。
今、偽物の古竜の骨を前にして、クロヴィスは己の浅はかさを呪った。
――愛弟子のため、完璧に施したつもりだった加護魔法。
なのにまんまとそれをすり抜け、よりによってラピスへの呪詛に用いた者がいる。
その事実を知ったときは心配と悔しさのあまり怒り狂ったが、すぐに呪具の存在に思い至った。
呪具が利用された可能性は高い。ただしどれほど強力な呪術師だとしても、呪具だけで即、大魔法使いの加護魔法を凌げるものではない。
それは自惚れではないとクロヴィスは思う。
(呪具は、思念を増幅させる器だ)
大きな魔力を秘めており、善くも悪くも、扱う者の思念を増幅する呪具。
心ある者なら、古竜の躰の一部を、私欲で利用しようとは考えない。残存魔力も長いときを経てやがては消滅するし、それまでは安置して、良き頃に丁重に供養しようと考えるだろう。
だからあえて利用しようとする者は、多くが呪法目的なのだが……
それでも竜氣を与えられた大魔法使いと呪術師とでは、使える魔力の桁が違うはずだった。
「おい、まだか。いったい何をしにきたんだね。古竜の骨がどうかしたのか」
扉のそばで待っているゾンネが、こわごわ様子を窺ってきた。
クロヴィスの目的は気になるものの、関わり合いたくはないと見える。
クロヴィスはちらりと、揺れる頬肉に目をやった。
「おい、この骨について知っているか」
「当たり前だろう。かつてきみが持ち込んだ古竜の骨だ」
「いつから失くなっていたんだ?」
「なんだって? 何が失くなったって?」
ほかの呪具は別として、この古竜の骨を封印したのはクロヴィスだ。
『解呪しなければ見えないし触れない』という魔法も自己流。
その事実を誰に教えるかは、大祭司長と王で決めるよう、当時クラインミフェル大祭司長と話し合った。
そして現在のアードラー大祭司長は、副祭司長にも魔法の内容を教えていないらしい。
(当然だな。持ち出す気なら、事実を教えるはずがない)
アードラーが持ち出したと考えれば、すべて辻褄が合う。
国王ならば、見えないはずの古竜の骨が見えていること自体には気づくだろうが、大祭司長がなんらかの理由をつけて「解呪しておきました」と言えばやり過ごせる。
クロヴィスは王都を嫌って寄りつかなかったから、偽物を見る機会自体がなかった。
よって簡単に持ち出せた。念入りに盗難防止をしたつもりが、逆手に取られた。
――そのせいで、ラピスを危険に晒した。
「……これを呪法に用いる方法を、知っているか」
「なんだと!? ままままさか、それが目的でここに来たのか!?」
「バーカ。んなわけあるか。まあ、どっちにせよ、お前らにゃ無理だな」
「当たり前だろう! きみがどれだけ我らを見下しているか知らんが、これでも聖職者であるぞ!」
「人一倍、欲と執着が強いくせに、聖職者ヅラなんぞするから見下してるんだ」
「なっ」
ここにパウマンがいたらまたうるさく抗議されたろうが、一祭司の彼に入室の資格は無いので、少し離れて廊下で待機している。
ゾンネのように俗欲にまみれた男は、手にした富と権力をみすみす失うような真似はしない。呪詛を企てる理由もない。
ラピスの巡礼を妨害しようとしたのも、クロヴィスを出し抜きアカデミー派の者に手柄を立てさせたいという、浅はかな考えからだろう。
(だが、愚かなのは俺も同じ)
今クロヴィスは、心底、痛感している。
自分は己が思うほど賢い男ではなかったと。
よくも堂々と、「呪われるとすれば、ラピスより自分だ」などと思い込めたものだ。
「なあ。アードラーというのは――か?」
「もちろん、その方だ」
この場に来るまで、わかっていなかった。
(――いや、目を背けていたのか)
いくつもある呪具の中で、自分が持ち込んだ古竜の骨が持ち出されたとは、クロヴィスは思っていなかった。もっと簡単に持ち出せる呪具はほかにあるから。
これほど念入りに封印が施された呪具は古竜の骨だけであり、持ち出せるのは三人しかいない以上、簡単に容疑者が特定される。
なのに大祭司長はあえて、クロヴィスが封印したものを持ち出し、呪法に使った。
その意図に気づいたとき、クロヴィスの中で、ようやくすべてのことがつながった。
おそらく古竜の骨は、何年も前に持ち出されていたのだということも。
すべて、つながっていた。
ずっと過去から。
だから、ラピスが狙われた。
もっと早くに気づいていれば。
目を背け続けず、怒りに囚われず、向き合っていれば。
地位も名も捨てたという大祭司長に、少しでも興味を向けていれば。
そうしたら、すぐにわかったのに。
「コンラート……」
かつて彼から向けられた激情が、眼帯の下の目を疼かせる。
考えただけで凍りつきそうな心に、可愛らしい笑い声が響いてきた。寒々と冷えていく心を引き留め陽だまりへ導く、愛らしい笑顔と共に。
(ラピんこに会いたい)
あの純粋な心に。無邪気な笑顔に。
今、心から会いたかった。




