古竜の骨問題
その夜は、町長宅に宿泊させてもらった。
ラピスら三人組も湯浴みを済ませ、暖炉の前で身を寄せ合っていたが、炎の揺らめきと薪の爆ぜる音に眠気を誘われ、三人そろってゆらゆらと舟をこぎ始めた。
そのまま気持ちよく眠りに落ちる寸前、ラピスは大事なことを思い出した。
「そうだ、お師匠様の教え!」
その声と身動ぎで、左右からラピスに寄りかかっていたディードとヘンリックも、「んあ?」と寝ぼけまなこの顔を上げる。二人が頭をごっつんこしないよう、ラピスはそっと立ち上がった。
「二人は寝てていいよ。ちゃんと寝台で寝ようね、風邪ひくからね」
寝冷えしないよう、ジークたちが暖炉の手前に移動させてくれた寝台へと、二人の手を引く。
そこにはラピスの着替えと鞄も置かれていた。いつも持ち歩いているその鞄から、雑記帳を取り出す。
弟子入りしてすぐ、クロヴィスが作ってくれた大切な雑記帳。
師から教わることのすべてが面白くて新鮮で、せっせと書き記してきた。アカネズミが何千個もブナの実を集める話や美味しい卵料理のコツから、魔法の話等々、なんでも。
ただ、項目など気にせず書いてきたから、何をどの頁に書いたか、すぐにはわからない。
「でも確かに……んーと」
寝台に腰かけてパラパラとめくっていると、ディードたちも少し眠気がさめたのか、「どしたのラピス」と覗き込んでくる。
「ドロシアさんが誰かと話題にしてたっていう、『古竜の骨』のことをね……」
「古竜の骨……俺たぶん、何年か前に一度だけ見てる」
「えっ! そうなの? ディード。おおぉ、どんなだった? どんなだった?」
一般公開はされていないとアスムスは言っていたが、目にしていたとはさすが王子様。
ラピスはディードに飛びつかんばかりだったが、ディードは暖炉に照らされた頬を赤くして、「ごめん。まったく印象に残ってない」と眉尻を下げた。
「父上の誕辰の儀で大神殿に同行して、祭具や呪具が収められている奥の間に初めて入ったとき、『この古竜の骨は、クロヴィス卿が封印した呪具だよ』って、教わったことはおぼえてる。でもチビだったし、骨なんかに興味なくて。『父上、また大魔法使い様のこと話してる』とか、そういうことばっか考えてたから……」
「なるほど~」
確かに、ラピスのように幼少時から竜に馴染んでいたのでなければ、古竜の骨だけ見せられても、子供には退屈なばかりだろう。
ちょうどそのとき、隣室で湯浴みをしていたジークたちが、濡れ髪を拭きながらやってきた。
「なになに、呪具の話?」
「古竜の骨」
ディードは本当に、ギュンターに対してそっけない。男兄弟とはこういうものなのだろうか。
ラピスはちょっとハラハラしたが、ギュンターはむしろ楽しそうだ。
「言葉足らずでしゅねぇ、うちの末っ子は~」
ディードの髪の毛をくしゃくしゃ掻き回し、「やめてよ!」と真っ赤な顔で抵抗されてもまったく意に介さず、逆にギュウギュウ抱っこして、さらに怒らせている。
これはこれでまた大丈夫かと心配になったが、ヘンリックはあくびを連発しているし、たぶんいつもこんな調子なのだろう。
「グレゴワール様が封印した呪具か」
隣の寝台に腰かけたジークが話を戻してくれたので、ラピスは「はい」とうなずきつつ、風魔法でジークとギュンターの髪を乾かし始めた。クロヴィスがラピスにそうしてくれていたように。
「ありがとう、ラピス!」と言いつつ腕の力をゆるめたギュンターからようやく逃れたディードが、「氷魔法をかけてやって!」と言うので、声を上げて笑ってしまった。
「兄弟がいるって、いいねぇ」
「まともな兄ならね!」
「古竜の骨それ自体は、悪しきものではないと聞いている。が、何故、厳重に封印されているのかまでは、我々は知らされていない」
再び淡々と話を戻すジークに、ギュンターも首肯した。
「グレゴワール様がアカデミーにいらした頃に収めたものだから、その後即位した父上も詳細は知らないようだった。ただ、骨といえど古竜の躰の一部だし、かなりの魔力が残存しているために、悪用されないよう封じてあると教わったよ」
ラピスの頭の中で、ようやく情報が整理されてきた。
そう。あれは、巡礼に参加してみるかと師から提案された夜。
――竜を呪詛する輩もいてな。大図書館の『竜の本』には、呪詛や呪具の記録も残ってるよ。一般には閲覧禁止だが、当時、俺が見つけた呪具も保管されてるはず――
クロヴィスはそう言っていた。
「ということは、この辺に……あ、あったぁ!」
雑記帳の中のたくさんの情報に埋もれている、『古竜の骨』と書かれた頁を、ようやく見つけた。
巡礼に出ると決めたあと、呪具についてもう少しだけ踏み込んで教わりメモしていたのだ。
「何があったの?」と興味津々のディードに、「これ!」とその頁を見せる。
「お師匠様によると、『古竜の骨は、強い魔力が残存しているのに持ち主がいない。よって、善くも悪くも用いることが可能。ただし過去の例によれば、多くは呪詛に利用された』」
「呪詛……」
ディードが眉根を寄せた。ジークとギュンターの表情も厳しくなる。
ヘンリックだけはいつのまにか眠っていて、流れた沈黙の中にスヤスヤと寝息が聞こえてきた。
「……ゴルト街でラピスを呪詛した呪術師は、ドロシア・アリスンだったかもしれないんですよね」
ディードの問いに、ジークがうなずく。
「あの少女が強力な呪法を扱えるとは考え難い。呪術師はほかにいて、それに加担している確率のほうが高いように思うが」
「でも加護魔法をかいくぐって呪詛されたのは事実だし、ドロシア・アリスンが古竜の骨について話していたということは、それが呪詛に利用されたということで確定なのでは!?」
まくしたてるディードに、ギュンターが「うーん」と困り顔になった。
「団長。俺は今、すごく嫌な考えに至ったのだけど」
「俺もだ」
きょとんとするラピスと怪訝そうなディードを、ギュンターが見つめる。
「つまりね。グレゴワール様の加護魔法をすり抜けるほどの呪詛を発動するためには、古竜の骨が必要だったとする」
「はい」
ラピスとディード、そろってうなずく。
「だがあれは、封印したグレゴワール様以外は、父上か大祭司長しか、解呪の呪文を知らないんだ。つまりその三人しか持ち出せない」
「と、いうことは……グレゴワール様や父上はあり得ないから」
「持ち出すとしたら、大祭司長しか考えられない」
「……大祭司長ならば、閲覧禁止の呪詛の記録を研究する時間も、充分にあったな……」
呟いたジークに、「ただ」とギュンターが顔をしかめた。
「ヘンリックと巡礼に飛び入り参加するちょっと前、俺はたまたま、その古竜の骨を見てるんだよ」
「えっ。なぜですか兄上」
「ほら、もうすぐアロイスの誕辰の儀だから、祭具の打ち合わせで……って、アロイスっていうのは、うちの次男なんだけどね」
ラピスに向かって説明してくれたが、王家の家族紹介と思えぬほどノリが軽い。
ディードが「アロイス兄上は真面目だから、いつもギュンター兄上に振り回されてるんだ」と付け加えた。
「王太子が城を留守にしてる今、どれほど苦労していることか……」
「大丈夫。そんなの慣れてるさ、あいつは。それはともかく大祭司長は、俺より先に王都を出てた。レプシウスの祭壇で竜王に祈祷するためにね。途中途中の星殿でも祈祷するのが慣例だし、年寄りだから日程に余裕をもたせて早々に出立したんだろう。俺が骨を見たのはそのあとだから、奴が骨を持ち出す機会はなかったはずだ」
「でも骨を持ち出せるのは三人だけだというなら、アードラーしかいない!」
「うーん」
またも沈黙の落ちた室内に、すこやかなヘンリックの寝息と薪の爆ぜる音ばかりが聞こえる。
だが雑記帳を目で追っていたラピスは、あることに気がついた。
「ギュンターさん。その古竜の骨を見たのですよね?」
「ああ、そうだよ。あれは封印用の小箱に入れた上で封印結界の柵で囲ってあるんだけど、わざと蓋を外してあるから、無くなればすぐ気づく。ちなみに解呪せず結界を超えると、雷に打たれるらしいよ」
「ひょええ」
恐ろしいが、雷を落とすというのはある意味クロヴィスらしい。
またぞろ恋しくなってしまったが、今はそんな場合ではない。
「でも、ギュンターさんが見たなら、その骨は偽物かもしれません」
「「うあ?」」
王族兄弟の口から、そろって変な声が出た。




