お父さん?
吹雪がおさまり、灰色の空の下で目にしたロックス町は、すべてが雪に覆われていた。屋根にはこんもりと雪が積もり、扉も半ば雪に埋もれて塞がれている家々が目につく。
そのためか、それとも罹患者が想像以上に多いのか、人の姿どころか気配すら感じられず、昼間だというのに、しん、と静まり返って、ラピスとジークの息遣いばかりがやけに大きく聞こえた。
「あ、そうだ。防御魔法!」
ラピスは古竜から教わった通りに、聖・風・地の合わせ技による防御魔法を、ジークと自分に施した。おそらくこれで感染を防げるのだろう。
それから改めて、きょろきょろと周りを見回す。
「どうしていきなり、町に着いてしまったのでしょう」
「ああ……」
常に冷静なジークも困惑顔だ。それでも手早く腰の命綱を解き、手近なイチイの木の幹に結び直している。戸惑いながらも地に足のついた行動をする辺り、さすが場数を踏んだ騎士団団長である。
おかげでラピスも、まずは町の人と会わねばとすぐに目標を定められた。キリリと気を引き締め、力強く一歩踏み出す。と同時に、雪に埋もれた脚を上手く抜けずに転けた。
新雪に埋もれたラピスを、ジークがあわてて抱き起こしてくれる。
「ちべたい」
「雪よけの防御魔法は解いたのか?」
「はい」
魔力を消耗しすぎぬよう、感染対策の防御魔法を始めてからは、移動中に使った雪よけの魔法を解いていた。
「解いた途端に、頭から雪に突っ込むとは思いませんでした……」
「そう……だな……」
ラピスの雪を払いながら、ジークがうつむく。何やら笑いをこらえているように見えるが、気のせいだろうか。
顔を覗き込もうとすると、「とりあえず近場の家を訪ねてみよう」と抱っこされた。腕にラピス、背中に荷物を背負っているのに、ジークはぐいぐい雪を漕ぎ分け進んでいく。
騎士団長の無尽蔵の体力と力強さに「すぎょい~」と呟いていると、近くの家の、半分雪に埋もれた窓の中から、大きく手を振るご婦人が目に映った。
「ジークさん、あそこ!」
うなずいたジークがそちらに向きを変え、勢いよく突き進む。彼と一緒でよかったと、ラピスはしみじみ思った。ひとりで来ていたら、一歩進むたび転けていただろう。
すぐにご婦人の家の前まで辿り着いたものの、やはり扉の下半分が雪に覆われている。
取り急ぎ、先ほどの窓のほうへ回って、ラピスが火魔法で窓を凍りつかせていた雪を解かすと、女性は目を丸くした。ラピスが「こんにちは~」と声をかけるとあわてて窓を開け、顔を覗かせる。
白髪交じりの髪をお団子に結んだ、ふくよかな女性だ。
「ああっ、開いた! すごいわ、窓もドアもひらかなくて、閉じ込められてたのよっ。魔法で解かしたの? あなたが!? ……んまあぁ、あなたったら、なんて可愛いのっ! こんな可愛い魔法使いさんは初めてよ!」
「はじめまして! あの、僕たち」
「まあまあ、可愛い上に礼儀正しい子ねぇ! 駄目よ、お父さん! こんな愛らしい子を連れて、ここに来ちゃ駄目! この町は今、流行り病で大変なことになっているの。ずっと吹雪いていたから助けも呼べなくて、雪がやんだのは本当に久し振りよ。今のうちにすぐ出て行って、病気がうつらないうちに! そして助けを呼んできてちょうだい、お願い!」
すごい勢いでまくしたてられたが、親切にも忠告のため声をかけてくれたのだとわかった。ただし意味不明な言葉が混じっていたが。
「お父さん?」とラピスは小首をかしげてご婦人を見たが、ジークはそれにはかまわず、単刀直入に用件を告げる。
「我々は疫病の報告を受けて、救助のために来た。一刻も早く薬を提供したいのだが、町の代表者と会えるだろうか」
「え……」
ご婦人が目を瞠る。
「よく見たら、お父さんもすっごいイケメン……じゃなくて、わたしがこの町の長よ?」
「あなたが?」
「ええ、ベスターと申します。あの、でも、本当に? まさか親子で? 疫病の町へ救助に?」
混乱した様子のベスター町長に、ジークが第三騎士団団長であること、ラピスが大魔法使いの弟子であることを話すと、ベスターは感激のあまり泣き出した。
「なんてこと! ええ、ええ、こんな田舎町でも聞いていますとも、大魔法使い様のお弟子さんの噂は! 『たいそう美しい方らしい』とも噂されていたけど、まさかこんな幼い子だったなんて!」
「それであの、すぐにお薬を」
ラピスの言葉は、町長の涙ながらの言葉にまたも遮られる。
「もう殆ど諦めていたの。疫病に見舞われているのだとわかったときには、吹雪に閉じ込められてしまっていたし。そんなとき、巡礼の魔法使いたちがたくさん押し寄せてきたから、助けに来てくれたものとばかり思ったのよ。でも事情を知った途端、脱兎のごとく逃げ出してしまって」
「魔法使いたちが? 皆、逃げたのか?」
眉根を寄せたジークに、ベスターが「ほんの何人かは出て行ったようです」と涙を拭く。
古竜の歌を『ロックス町に“救いの対象”がある』と解いた多くの魔法使いたちが、ラピスたちより先行していた。町に入って以降の動向がわからず心配していたのだが、脱出した者もいたらしい。
ただゴルト街では、この町から戻った者の情報は聞かなかった。どこか別のところまで避難したのだろうか。
「でも多くが吹雪に阻まれて戻って来たの。治癒魔法や病人の看病で協力してくれた方々もいましたけど、怒って当たり散らす人も多くて、町の者と衝突したり……」
小さな町のこと。各家庭がひと冬越すために貯えた食料や日用品の数も知れている。
なのに脱出に失敗した魔法使いたちは、町はずれのベスター町長の家に居座り、感染防止のため町人との接触を避けて閉じこもってしまった。そのくせ「金は払うから食料と薪を届けろ」などと要求してきたのだという。
「ここはベスターさんのお家ではないのですか?」
「ええ、ここはお友達の家なの。わたしの家はむかし宿屋を営んでいたから、この町では大きいほうでね。巡礼の方たちを無下にするわけにもいかず利用を承諾したのだけど……だからって、あんな図々しいことを言い出すなんて。ゴタゴタしているうちに、どんどん感染は広がるし」
感染者は現在、町の神殿である星殿と、集会所に集められているという。だが患者が多すぎて収容しきれず、一家全員が感染した場合は自宅隔離されているらしい。
どちらにせよ、ただひとりの医師も感染してしまった上に薬もない。手の施しようがない状態だった。
町人の七割方が感染しているが、幸い、まだ死者は出ていない。けれどそう長くはもたないだろうと覚悟していたと、町長は涙を拭った。
彼女も感染覚悟で病人たちの世話をしていたが、家に戻りひと晩眠っているあいだに、雪に閉じ込められてしまったのだという。
不安と緊張の捌け口を求めてか、町長の話は延々続きそうな勢いだったが、ことは一刻を争う。早く病人たちに会わせてもらわねばならない。
ラピスの魔法と、スコップの場所を聞き出したジークの迅速な雪かきにより、町長を家から出すことに成功すると、まずは星殿へ案内してもらった。
「わたしはもうこの年だし、覚悟の上なのだけど……あなたたちは本当にいいの? ラピスくん、だったわね。いくら魔法使いでも、あなたみたいな子を連れて行くのは、やっぱり……」
年のことを言うわりに、雪道を行く足取りは、ラピスよりよほどしっかりしている。町長は何度も躊躇し立ち止まっては、ジークとラピスを交互に見てきた。
そのたびラピスもにっこり笑って、こう言った。
「大丈夫です! 僕は世界一の大魔法使いの弟子ですからっ!」




