疫病
「速いっ!」
「寒いっ!」
幌付きの馬橇に乗り込んだラピスたちは、例によって着膨れしている。
シャンシャンと鈴を鳴らして雪の上を滑る橇は思ったよりずっと速くて、最初は怖いくらいだった。雪上を滑走する感覚に慣れると楽しくなったが、幌では風を防ぎきることはできず、突き刺さるような寒風にたちまち耳たぶが痛くなった。
「や、焼き石がなければ、凍死してたかも」
ヘンリックが歯をカチカチ鳴らしながら言った。
うなずくラピスとディードは、寒すぎて「うぅ」と返事をするのがやっと。焼き石は温かいが、極寒の風の中ではどんどん体温が奪われていく。
これまでの旅路は穏やかな天候に恵まれてきたけれど……降った雪が解けずに積もる地域の寒さというのは、本来、こういうものなのだと体感した。
三人そろって頬を真っ赤にして、丸く着膨れた姿で毛布にくるまり身を寄せ合っていると、毛布を重ね掛けしてくれたギュンターが楽しそうに笑った。
「ふくらスズメの兄弟みたいだな」
「ギ、ギュンタさ、さささ寒くない、のですか」
「俺はこう見えて鍛えられてますのよ~」
騎士の鍛練として、雪中訓練にも何度か参加していたそうだ。
「王太子の覚悟を持つため、自分を追い込んだのさ」と、キリリと言う姿は格好いい。
ディードは何か抗議したかったようだが、歯が鳴るばかりで声にならなかった。幌の中でこれでは、馭者台のジークの体感温度はいかばかりか。
(そうだ、お師匠様が……)
昨夜、言っていた。
『基本の魔法は教えた。あとはラピんこが必要に応じて、いろいろ試してみろ。せっかく古竜が竜氣をくれたんだから、やってみれば自分が思うよりずっといろんなことができる。そういうもんだ』
確かに、枕を頭にくっつける魔法があるとは考えもしなかった。もっと柔軟にならなければ。
「ん~と……」
「どうしたラピス。大丈夫か」
『必要に応じた』魔法のイメージを練っていたら、ギュンターが心配そうな目を向けてきた。ディードとヘンリックも同様だ。
(焼き石は、石に炎魔法の効果を付与する。とすると……)
「んー……。こう? ……お、おおっ!」
外套の下に着ている羊毛のカーディガンに、(焼き石よりもほんわかとあったかくなるように)とイメージしながら魔法をかけてみると、まさにイメージ通り。じんわりとぬくもってきた。成功だ!
ひとり百面相のラピスに、ほかの三人はいよいよ危機感を抱いたようで、「また呪われたのでは」などと言い始めたが……
「あったか服魔法~」
我が身で試して大丈夫だったので、ディードたちの服や手袋等にも――もちろん馭者席のジークにも――『あったか服魔法』をかけると、みんな「すごい!」「絶妙な暖かさ!」と驚きつつも大喜びしてくれた。
ヘンリックは喜びながらも「あったか服魔法という名称はイマイチと思う」とダメ出しをしてきたが、ディードなど「ラピスは命の恩人だよっ!」と涙目になっている。大げさだとは思ったけれど、それほど喜んでもらえると、ラピスのほうがお礼を言いたいくらい嬉しい。
そして気づいた。
クロヴィスならば、最初からこうした魔法をかけられたはず。
けれど加護魔法による最低限の保温効果と、炎魔法を使う焼き石を渡してきた。それはラピスが、それらをヒントに自分で魔法を応用し使いこなすよう、期待してのことだったのでは。
「至らない弟子でごめんなさい、お師匠様……」
今どこにいるかもわからぬ師に向かい、ひっそりと呟く。
とにもかくにも、寒さを克服して意気軒昂の一行だったが、そろそろ昼食をとろうかという頃、向こうから犬橇がやって来るのが見えた。
ジークの指示により先行して情報収集してくれていた、第三騎士団員のひとりだとギュンターが教えてくれた。
彼はこちらの面子を確認すると安堵を隠さず、「ここで会えてよかったです」と大きく息を吐いた。
「報告します。ロックス町には入れません」
「なぜ? まさかまた蝗災? この雪でそれはないよね」
ギュンターの問いに、首肯が返る。
「違います。疫病です。疫病が発生しました」
驚いて顔を見合わせたラピスたちを見ながら、騎士が続けた。
「ロックス町は封鎖状態で、情報収集が困難な状況ですが……疫病発生が最初に確認されたのは、七日ほど前とのことです」
「七日だと!? 報告は!? 大した距離ではないのに、ゴルト街にも情報が来ていなかったぞ!」
詰め寄ったギュンターに、カーマンと呼ばれた団員の表情が曇った。
「正確には、高熱を出して寝込む患者が増えたと認識されたのが、七日ほど前のことなのです。当初は発熱以外に腫物や発疹などの症状がなく、季節柄、風病と思われていたようで」
「確かにこの寒さでは、それが自然かもしれないが……」
「その後、ほかの症状も出たということか?」
ジークの問いに「はい」とカーマンはうなずいた。
「発熱から二、三日で激しい関節痛。その後すぐに全身の発疹。さらに喀血を伴う患者もあり、とのことです」
ギュンターが「なんてこった」と天を仰ぐ。
「ロックス町の人口は五千にも満たないはず。罹患率は? 既存の疫病か? 医者と医療態勢はどうなっている? 援助物資は。王都への報告はもう出したのか?」
答えが返る前に矢継ぎ早に質問するので、ジークが「落ち着け」となだめた。
ギュンターはその声で我に返ったように目を瞠り、自らを戒めるように首を振ってから、深く息を吐き出した。吐息が白く広がっていく。
(あんなギュンターさん、初めて見た……)
いつも軽妙で視野が広くて、その明るさで皆をまとめてくれる副団長である彼の、王太子としての一面を垣間見た気がした。
緊張感が増す中、ラピスはカーマンの橇を引いて来た犬たちを抱きしめることしかできない。一方ディードは、「あの!」と声を上げた。
「ゴルト街でドロシア・アリスンが、『東の小村のいくつかで流行り病が発生している』と言っていました。その件は王都に報告済みだと。それは今回の疫病とは別件なのでしょうか」
「たぶん別件で、そちらは調査済みだよね」
ギュンターに促され、カーマンも首肯する。
「はい、団長のご指示で調査済みの別件だと思われます。確かに報告は上がっており、そちらは幸い収束しつつあるようです。症状は腹痛・下痢・嘔吐を伴う発熱とのことだったので、今回の疫病とは違うように思えますが、そういえば……」
ハッとしたように言葉を切った部下に、ジークが眉をひそめた。
「どうした」
「そちらの流行り病の際も、ある日いきなり村民の半数が発症し、あっという間に村中に広まったと聞いています。そして今回、ロックス町の疫病も……」
突如、高熱を出して寝込む者が続出。しかしその異様な罹患率の高さを村民が共有する前に症状が進み、気づいたときには、村中に病が蔓延していた。
大勢が一斉に発症し、爆発的に感染が広がる。
その点がよく似ているようだと、カーマンは言った。
ラピスの胸がざわつく。
母の死因は流行り病ではなく、呪いによる穢れだと言った、竜の言葉が思い出される。
(まさか、違うよね。今回のは関係ないよね)
ひとり葛藤する間にも、深刻な話は続いていた。
「先行した魔法使いたちは?」
「それが……」
そうだったと、ラピスもハッとして顔を上げた。
『ロックス町に“救いの対象”がある』として、大勢の魔法使いが、ラピスたちより先にロックス町へ向かっていた。
ディアナもイーライも、ドロシアも。
彼らは無事だろうか。
気を揉みつつ視線を向ければ、カーマンは痛みをこらえるような表情で、小さな手紙を取り出した。
「これは、先にロックスに入った護衛役、第三騎士団員プレヒトからの伝書です。彼のおかげで、こうして報告ができているのです」
ジークに手渡された、その伝書の内容は――
魔法使いたちの第一陣がロックス町に到着したときには、すでに町民の大半が感染していた。
「これは疫病だ」とようやく判明したばかりの、混乱の真っ只中。
無症状の町民は町外に支援を求めようと試みたが、急な猛吹雪で伝書鳩が飛べない。町から出ようとした者も、同じく足止めを食らった。
白い壁に阻まれて、閉じ込められた人と病。
そこへ魔法使い第一陣がやってきたのだ。ブレヒトもこのとき、護衛として同町に入った。
彼らは猛吹雪をものともせず辿り着いたのだが、町の状況を知るやあわてて引き返そうとした。けれど襲いかかるような吹雪に巻かれて目も開けられず、白い闇の中では、方角などわからなくなる。
一方、ロックス町の人々にしてみれば、集歌の巡礼に参加するほどの魔法使いたちの来訪は、渡りに船。大いに期待した。
癒しの魔法は使えないのか。
この状況を打開できる魔法はないのか。
だがあいにく、初歩の癒し魔法の使い手ならいたものの、とても疫病に対抗できるものではなく。
逆にそうしている間にも、次々、発症者が増えた。
なんとか町外へ連絡しなければ。
この町は封鎖しなければ。
これ以上、人を出しても入れてもいけない。
プレヒトはそう考えたが、連絡手段がなかった。
そこへ最悪なことに、ゴルト街からの魔法使い第二陣が到着してしまった。
そうしてプレヒトたちが来たときと同じことが起こった。
入って来たのに、出て行けない。
まるで雪が意思を持って、人々を閉じ込めているみたいに。
しかしプレヒトは諦めなかった。
「いつまでも続く吹雪などない。必ず雲の切れ間があるはず」
そう記した報告を、伝書鳩に託して。
まさにそのときはやってきたのだろう。
ロックス町に向かっていたカーマンが、その手紙を受け取ったのだから。




