売られていたラピス
謎の男はクロヴィス・グレゴワールと名乗った。
そして結局ラピスは、彼に幼竜を預けて帰宅した。なぜって、当の幼竜が彼に懐いて、離れなくなったからだ。
「幼体といえど、竜は賢いからな。自分がお前を困らせてることも、お前の家では安らげないことも、ちゃんと理解してるのさ」
長い腕にぎゅっと抱きつく竜の子を、もう片方の手で優しく撫でながら、クロヴィスはそう言った。
本音を言うと、ラピスはかなり寂しく思った。
情を移さないよう気をつけていたつもりだけれど、やはりそばに誰かが……それが人でなくとも、いるといないとでは大違いなのだと。半日ほど一緒に過ごしただけなのに、身にしみて気づいてしまった。
幼竜の様子と、きつい口調に反して優しいクロヴィスの扱い方を見れば、彼に預かってもらうのが最善だと、信じられるけれど。
(また、母様のいない家に帰るんだな……)
当たり前のことなのに、改めて寂しさが込み上げてくる。
なんだか胸がきりきりして、苦しくなった。
自分の帰りを歓迎しない家族がいる家。
普段はあえて考えないようにしていたこと。
急に重苦しい思考ばかりに囚われて、鼻の奥がつんとした。
そんなラピスを見ていたクロヴィスが、にこりともせず提案してきた。
「明日またこの森に来られるか? ラピんこの都合に合わせてやる。こいつを連れてくるから、一緒に竜が来るのを待とう。頻繁に竜に遭遇するという、お前の強運を発揮してみせろ」
「あ、明日もまた会えるのですか!?」
その提案が、一瞬にしてラピスの頭の中の暗雲を吹き飛ばしてくれた。
「えっと、えっと。僕は大抵、お昼過ぎからのほうが、森での仕事が多いです! でもお望みでしたら、また真夜中でも抜け出せます! だからどうぞお好きに、煮るなり焼くなりしていただいてっ」
喜びのあまり何を言っているかわからなくなり、「俺は変質者じゃねえ」と、またも手刀をポフッとくらってしまった。
が、にやけてしまうのを抑えられないくらい、心の底から嬉しい。
訊きたいこと、話したいことは山ほどある。
だがそれも再会したときにと約束した。
クロヴィスは、ぶっきらぼうな態度を崩さぬまま家まで送ってくれた。
竜の子は彼の腕の中で、安心して眠っていた。
夢見心地で帰宅したラピスを、執事たちが安堵した様子で出迎えてくれた。
心配をかけたことを申しわけなく思い詫びたものの、今夜、森に行ったことは、まったく後悔していなかった。逆にこの幸運を、誰彼かまわず感謝したいくらいだ。
ただし。
継母たちはその夜、すでに就寝していたが――
ラピスが思う以上に厳しい罰を用意していたと知ったのは、翌朝のことだ。
その朝は、とても冷え込んだ。
いつも通り、各部屋の暖炉に薪をくべて回ったり、掃除をしたりしていたラピスは、談話室に来るよう、継母グウェンから命じられた。
昼過ぎには、森でクロヴィスと会う約束だ。
長引く用事を言いつけられないよう祈りつつ赴くと、義姉ディアナと義兄イーライも一緒に、三人で茶を飲んでいるところだった。
義姉兄はにやにやしながらラピスを見たが、グウェンは冷たく一瞥しただけで、前置きなく宣言した。
「ラピス。あなたを皮なめし職人に、弟子入りさせることにしたわ」
「ほえ? 皮なめし?」
「あなたは今まで甘やかされ過ぎた。だから自分勝手で傲慢で、強欲な人間になってしまったのよ」
「はあ……」
寝耳に水の話と展開についていけず、気の抜けた相槌を打ったラピスを、グウェンは苛立ちも露わに睨めつけてきた。
「今さらとぼけたって無駄よ! あの竜をどこから獲ってきたのか、白状なさい!」
答える間もなく、義姉と義兄も責め立ててくる。
「そうよ、アレがあれば王族や高位の魔法使いたちとの人脈もできるし、あたしはあのアシュクロフト騎士団長様とお近づきになれるのよ!」
「そんなことより、おれのアカデミー入学が先だ! 竜を捕まえたって言えば、きっと入学を認められる! なのにお前はおれを妬んで、阻止しようと隠したんだ! 全部わかってるんだからな!」
「……えっと」
ズレまくった認識の上に返答を求められても、なんとも言いようがない。
ラピスが困るのをどう受け取ったものか、継母は嵩にかかってまくしたてた。
「なんて強欲な子かしら。独り占めして自分だけ、王城に向かおうとでも思ってるんでしょう! 今なら許してあげるから言いなさい、どこに隠したの! 自分だけ美味い汁を吸おうと言うのなら、そんな子は根性を叩き直さなきゃね。知り合いの皮なめし職人はいつでも弟子を探してるから、鍛えてもらうといいわ。さあ、どうするの!?」
☆ ☆ ☆
「皮なめしだぁ!? なにほざいてんだ、そのくそアマはっ!」
澄んだ青空の下、落葉が黄色い絨毯のように輝く静かな森に、クロヴィスの怒声が響き渡った。
ラピスは目を丸くして、並んで歩く相手の、怒っても端整な横顔を見上げた。
ラピスの手に頭をすりつけていた竜の子も、ビクッと躰を揺らした。そのしっとりした頭を撫でると、細かな鱗と産毛の感触が楽しい。
「僕、この子はもう空に帰したと言ったんです。嘘はつきたくなかったけど、たぶんこの子は、お城だとかに行きたいわけじゃないでしょう?」
「そりゃあそうだ。あんなとこに居る奴らは、ろくなもんじゃない」
大きくうなずいたクロヴィスに呼応するように、幼竜も「キュッ」と首を縦に振る。
「そしたら継母上はすごく怒って、『なら契約通り、七日後に親方に引き渡す』って」
「なんだそれ。結局お前がどう答えようが、追っ払う気満々だったんじゃねえか。契約済みってことは、お前はもう売られてるな。すでに親方から金をもらってるんだよ、その継母は」
「そうなのですか? あの……僕でもなれるものなのでしょうか、皮なめし職人って」
くわっと目を剥いたクロヴィスの人差し指が、トトトトトッと高速でラピスのおでこを突いた。
「無理!」
「あたたたたた」
「嘘つけ、痛くない!」
「はい、痛くないです! あたたたた」
「いいか。なめし革作りってのは大切な仕事だが、『きつい汚い激くさい』重労働の代表みたいなもんだ。そんなに簡単に契約が成り立つくらい、先方も慢性の人手不足なのさ。つまり働き手が長く続かないってことだ。大人でも過酷な労働なのに、お前みたいなチビっこを放り込むなんて……クソ〇▽※□×!!!」
ラピスにはわからぬ単語を連発したあとで、クロヴィスはハッとした顔でラピスを見下ろし、気まずそうに咳払いした。
よくわからないが、心配してくれているのだと伝わってくる。そう思うと、なんだかくすぐったいような、ふわふわした気持ちになった。
やわらかな陽光の下で見る青年は夜の森で出会ったときとは雰囲気が違って、相変わらず綺麗なのは変わりないが、月の精ではなく実体があるのだと確認できて、ラピスは内心でほっと安堵した。
(ちゃんと、実在してる人だ)
実はこうして再会できるまで、ずっと緊張していたのだ。
全部夢だったらどうしよう、とか。
約束を忘れられていたらどうしよう、とか。
けれど彼は先に来て、昨夜と同じ切り株で待っていてくれた。
膝の上で幼竜を遊ばせている姿を見たときは、心の底から喜びが込み上げてきて、胸がいっぱいになった。
そしてラピスの話をちゃんと聴いてくれて、心配してくれたのも昨夜と一緒。
それならば。
「あの、あの」
ラピスはドキドキしながら切り出した。
「僕、本当に、あなたの弟子にしてもらえますか……?」
昨夜、彼はそう言ってくれた。
でも気が変わっていたらどうしよう。
火照る頬で見上げていたら、クロヴィスは一瞬、美しい紅玉の瞳を瞬かせ。
そしてすぐに、「もちろん」とニッと笑った。
「お前の継母が愚か極まるおかげで、ことが運びやすくなったしな。ラピんこが売っ払われる前に迎えに行ってやるから、荷物まとめて用意しとけ」