師匠、騎士たちをビビらせる
「お師匠様あぁぁぁぁっ!」
月光の銀髪に、黒い眼帯、黒い外套。銀の睫毛に縁どられた紅玉の瞳が、優しい笑みを浮かべてこちらを見つめている。
夢のように、今まさに求めている姿をそこに見たラピスは、喜びを爆発させて突進した。しかし勢いを殺さず広い胸めがけて跳び込んだものだから、着膨れした躰に体当たりされたクロヴィスの口から、「ぐえっ」と変な声が漏れた。
「待てこら! お前、体積が倍になってるじゃねえか! 俺の弟子が雪だるまに!」
「えへへ~」
「えへへじゃねえよ……いくらなんでも着膨れ過ぎだろう」
師の抗議も、広間に居合わせた客や従業員らの驚いた顔もものともせず、ラピスはいそいそと長い脚の上に座って、子猿のように首にしがみついた。
さらさらの銀髪から、ほんのり雪の匂いがする。
「お師匠様、もしかして今着いたばかりですか? どうしてここにいるのですか?」
「それは」
「もしやもしや、僕が会いたいなと思ったのが通じて、またまた近道魔法で来てくれたのですか!? ね、魔法ですよねっ!? シグナス森林のときのあの、」
「落ち着け」
「あう」
久し振りに、ポフッと痛くない手刀を下ろされた。
それもまた、嬉しくてたまらない。
ちょっと前までの心細さはどこへやら、もう何もかも大丈夫という心持ちで、全身の力が抜けていく。自身で意識するよりずっと、緊張が続いていたのかもしれない。
そばにいてくれるだけで安心できる、無条件で甘えてしまう存在。
『家族』がいるとはこんなに心強いことなのだと、ラピスは改めて実感した。
「……嬉しいです」
笑顔以外の表情に、なれなくなってしまった。
へらへらしているとクロヴィスが噴き出して、端整な顔に花咲くような笑みが広がる。しかしその視線が、ラピスの後方――ジークたちへと流されるに従って、剣呑さを帯びた。
ラピスが大騒ぎしているあいだ、ジークらも同じく驚愕しながらも、遠巻きに待機してくれていた。
しかしその反応はそれぞれ異なっており、ジークとディードは緊張した様子で表情を硬くし、ヘンリックは「この方が伝説の大魔法使い……!」と目を輝かせ。
そしてギュンターはといえば、嬉しそうに破顔して、「この方が団長の奥様かぁ」と呟いて、その場の空気を凍らせた。
クロヴィスは笑みを崩さず、ギュンターを上から下まで眺めた。
それからおもむろに「さて」と、ラピスが重ね着していた外套や上着を手早く脱がせたかと思うと、いきなりそれらをギュンター目がけて投げつけた。
思いっきり顔で受けとめたギュンターが「いでっ!」と悲鳴を上げるのを無視して、大輪の花のごとく微笑う。
「ここは人目につくし、お前たちの部屋に行こう。つもる話はそこでゆっくり、な」
「お、お師匠様っ。僕、脱いだものを拾わなきゃ」
師の膝からおりようとするも、ディードとヘンリックが「いいよラピス、俺たちが持ってくからっ」と素早く先んじる。
ディードはついでに、「びっくりした」と鼻を押さえるギュンターを、「『口は禍の元』の実例を見させていただきました」と氷点下の視線で睨みつけた。
「お師匠様ぁ。ギュンターさん痛そうです、可哀想ですよ」
おろおろするラピスに「大丈夫」と苦笑しながら答えたギュンターが、改めて師に向かって敬礼する。
「大変失礼いたしました、グレゴワール様! 実はわたくしギュンターも、長年、大魔法使い様に見える日がくることを祈り続けてきたのです。喜びのあまりの浮かれた物言いを、どうかお許しください」
優雅なお辞儀を睥睨し、クロヴィスは口角を上げた。
「ああ、特別に許してやろう、今のことはな。俺だってそう暇じゃないんだ。今回の目的は、ラピんこ。お前の魔法の底上げと指導だから」
「魔法の底上げ、ですか?」
膝からおりたラピスを、憂いを帯びた瞳が見おろした。
「お前、呪詛を受けただろう」
「え……ええっ!?」
「ラピスが!?」
「呪詛!?」
「どういうことですか」
ラピスに続いてディードとヘンリックまで反応し、ジークまでもが詰め寄ったので、クロヴィスは「大声出すんじゃねえ」と舌打ちし、ラピス以外の四人を睨みつけた。ギュンターが「俺は何も言ってないのに」と呟いたのは無視された。
しかし確かに、ジークもクロヴィスも目立つので、先ほどから注目の的になっている。幸い、遠巻きに見ている客たちの耳に、呪詛という物騒な言葉は届かなかったようだが……。
「やはり部屋に戻って話そう」
「そうですね。ご案内します」
ジークがクロヴィスの手荷物を持ち上げ歩き出す。
ラピスがクロヴィスの手を握ると、いつものように握り返してくれた。しかし師はジークの背に、不穏な笑みを向けている。
「元気そうだな、ジークムント・アシュクロフト」
「はっ。おかげさまで」
話しかけられ、ちらりと振り向いたジークは、わずかに気を緩めたようにも見えた。が、クロヴィスは「羨ましいなあ」と首を振る。
「俺なんか、ここんとこ立て続けに不思議体験ばかりで疲れきってるぜ。ほんと不思議。俺はいつのまに、お前と愛し合ってたんだろうなあ? おまけに今じゃ、婚約までしてるらしいじゃねえか。ここに来る途中で何度その話を耳にしたか知れねえぜ。不思議極まる」
「はっ。そ、れは……」
常に動じぬジークの額を、汗がひとすじ流れた。いつも女性たちの熱い視線を集めるその顔も、今や裁きを待つ者の表情だ。
「その件に関しましても……のちほど、拝聴いたします」
ぎくしゃくと前を向いた団長の背中を薄笑いを浮かべて眺めながら、クロヴィスはさらに言い募った。
「俺の抗議を受けるべき者は、ほかにもいるな? そろそろ本当のことを言ったらどうなんだ」
「本当のこと?」
ラピスは小首をかしげた。
なんのことかと手をつないだまま振り返れば、ディードが困ったように口をパクパクさせている。ヘンリックとギュンターも、気まずそうに視線を逸らした。
クロヴィスは今度は心底楽しそうに笑って、つないだラピスの手に視線を移した。
「ラピんこ、だいぶ竜氣がたまったな」
「そうなのですか?」
「ああ。こうして触れた感じが、前とまったく違う。強い竜氣が駆け巡っているのがわかるよ」
「わあ。触れただけで、そんなことまでわかっちゃうのですね! すごいです!」
紅玉の瞳が細められる。
ラピスの大好きな、笑っているときの優しい目。
「すごいのはラピんこなんだっての。その年で、こんな短期間に、古竜と三度も対話をしたなんて。おかげで極上の竜氣がラピんこの中を巡っていて、それがお前と、そいつらも守った」
細長い指がぐるりと、ジークとディード、そしてヘンリックとギュンターを示した。
「……ほえ?」
理解が追いつかず変な声を漏らしたラピスに負けないくらい、ディードたちも、きょとんとしている。
クロヴィスはつないだ手を軽く振って、「うん」とひとり納得顔でうなずいた。
「これなら大丈夫。ラピんこならできる」




