騎士団の詰所にて
昼食の席で急遽始まった、今後の作戦会議(事情のわからぬラピスを除く)の結果、このままラピスの体調に心配がないようならば、可能な限り速やかにゴルト街を出て、ロックス町へ向かおうということになった。
なぜだか皆、大祭司長と顔を合わせたくないらしい。
「あの人と会うと面倒くさいことになるから」
ヘンリックがこっそり教えてくれたけれど、それが何故かがわからない。
「えっと……」
ラピスは理由を尋ねてみようとした。
が、にわかに“移動モード”に突入したジークたちは、てきぱきと段取りを決めて行動に移っている。さすが騎士(と見習い)だけあって、行動が早い。
「えっと……」
話しかけるタイミングを逃してボヤ~としていたラピスだが、ハッと我に返った。みんな忙しいのだから、手伝わなければ。
「ディード。僕にも何か手伝えること、あるかな?」
何やら紙に書いては難しい顔をしていたディードが、「熱が引いたばかりだし、外に出るのは良くないかもしれないけど……」と前置きしてから、にこっと笑った。
「これからまた団長と買い出しに行くんだ。一緒に行くかい?」
「行きたい!」
それは手伝いとは違う気もしたが、嬉しいことは素直に受け取るラピスだった。
そんなわけでラピスは、クロヴィス特製の焼き石をいつもの倍持たされ、重ね着の上にジークのマフラーまでぐるぐる巻かれて、ちょっとした雪だるまのようなフォルムになったものの、再び街へと繰り出すことができた。
まずは騎士団の詰所に寄った。
ドロシアが教えてくれた情報を確かめるためでもあり、ロックス町方面の積雪状況、盗賊や狼などの出没情報収集が目的である。
この街の詰所は、王都でジークに見学させてもらったような、いくつもの鍛練場付きで宮殿の一部みたいな兵舎とは違って、お役所のような建物だった。
奥行きの深い造りで、敷地の半分は厩舎や馬の管理のための施設になっているらしい。
「廊下は寒いから」と例によってジークの抱っこで運ばれたが、その間、すれ違った騎士たちが、あわてて敬礼してくる。しかしラピスがジークの肩から「こんにちは!」と挨拶すると、驚きつつも笑顔になって、一緒についてきてくれた。
厩舎に居候している野良猫や、団員たちが面倒をみているという犬たちまで懐っこく寄ってきて、集会室に着く頃には十人ほど(プラス数匹)になっていた。
ディードが先に立って扉をひらいたと同時に、暖気が溢れ出てきた。
大きな暖炉のある広い部屋の中には、真剣な顔で会話中の者、長椅子に寝転がった者、飲食中の者などなど。
そのざわめきが、ジークを認識した途端ピタリと止まり。
すぐさま敬礼したのち、視線が騎士団長とラピスを行ったり来たりしてから、一斉に話しかけてきた。
「アシュクロフト団長、お疲れ様です! 巡礼の道程確認ですね、情報そろえてますよ!」
「そしてこの子が噂のラピスくんですか。わたしは初めてお目にかかります」
ようやく床におろしてもらったラピスは、ぺこりと頭を下げてから、「こんにちは、はじめまして。ラピス・グレゴワールです!」とにっこり笑顔で自己紹介した。
騎士たちは髭だらけだったり、酒樽のような躰つきだったり、一見怖そうな者も多かったが、そのぶん、相好が崩れると愛嬌が増す。
「古竜の歌を解き、歌を交わし、蝗災からトリプト村を救ったそうですね。あなたにお会いできるのを楽しみにしていましたよ、偉大な歌い手様!」
「本当に、こんな小さな子なんだなぁ……そしてほんとに、めっちゃ可愛いじゃないですかぁ」
「けど想像してたよりまん丸フォルムっスね」
「重ね着で倍に膨れてますから」
興味津々という様子で取り囲んでくる騎士たちに、ディードが説明を入れる。
ちなみに今回もギュンターは、ヘンリックと共に別行動である。ギュンターは「そのまま王都へ戻ったらいかがです」とディードに言われて、苦笑していた。
なんとなくだが、ディードはずっと、ヘンリックとギュンターに対しては、ツンツンしているようにラピスには見えた。
嫌悪や敵意を感じるものではなく、むしろ親しさゆえとは思うのだが……ラピスにはいつだって優しいのに、ちょっと不思議だ。
ジークがほかの騎士たちと話し合っているあいだ、ラピスは近くの卓に出されたお茶をいただきつつ、広間の様子を眺めたり、犬と猫を撫でたりしていた。
ジークが最初に確認したところによると、大祭司長の祈祷断念の一報は今朝届いたばかりで、大祭司長がこの詰所に立ち寄るのは確実だろうけれど、到着時期は読めないとのことだった。
騎士団の連絡網より早く情報を掴むとは、ドロシアの情報網はまったく侮れない。
そのとき、足もとで遊んでいた子犬が、急に顔を上げた。
先ほど入ってきた扉のほうをじいっと見たまま固まっている。
「どうしたの?」
話しかけたのが合図になったか、そちらへ向かって駆け出した。短い四肢で弾むような走りで、危なっかしいわりに速い。
詰所の前で拾われた子犬なのだと聞いていたが、もしや親犬が来たのだろうか。
そうであれば良いけれど、単に遊びごころで飛び出してしまったのなら、寒い廊下では小さな躰がすぐ冷え切ってしまうだろう。
心配になったラピスは子犬を追って部屋の外へ出た。同時に、冷たい空気が露出した頬をつつみ込む。
「おーい、どこ行ったのー?」
きょろきょろしていると、少し離れたところに、うずくまっている人物を見つけた。
暗い廊下のことだから、一瞬どきりと心臓が跳ねたけれど、すぐにぐあいが悪いのではないかと思い至って、そちらへ走った。
「どうしたのですか、大丈夫ですか」
相手の顔がこちらを向く。
外套の帽子と薄闇でよく見えないが、子犬の頭を撫でているのはわかった。だからしゃがんでいたのかと、ホッとしたのも束の間。
ラピスは再び、鼓動が速まるのを感じた。
若いと思い込んでいたその人が帽子をおろして、老爺だとわかったから、なのか。
立ち上がると思ったよりずっと背が高くて驚いたから、なのか。
いや、それよりも――
ひそかに混乱するラピスを見下ろし、老人は目尻の皺を深くした。
「騎士の詰所には似合わぬ子だ。迷子ではあるまいな?」
面白がるような灰色の目も。意外に張りのあるその声も。
どこかで。どこかで……
(僕はこの人を、知っている……?)
ラピスの足もとに戻ってきた子犬が、くぅんと鳴いた。
「えっと……こんにちは! 僕、ラピス・グレゴワールといいますっ」
挨拶をしていなかったことに気づいて、ラピスはぺこりと頭を下げてから名乗ってみた。
が、相手から返ってきたのは意外な言葉だった。
「やはりな」
「えっ?」
「この時期ゴルト街にいる子供で、騎士団詰所にいて不思議のない者。その上やたらと見目の良い少年と言えば、今や噂の中心である大魔法使いの弟子。そうに決まっている」
「お、おおぉ!」
老人の言葉に、ラピスは目を輝かせた。
「すごいっ! お師匠様が、噂の中心になっているのですかっ!?」
詰め寄ると、長身がたじろいだように見えた。
「あ? そうではない、噂の中心になっているのは」
「さすがお師匠様ですー! きっとその噂というのは、お師匠様の素晴らしさとカッコよさと、優しさについてですよね!? あと、いっつもいい匂いがするとか、家具も料理も作れちゃうとかっ」
「……おぬし、人の話を聞かないと言われるだろう」
気づけば老人は渋面になっている。
ハッとして、「ごめんなさい」と両手で口をふさいだ。
師の話題になったのが嬉しくて、つい興奮してしまった。確かにここにクロヴィスがいれば、いつものように「話を聞け」と痛くない手刀が下ろされていただろう。
「初めてお会いするのに、僕が話を聞かないこと、よくご存知ですね?」
口をふさいだ意味もなく、感じたことをそのまま言ってしまったら、灰色の目が細められた。今度は笑っているのだろうか。
老人の顔は厳めしいが、彫刻のように彫り深く整っている。
ひとつに結った白髪は、多少後退してはいるが充分な量が残っており、背を覆うほど長い。
痩身だけれど背筋はまっすぐのびているし、年経てなお『男前』という形容がよく似合う人だ。
そしてやはり見れば見るほど、どこかで会ったという気がしてならなかった。だが心当たりはまったくない。
「あのう……お会いするのは、初めてですよね?」
率直に尋ねると、首肯が返された。
しかしまたも驚きの言葉が続く。
「そうだな。グレゴワールがおぬしを連れて王都に来たとき、私はアカデミーにいなかったからな」
「え。お師匠様が昔のお友達さんたちと会っていたときですか?」
「……友達、だと? 奴がそう言ったのか?」
「いいえ。でも僕はそう思ったのですけど、違うのですか?」
「……昔のことを聞かされていないのか?」
お互いに質問してばかりだ。
ラピスは小首をかしげて思い出す。
クロヴィスが王都に居た頃の話は、巡礼に出る前に聞かせてもらった。
確か、アカデミー派の一部の貴族や神殿関係者、そして当時の国王と、意見が合わなかったという話だった。それ以外、細かいことまでは聞いていない。
ゆえに何も聞いていないと答えると、老人は口元を歪めた。
「弟子に恨みごとを刷り込むことなどしない、というわけか。我々に対し陰口を叩く価値すらないと思っているのだろうな。どこまでも傲慢な男だ」
ラピスは、きゅっと胸が痛くなった。
今目の前にいる人は、たぶん昔の師を知っている。
けれどその言葉は、『ナイフのような言葉』。竜が『すぐに捨てなさい』と教えてくれた、まさにそれ。
早く捨てないと、心がどんどん傷ついていく。
「あのう」
「なんだ。弟子として物申すか?」
「はい! お師匠様は傲慢なんかじゃないと僕は思います! でもあなたがどう思うかは、僕が決めることではないです」
「……ほう?」
老人は愉快そうに身をかがめて、「それで?」と視線を合わせてきた。
「なので僕、これからお師匠様の素晴らしさについて、こと細かに余すことなくお話しさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「は?」
「あなたには、お師匠様に悪い印象を持つ理由があるのですよね? でも僕にもお師匠様を心から尊敬する理由があります! それにすっごく大好きな理由もあります! それらを語り始めたら千日あっても足りないのですけど、とりあえずお時間あるだけでもお話しさせていただければ、良い印象に変わるきっかけになるかもしれませんよ?」
「は?」のかたちのまま口をひらきっぱなしだった老人が、突然、噴き出した。
と思うと、呵呵と大笑している。
「なるほど、噂以上に面白い子だ」
言いながら、その足元にじゃれついていた子犬を抱き上げると、きょとんとしているラピスに押しつけてきた。
「だが私が『そんな話は聞きたくない』と言ったら、どうする?」
「いえ、聞いてくれると思います」
「なぜ」
「だってあなたは、大祭司長様でしょう?」
老爺の顔から笑みが消え、驚きの表情に変わった。




