アカデミーの懲りない人々
王都ユールシュテークの象徴のひとつ、ノイシュタッド王国国立竜識学大図書館。
その学術研究棟のドラコニア・アカデミー本部には、今日もまた、お偉方が顔をそろえていた。
議題もいつものように集歌の巡礼について――というより、『いかにクロヴィスの弟子の邪魔をし、出し抜き、アカデミー生徒に手柄を立てさせるか』について、話し合われていたのだが。
「この先の計画を練り直さねばなるまいな。ただでさえ襲撃計画はことごとく失敗している上、見張りも次々脱落している。レプシウス山脈方面の村々は早くも雪害に見舞われていると報告が上がっているし、巡礼者たちも一旦引き上げてくるだろう」
所長のヒラーが、組んだ両手の上に神経質そうな細い顎を乗せ、上目遣いに円卓の面々を見回した。
中央の席で先刻から貧乏ゆすりをしているエルベンが、「まったくもって、どいつもこいつも役立たずばかりだ!」と机を叩く。
「雪がなんだ! そんなことは百も承知で旅に出たのだろう!? 巡礼のために我らがどれほど莫大な出資をしているかも知らずに、世間知らずの馬鹿共は、ラクすることしか考えとらん!」
大きな顔に青筋を浮かべてがなりたてる総長に、
「負担という意味では、我ら大神殿とて協力していることをお忘れなく」
副祭司長のゾンネが付け加えると、その隣席でパウマン祭司が何度もうなずいた。
しかしヒラーは皮肉げに目を細める。
「ふむ。その負担とやらも、元は我ら国民の寄付と税金だがね」
「そうとも。俗世を離れた方々は、竜に祈ってさえおれば金が入ってくるのだから、羨ましいご身分だ」
一緒になってニヤニヤ笑うエルベンを見て、同席している大神殿側の幹部たちが反発し、騒然となった。パウマンも興奮して立ち上がる。
「ぶぶぶ侮辱する気ですか!? 我らが信仰の大切さを説かなければ、民は竜たちの加護も恩恵も知らず、心の拠りどころを失うのですよ!?」
「座りなさい、パウマン」
「ですが副祭司長様!」
ゾンネは「わかっておやり」と言いながら、ぽってりと頬肉の垂れた顔をエルベンらに向けた。
「竜への信仰が失われれば、ドラコニア・アカデミーの存在意義もなくなる。そんな簡単なこともわからなくなるほど、総長も所長もお疲れなのだよ。日々奉仕に励むわたしたちから見れば、ただ座っているだけで贅沢な暮らしのできる彼らのほうが、よほど良いご身分だと思うがね」
今度はエルベンとヒラーが顔を引きつらせ、アカデミー側幹部が一斉に声を荒らげたが、ゾンネは眉ひとつ動かさない。
ヒラーが固い声で言い放った。
「なるほど。我らが羨ましいのであれば、ぜひ還俗されてはいかがか? 財を成すには相応の能力が必要なのだと、ご自身で経験されてみるとよろしい」
「まったくだ! あなたが毎日寝酒にしている極上の葡萄酒は誰のおかげで手に入るのか、金糸と絹の祭服は祈れば竜が与えてくれるのか、よく考えてから発言してほしいものだ!」
「広義に解釈すれば、竜が与えてくれていると言えような」
怒り露わな二人に対し、眠たげにすら見える目で返したゾンネだが、頬肉は不快そうに震えている。
いきなり勃発した諍いに、学長のタイラーが深くため息をついた。
「話を戻しませんか? 計画を練り直すのでしょう」
張りのない声だが不思議と皆の耳に届いたようで、一同は気まずそうに、あるいは渋々と、会議を再開した。
エルベンは突き出た腹でふんぞり返りながら秘書を見る。
「『目』の報告は上がってきたか」
「目?」
眉根を寄せるパウマンに、エルベンは鼻を鳴らした。
へそを曲げたままの総長に代わり、秘書が答える。
「見張り役のひとりです。エルベン様直属の特別な。ほかの見張りはすでに大半が、『よい人になるのだと、天使のような少年の背中に、心で誓いました』などという報告を最後に職務放棄しましたし。未だグレゴワール氏の魔法の影響で迷子になっている者たちもいます。ですが『目』は別格ですから、変わらず定期報告が入っているのですよ。最新の報告はまだ届いていませんが」
「もうゴルト街に入っているだろうからな。早耳もそう早くは来られまいし、それに」
ヒラーの言葉が終わらぬうちに、「失礼します!」と別の秘書が駆け込んできた。
「来ました!」
「なんだいきなり! わざわざ主張せずとも、お前が来たことは見ればわかるわ!」
「ち、違いますっ! わたしではなくて」
ヒラーに怒鳴られた若い秘書は、自分が開けたままの扉を指差した。続けて来訪者の名を口にする前に、当の人物が室内に入ってきた。
「よう、クソ中のクソども」
クロヴィスだった。
あまりに突然の出現に、あちらこちらから「ひょええっ!」「出たー!」などと悲鳴が上がる。
エルベンは一気に噴出した脂汗を垂らしながら、椅子を蹴立てた。
「き、き、きさま! なぜここに! 王都から出たのではなかったのか!」
「俺がどこにいようと俺の勝手だ」
寒風のような低い声に気圧されたエルベンは、あとずさって椅子にぶつかり、その勢いでドスンと腰を下ろした。
赤い隻眼が怒りを込めて、ひとりひとりを睨めつける。
うしろ暗いことだらけの面々が素早く目を逸らすのを見たクロヴィスは、侮蔑も露わに舌打ちをした。
「先を急いでいるから、手短に済ませる。――この低能老害エロボケクソ野郎共。俺は警告したはずだな? わざわざうちの弟子を連れてきて、手出しするなと。それをまあ、いとも簡単に無視してくれやがって……舐められたもんだぜ、俺も」
「な、なんのことだ! 我らは巡礼の成功を願っている立場だぞっ」
皆が言葉に詰まる中、悔しさの勝ったエルベンがどうにか否定するも、いっそう殺気を増した大魔法使いの視線に射られて、素早く顔を背けた。
「きさまらの妨害なんぞ屁でもねえから、無視して済ませてやろうかとも思っていたが。今俺は、最高に機嫌が悪い。だから先を急いでいるが、どうせ王都は通り道だからな。こうして寄ってやったってわけだ」
「恩着せがましく言っているが、罪のない我らに向かって、それは八つ当たりというものではないのか!?」
ヒラーが絞り出すように声を上げたが、「はあ?」と突き刺すように見下ろされ、「ヒッ」と少女のような悲鳴が上がる。
クロヴィスの紅玉の瞳が物騒な光を帯びて、顔を伏せたまま円卓に着いている者たちを睥睨した。
「俺が来てやった理由は、八つ当たりなんて可愛いもんじゃねえ。世界の深刻さを未だ理解できない底なしの愚か者共に対する、正当な報復だ。ものおぼえの悪いてめえらでも、二度とラピスに手を出せないようにな」
「……何をするつもりだ……」
ブルブルと頬肉を震わせたゾンネが問うと、白皙の美貌が、酷薄な笑みを浮かべて宣告した。
「クソ食らえ」




