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ドラゴン☆マドリガーレ  作者: 月齢
第5唱 母の面影
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竜言語の子守歌

(お師匠様が怒ってる……?) 


 夢とも(うつつ)ともつかぬ眠りの中、ラピスはクロヴィスの怒声を聞いた気がした。ジークにガミガミ言うときの、本当には怒ってない声。


(会いたいなぁ)


 今すぐ会いに行きたい。けれど躰がひどく重くて動けない。

 自分が寝台に横になっていることはわかっているが、身じろぎひとつできぬまま、どこまでもズブズブと沈んでいくような感覚がある。

 どんどん、どんどん、沈んでいく。

 大好きな人たちから遠く離れて、底なしの沼に落ちていく石ころみたいに。


(行きたくないよ。まだみんなと一緒にいたいよ)


 寂しくて悲しくて心細くて、クロヴィスやジークたちを呼びたいのに声が出ない。もがくことすらできず、ただ沈んでいく。


「……慣れぬ寒さに加えて、疲労も溜まっていたのでしょう。子供が急に高熱を出すのは、よくあることですから。ゆっくり休ませてあげてください」


 風病だろうと、そう言っていたのは医者の声。

 部屋に入ってきたとき、朦朧とした意識の中で挨拶したことはおぼえている。

 ジークが礼を言い、ギュンターが見送り、ディードとヘンリックが着替えさせてくれた。

 時間の感覚がないのだが、先刻、どうにかまぶたを上げたときには、ランタンに照らされたジークが頭を撫でてくれていた。


「まったく熱が下がらない……本当に大丈夫なのか」

「団長と違いますから、そう簡単に下がらないでしょう。明日の朝、また診てもらうよう頼んでありますよ」


 ギュンターの声に続き、「俺たちが交代で付き添います。団長は休まれては?」とディードが尋ね、「いや、いい」と低い声が答えて。

 悲しそうな青い瞳に、とても申しわけない気持ちになった。

 ジークは何も悪くないのに、ラピスが体調を崩したばかりに責任を感じているのだろう。


(でも……)


 眠りに引きずり込まれながら、ラピスは思った。

 これって本当に風病だろうか。

 この三年ほど熱で寝込んだことはないが、前回、風病になったときとは違う気がする。あのときは頭ものども痛くて、咳も止まらなくて、それで……。


 ――そのとき、いきなり、思考を寸断された。

 

 落下する。

 果てのない闇の底へ。

 苦しくも痛くもない。

 けれど独り。たった独り。闇のほかには何もない。

 何も見えず、何も聞こえず、何も触れない。

 すがることも掴まることもできず、遠ざかり小さくなっていく明かりを目に映しながら、止まることなく沈んでいく。


(怖い。怖い。怖い。怖い。怖い!!)


 心の中で悲鳴を上げたとき、誰かに呼ばれた。

 ひとりじゃない。二人ぶんの声。


(ラピス! ラピス! 星から生まれし方たちよ、小さな歌い手をお守りください!)


 それはクロヴィスの声。

 と同時に、暗幕を払いのけたように、一瞬で光の中に引き上げられた。


 そこは、懐かしい場所だった。

 カーレウム家の、ラピスの部屋。母がいた頃の子供部屋だ。

 すぐそばで、とても懐かしい声がする。

 それはとうに思い出せなくなっていた、母の声。


 ラピスは今と同じように熱を出して……正真正銘、風病で寝込んでいた。

 けれど母は何か、別の病気を心配していた。


「違うわ。大丈夫よ。この子は大丈夫」


 ときおりそう呟きながら、付きっきりで看病してくれていた。

 熱くて痛くて苦しくて、うなされて起きるたび、優しい笑顔で水を飲ませてくれたり、汗を拭いてくれたりした。


「母様、ちゃんと寝ないとダメ」


 そばにいてくれて嬉しいけれど、躰の弱い母が心配で、かさつく声を出すと……「大丈夫よ、母様の元気の源はラピスなんだから」と、星明かりのように笑った。


「だから早く元気になって、ラピスが母様に子守歌を歌ってちょうだいな」


 頬を撫でるやわらかな手。

 ラピスが寝つくまでいつまででも小さく歌ってくれたのは、不思議な響きの歌。


「母様、それなんのお歌? なんて歌っているの?」

「ラピス大好き! どうしてそんなに可愛いの? っていう子守歌。母様の作詞作曲」


 楽しそうに、少女のように笑って、何度も歌ってくれた。

 

『可愛いこの子をお守りください。愛しいこの子をお守りください。だいじなだいじな宝もの。お守りください。お慈しみください。星から生まれし方たちよ。どうかこの子をお守りください』


(あの歌、竜言語だったんだ……!)


 今ならそれがわかる。でも当時はわからないから特に記憶に残らず、そのまま忘れてしまっていた。

 その歌が今、ついさっきまで怯えて凍えていた心に、鮮やかに甦った。


 綺麗な綺麗な声だった。

 優しい優しい歌だった。

 ずっとずっと、ずっと聴いていたかった。

 今でも、ずっと。


「母様」


 ようやく声が出た。溢れ出した涙と共に。

 同時に、目を閉じていてすら届く光を感じて、はっきりと覚醒する。

 まぶたを上げると、ディードたちが窓を指差しながらあわてふためき、声を上げているところだった。ヘンリックはともかく、ディードのそんな様子は珍しい。

 ラピスの枕元に座っているジークも、驚愕の表情でそちらを見ていた。


 彼らが何を見て騒いでいるのか、ラピスはそれを、見る前からわかっていた気がする。

 いや――聴いていたのだ。

 古竜の歌を。

 だからこそ――


「古竜さん」


 ラピスの呟きに、ジークが弾かれたようにこちらを見た。


「ラピス、起きたのか!」


 ディードたちはまだ、ラピスが目をさましたことに気づいていない。無理もない。窓の外に、古竜が出現しているのだから。


 正確には、窓から見えるのは、古竜の眼玉のみ。

 窓枠よりも大きな水色の瞳で、じっと部屋の中を――ラピスを、見つめている。

 輝く水面のような瞳が夜色の室内をほのかに照らして、月光に照らされたステンドグラスを思わせる幻想的な光が、部屋中をふんわりと舞っていた。


 ゆらゆら揺れる七色の光の中、ラピスは涙を拭いて寝台を下り、窓辺へ歩み寄った。

 ジークが手を貸してくれたけれど、躰はすっかり元通りで、むしろ寝込む前よりすっきりとしていた。足取りも羽が生えたみたいに軽い。

 そんなラピスにようやく気づいたディードたちが目を瞠る。が、掛けられる声に答えるより先に――古竜が去ってしまう前に、伝えたいことがあった。


 ラピスの考えに気づいたらしきジークが、窓を全開にしてくれた。

 反射的に冷気に備えたけれど、ちっとも寒くない。これも古竜の結界内だからなのだろう。


 ジークは椅子も持ってきてくれたのでその上に立ち、窓から身を乗り出して、ラピスは歌った。

 歌声に合わせて、古竜の瞳の光も揺れる。

 ゆらりゆらりと聴き入るように。

 凪の波間を揺蕩(たゆた)うように。


『母様の歌を想い出させてくれたのは、あなたですよね? 怖いのも追い払ってくれて、本当にありがとう』


 ラピスの歌を聴いた古竜は、なおラピスを見つめてから、おもむろに顔を上げた。

 この部屋の窓は宿の敷地の広い庭園に面しているが、古竜が降り立つには狭すぎて、空から首を下げてどうにか覗き込んでいたらしい。

 窮屈な場所で懸命に覗いてくれていたのだなと思うと、申しわけないが笑ってしまった。


 雪降る夜空を埋め尽くすような、太古の古竜。

 星を宿したごとく煌めく水色の眼も笑っている。

 濃紺の巨躯が揺らめくと、鱗が金色に瞬いて、こちらもまるで星空そのもの。その星空のような飛竜が、雪が解けるように消えていった。


『もっと広いところで、待っている』


 そんな言葉を残して。


 ――そうして翌朝には、深夜の古竜出現により、街中が大騒ぎになっていた。

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