師匠 ルビアの足跡を探す旅
王都近くの町でいきなりアレクシア王女の突撃を受け、ジークの嫁問題に巻き込まれて激怒したのち、クロヴィスは海を渡った。
目的地はここ、オルヘスタル国――がかつて存在した場所。
今はただ荒野ばかりが広がる大地に、ひとり立っている。
世界地図で見ると首飾りのように並ぶ国々の東側に、ユングストレームという島がある。大陸と言うほど広くはないが、それなりに大きな島だ。
オルヘスタルは、その島に在った。
自然豊かで慎ましやかな国だった。
が、貴重な鉱山が発見された辺りから利権絡みの争いで国が乱れ、内戦が起こり、とどめを刺すように天災が続いた。加えて突如活発化した火山や大規模な土砂崩れが、鉱山も街も、地中深くに呑み込んでしまった。
そうしてあっけなく、オルヘスタル国は滅んだ。ほんの十年ほど前のことである。
かつて、美しい大森林と宝石のような湖が象徴だった国。
今はもう、見る影もない。
国民は他国へ逃れ、灰色の空の下に広がるのは、どこまでも続く荒れ地と、遮るもののない乱暴な風ばかり。かろうじて再生しつつあるヒースの茂みが、荒涼とした大地をいっそう侘しく見せている。
「だが、きっとここだ」
この地に立ってみて、クロヴィスは確信した。
この地こそ、ラピスの母ルビアの故郷だと。
体内を巡る『竜氣』が、そう教えている。
「あのトンデモ王女も、少しは役に立ってくれたな」
アレクシアに詰め寄られたときのことを思い出して、苦笑した。
あの直後は怒り狂って、遠く離れたジークに向けて悪態をつきまくったが。
しばらくすると、あまりに滑稽で笑ってしまった。若い王女やジークはともかく、自分まで一緒になって大騒ぎとは。
――クロヴィスは愛されず育ったし、自身も誰も愛さなかった。
打算的な女は相手にしても、まごころを捧げようとする女は遠ざけた。
いつも何かと戦っている人生だったから、愛だの恋だのは面倒なだけ。恋愛沙汰に自分の時間や行動を制限されるなんて苦役に等しいと思っていた。その考えは今も大して変わらない。
恋愛より自由を求めるのも人生。
束縛はあっても、誰かと共に生きることを求めるのも人生。
人それぞれ。個人の性質の違い、それだけのことだと思っている。
だがラピスと出会って、彼のために時間と労力を使うことを、まったく苦痛と感じない自分に驚いた。
むしろもっと何かしてやりたいし、幸せにしてやることしか考えられない。
ラピスがいなければジークなど相手にしなかったし、まして集歌の巡礼など、無視する以外の選択肢はなかった。
ラピスのためにジークと関わったら、彼の嫁問題にまで巻き込まれ。情けない噂まで立てられはしたが、王女と会ったおかげで、ある記憶が呼びさまされた。
それが、滅亡前のオルヘスタル国で、『竜に愛されし美姫』と謳われた少女の噂だった。
名門貴族に生まれ、庭園の花々も恥じらうほどに美しく、聡明で慈悲深い少女なのだと耳にした。王族でもないのに『姫』と呼ばれるほど気品があると。
そんな少女を、齢六十を過ぎた国王が、現王妃を廃してまで妃に迎えたがっており、王族の醜聞を国民が嘲笑している――という内容だった。
クロヴィスはそこまで聞いただけで気分が悪くなり、胸中で「エロボケ変態くそジジイ、もげろ!」と悪態をついたものだ。なぜならその時点での『美姫』は、十二、三歳とのことだったから。
そんな幼い少女にのぼせ上がって、王妃を廃そうと考えるなんて。
噂を鵜呑みにはしないが、もしもそれが真実であるなら、オルヘスタル国の内政が混乱を深めているのも無理はないと思った。
クロヴィスの関心は、その少女はもしや聴き手なのか? という点のみだった。
だが『竜に愛されし』なんて形容は世界中に溢れているし、不穏な情勢が落ち着いたら確認しに行ってもいい、くらいに考えていたのだが。
それから何年かたって、『美姫』の死を嘆く噂が届いた。
オルヘスタル国が滅亡する三年ほど前のことと記憶している。
実は『美姫』は心から想い合う相手がいて駆け落ちしたのだとか、家族が脅そうが説得しようが頑として王からの求婚を拒み続けたものの、周囲が強引に縁談を進めた結果、廃妃となることを恐れた王妃の手の者により暗殺されたのだとか。
噂は多岐に渡り、『美姫』はもういないという事実だけが残った。
(アホらしい)
当時のクロヴィスの感想はそれだけだ。
執着で誰かを追いつめるとか命を奪うとか、そんな話は反吐が出る。
そういった過去の記憶を、脇目も振らずジークを追うアレクシア王女に振り回されたおかげで呼び起こされた。
そして思い出したら、気になって仕方なくなった。
『竜に愛されし』誰もが認める花のような美女。
もしも彼女が亡くなったのではなく、他国へ亡命していたのだとしたら?
駆け落ちという噂の真偽はともかく、王に嫁ぐことを厭うて、拒んで。誰かと……あるいはひとりで。
どうとでも考えられる話だが、時系列的にラピスの年齢とは合う。
彼の話の端々に感じる、母親の上質な品性とも通じる。
竜の歌をたやすく解くほどの聴き手だからこそ『竜に愛されし』と謳われ、同時に、その能力を持つことの危うさも知っていたとしたら。
聴き手である上に、知識層に学ぶ機会に恵まれる身分だったのなら、『竜識学大図書館』があるノイシュタッド王国についても、意識して学んだだろう。
そして当然、ドラコニア・アカデミーについても。
だが、この『もしも』の話には、圧倒的に情報が不足している。
一般的な認識としては栄誉あるアカデミーに対して、強く警戒していた理由や、どこでどのように呪いを受けたのか、等々。
わずかな事実を、想像と推測で補強して考えるしかないのだが。
だがクロヴィスは自分の勘を信じている。
勘に従ったおかげで難を逃れたことが何度もある。
勘というのは、その人に必要だから脳が差し出す情報だと思っている。本人が意識せずとも、頭の中のどこかに根拠があるのだ。
ラピスに大魔法使いの勘を信じろと言ったのも、実績があるゆえ。
だからこの件に関しても、行ってみようという勘に任せて足を運んできた。結果、来てよかったと心から満足している。
理由は定かではない。けれど決して明るい景色ではないのに、なぜか心が安らぐ。
柄にもなく、『人とのつながり』について考えたりしているからだろうか。
ラピスと出会って。
ラピスのために一喜一憂して。
ラピスのために他者を受け入れ、くだらないことで怒って。
あんな無邪気な子を残して逝くのはどれほど心残りだったかと、母親に同情を寄せる。
クロヴィスには、こんな経験は初めてだ。
大魔法使いとして数多の知識に触れてきた身でも、こんな感情は知らなかった。
気恥ずかしいほど、あたたかな気持ちだ。
「今、どうしてる? ラピんこ……」
可愛い笑顔を思い浮かべながら、施した加護魔法を通じて弟子の様子を探ると――
「……はあ? 体調に異変アリ? 高熱が出ている、だと……!?」
クロヴィスはわなわなと震え、こぶしを握り、北に向かって叫んだ。
「何してくれてんだ、あのカメムシーッ!」




