あっちもこっちもラピスも異変
ドロシアに案内された茶店は、あちらこちらに置かれたぬいぐるみと、苺柄の刺繍で統一された布張り椅子が印象的な、いかにも女性が好みそうな店だった。
客もやはり女性が多く、男性客はラピスたち同様、女性に連れられてきた者が多いようだ。
彼らはレースとクマのぬいぐるみに囲まれた椅子で肩身が狭そうにしているが、長い脚を持て余しながら苺の中にどっしりと座すジークに、動じる様子はない。そしてディードも……
「ラピスにはホットミルク。ホットチョコレートもあるんですか? じゃあそれもください。あとパンケーキ三つ、メープルシロップをたっぷり。焼きたてアップルパイとミートパイも三つずつ。それからドライフルーツのケーキとビスケットを五つずつ持ち帰り用に包んでおいてください。それから」
慣れた調子で注文していて、こちらも様になっている。二人とも苺柄に怯むことなく堂々としているので、かえって格好良く見えるくらいだ。
ドロシアはディードの隣に座らされて、「ラピスくんの隣がよかったのに!」と抗議していたが、ラピスと目が合うと相好を崩した。
「思った通り、ラピスくんと苺は奇跡の共演だわ~。最高からの尊いっ」
相変わらずよくわからぬことを言う。
するとディードがドロシアに、「あなたは何を頼みますか」と尋ねたので、「わたしのぶんまで注文してくれてたんじゃなかったの!?」と目を剥いた。
ラピスは食欲がないのでドロシアに食べてもらおうと思ったが、さっさと注文の品を選んだドロシアが話題を変えた。
「そういえばラピスくんたちは、シュリ湖を通ってきたんですって?」
「え? あ、えっと……名前は知らないのだけど、うん。湖に寄ってきたよ」
「この辺で湖といったらシュリ湖だから間違いないわ。知ってる? そこね、昨夜のうちに水が干上がっちゃったらしいわよ」
「「ええっ!?」」
ラピスだけでなく、ディードも驚きの声を上げた。
その反応に気を良くしたらしきドロシアは、フフンとディードを見たが、眉根を寄せたジークに「その情報はどこから……?」と問われて真顔に戻った。
「うちの伝書鳩です。というか、うちの班の早耳ですけど。正確には、水位が下がったということらしいです。交代で入った護衛騎士が実際見たというので間違いありません。八割は下がっていたとか。このあと騎士団詰所にも報告が上がるでしょうし、住民に伝われば大騒ぎになるかもしれませんよ」
ラピスは「そんな……」とディードと視線を交わした。
それが本当なら大変なことだ。あんなにも豊かに水を湛えていた湖が、急に姿を変えただなんて。
ラピスたちがあの湖をあとにしたのは半月ほど前のこと。もしもこれが夏で降水不足により干上がるとしても、急激すぎる変化だろう。まして今は初冬で、普通に考えれば広大な湖の水位が急降下する要素はない。
「じゃ、じゃあ、魚や、あそこにいた水鳥たちは?」
「そこまでは聞いていないけど、魚は逃げようがないもんね……って、ああっ! ごめんねラピスくん、そんな悲しそうな顔しないでぇっ! 可愛いけどっ」
「それは本当に、信憑性のある報告なんですか?」
冷静に確認するディードに、ドロシアは唇をとがらせた。
「もちろんよ! 言ったでしょ、アカデミーの学生五人のグループだって。そのぶん護衛や情報収集に割く人手が多いの。だからラピスくんも誘ったのに、どっかの誰かさんに断られちゃったし~?」
「数打ちゃ当たる方式を、いきなり信用しろというほうが無茶ですから」
フンと鼻で嗤い返したディードに、ドロシアが肩を怒らせる。
「いいかげんな報告をするような人間を雇ったりしないわよ! いい? 報告はこれだけじゃないんですからね! ここから東の小村のいくつかで、流行り病が発生してるらしいんだけど、知ってた? 知らなかったでしょ!」
「流行り病!? それが真実なら、すぐ王都に知らせなければ」
表情をこわばらせたディードに、「ちゃんと知らせをやったわよ、当たり前でしょ」と、ドロシアは人差し指を振る。
そうしてラピスに視線を戻し、笑顔全開になった。
「まだあるわ。ラピスくんのために! 騎士見習いには教えたくないけど、ラピスくんのためだけに! 特別な情報を教えてあげる」
ディードはピクッと片眉を上げたが、運ばれてきたジークの紅茶に無言で蒸留酒を垂らし、話の続きを待っている。
一方ラピスは、なんだか頭がぐらぐらしてきた。
『流行り病』と聞いてから、母が亡くなった日のことが脳裏に浮かんで離れない。
(シグナス森林で会った古竜は、母様は流行り病じゃなく、呪いの穢れに触れたせいで亡くなったって言ってた。……いや、今は母様のことより、流行り病が発生したことについて考えなきゃ)
思考がぐるぐるする。
落ち着こうと、すがるようにクロヴィスの言葉を思い起こした。
(そうだ。呪いのことはお師匠様に任せるって約束した。だから、えっと……)
ラピスの異変に気づかず、ドロシアは緑の瞳を輝かせながら話を続ける。
「この巡礼にね、なんと王子殿下まで参加されたらしいのよ!」
「へあ? 王子様が?」
王子と言われても、ラピスにはピンとこない。
王女ならば、クロヴィスのところへ突撃したと聞いたばかりだが。
「王太子様含めて三人いらっしゃる王子様のうち、どなたが参加されたかはまだわからないのだけどね。そもそもなぜいきなり参加されたのか、その理由もわからないし。でもね。もしも実際に王子殿下と会えたなら、ぜひ……ぜひ……ラピスくんと王子様が並ぶところを、見てみたいのよ……!」
マロンパイにナイフを入れたまま、「王子様が天使な美少年に見惚れる図……美少年の書が充実するわ……」と視線の定まらぬ目で笑みを浮かべるドロシアに、ラピスは「へあ」と気の抜けた声を漏らした。
そんな彼女に、あからさまに不審者を見る目を向けていたディードが、ジークへと視線を移した。
「騎士団の詰所には連絡が来ているのでしょうか」
「……寄ってみよう」
ジークはそれだけ答えて紅茶に口をつける。
ちらちらとジークの様子を窺っていた女性客たちから、ほぅ、と甘やかなため息がこぼれた。何人かは「アシュクロフト様と同じメニューをいただける?」と頬を染めて注文している。
しかし紅茶を飲むだけでうっとりされる騎士団長は、彼女たちには目もくれず。
ホットミルクのカップを両手でつつんだまま固まっていたラピスに、心配そうな目を向けてきた。
「……ラピス。ぐあいが悪いんじゃないか?」
「俺もそう思ってたんです」
ディードにもそう言われて、ラピスは驚いた。
確かにちょっと体調が悪い気もするが、ラピス自身ですら自覚が薄いのに、気づかれているとは思わなかった。
とはいえ心配させては申しわけないので、笑って答える。
「ちょっとボーッとするだけですよ~」
「えっ、やだ、ほんと!? 大丈夫!? ラピスくん!」
にわかにあわてふためくドロシアにも「大丈夫~」と答えたが、ジークとディードの表情が一変した。
「すぐ宿に戻ろう。ホットミルクだけでも、飲めるようなら飲みなさい」
真剣な顔でミルクを勧めてくるジークの向かいでディードは、「すみません、やっぱり全部持ち帰ります!」と女性店員に頼んでいる。
「えっ、ちょっ、待っ」
あわててパイを飲み込もうとするドロシアにも、ディードは心配りを忘れなかった。
「支払いは済ませましたから、あなたはどうぞごゆっくりなさってください」
「はい!? いえ、わたしも一緒に……」
「行くぞ」
ミルクを飲み終えたラピスは、またもジークに抱き上げられた。
いくら護衛のためでも、赤ちゃんじゃないのだから自分で歩けるのに……と思う気持ちに反して、躰からどんどん力が抜けていく。
ジークの外套の下に隠すように覆われながら、女性たちの黄色い声を聞いた気がするけれど、ひどくぼんやりとしていて……そこから先の記憶は白い景色ばかりだった。




