その頃の師匠 ジークの嫁問題にキレる
ラピスがトリプト村で活躍し、師匠であるクロヴィスの評価も急上昇させて、大喜びしながら次の街を目指していた頃。
クロヴィスは『呪詛』やラピスの母についての調査を続行中で、王都にほど近い、ある町にいた。
狭くて壁が薄くていかにも庶民的だが清潔な宿に泊まり、美味い茶を出すところも気に入って連泊した、三日目の朝。
宿を引き払って次の目的地へ移ろうと考えていたその朝も、まずは食堂で茶を飲みつつ、ラピスとジークからの定期連絡を読んでいた。
『早耳』と呼ばれる伝書鳩を使った連絡ゆえ、かいつまんだ内容だけれど、ヘンリックという新入りが加わり、いっそう楽しくやっているらしい。
クロヴィスは微笑みながらその小さな手紙を何度も読み返し、ジークからの手紙は半目で眺めただけで放置して、またラピスの手紙に戻った。
「失礼」
男の声がしたが、気にせず手紙を読み続ける。
「失礼。クロヴィス・グレゴワール卿とお見受けいたします」
顔を上げずにいると、相手は焦れたように声を張り上げた。
「失礼! クロヴィス・グレゴワ」
「うるせえ! 失礼とわかっているなら黙って待ってろ!」
怒鳴りついでに顔を上げると、騎士の制服を着た者たちが五人、突っ立って驚きに目を見ひらき、ついでに食堂のほかの客たちも同じ表情でこちらを見ている。
ジークのそれと似ているが色も紋章も違う、第一騎士団の制服だ。
「――王都の警備担当が、なぜこんなところをうろついている?」
ラピスの手紙を丁寧に畳みながら睨めつけると、「う、うろついて!?」と最初に声をかけてきた年嵩の男が目を剥いた。が、取り繕うように咳払いをして。
「仰る通り、我らは王都ユールシュテーク警備担当のヘルツォーゲンベルク第一騎士団団員、そしてわたしの名は」
「いちいち名前がなげえんだよ。てめえの名はどうでもいい、用件を言え」
「て、てめえ!?」
クロヴィスの態度がいちいち癇に障るのだろう。団員たちはわかりやすく額に青筋を浮かべて反応している。
クロヴィスにしてみれば相手の程度を推し測るため、あえてこういう言動をするのだが(単に鬱陶しいという理由も大きいけれど)、目の前の男たちの反応を見て(こいつらは駄目だ)と即座に判定した。
話すに値する人間性を感じない。アカデミー派と同じ、益体もない自尊心の塊だ。
(これならジークのほうがずっとマシ)
マシな人間と判断したからこそラピスを任せたのだから、当然だが。
ジークには信念を感じたし、使命を果たすためならいくらでも頭を下げる気概があった。仕様もないことで感情を乱す目の前の騎士たちとは、比べものにならない。
さっさと追い払おうとした、そのとき。
「この者たちのご無礼をお許しください」
騎士たちの背後、出入り口のほうから女性の声がして、騎士たちが「あっ」と声を上げた。年嵩の男が
「こ、困ります、馬車でお待ちいただくよう、あれほど」
小声で外へと促しているが、その人物はズイッとクロヴィスの前へ進み出てきた。
凛と背筋を伸ばした長身の女性。
毛皮に縁取られたフード付きの外套で顔は隠れているが、王都と王宮担当の騎士たちにかしずかれて地方までやってくる身分となれば、素性は明らか。
――現国王の子は、王子が三人、王女がひとり。彼女の名は――
「アレクシア・フロレンティーナ・エインツヴァルと申します」
フードの奥、ちらりと覗いた顔に艶やかな笑みを浮かべた王女に、クロヴィスは「だから名前なげえよ」と返した。
地方の安宿の食堂に王女が現れては大騒ぎになるので(すでに気づいた客もいたが騎士たちが追っ払い)、王女が乗ってきた馬車に移動するよう、先ほどの年嵩の騎士に乞われて渋々移動したクロヴィスは、車内で王女と二人きりでの対話に付き合わされた。
王女曰く、ジークが大魔法使いとその弟子を担ぎ出してきたと聞いたときからずっと、大魔法使いことクロヴィスに尋ねたいことがあって、捜させていたのだという。
しかし。その『尋ねたいこと』を聞き始めて早々、クロヴィスはげんなりしていた。
「ですからね、グレゴワール様。ジークムント様ほど、わたくしの伴侶として相応しい方はいないのです。わたくしは、あの方の身分や財産をあてにするほかの令嬢たちとは違います。なぜって魂が呼び合っているのですから! だからこそ、わたくしたちは出会ったのです!」
「へー」
「なのに強欲な貴族たちは、わたくしたちの仲を裂こうとします。ええ、そうですとも。我欲のためだけに、真実の愛を砕こうというのです! あまりに障害が大きいゆえに、あの方はわたくしを傷つけまいと、『私は今、任務以外は頭にない……結婚する気もありません……』などと仰ったのですわ!」
自分で自分の言葉に感情を昂らせ、レースのハンカチを握る手を震わせ始めた王女に、クロヴィスは「で?」と問うた。
「結論を言え。俺になんの用なのかを」
「そ、そうですわね。そうですとも。わたくしは彼の伝説の大魔法使いであるグレゴワール様に、お尋ねしたいことがあるのです。あなた様なら誇りにかけて、真実を教えてくださることでしょう!」
「だからなんなんだ」
「……ジークムント様の本命は、あなた。――というのは、ただの噂ですわよね?」
クロヴィスは実に何十年かぶりに、言葉を失うという経験をした。
「…………は?」
たっぷり間をあけて訊き返すと、王女は「やはり」と首肯する。
「ご存知ないのですね。まさかとは思いますが図星ゆえ動転されているわけではありませんわね? ともかく社交界では今、その噂がまことしやかに流れております。わたくしたち――あ、いえ。ジークムント様に振り向いていただけない令嬢たちは皆、『なぜわたくしの想いに応えてくださらないのか』という疑問を抱き続けておりました。そこへ、あなたです。ジークムント様が自らお連れした、あなた」
王女は薔薇色の唇を噛んだ。
「『この世の者とも思えぬほど美しい方』と、あなたを目にした者たちは口をそろえましたわ。でもまさか、グレゴワール様といえばご高齢のはずで――あ、失礼を。でもそうですわよね? 何を馬鹿なと思っていたのですけれど……実際にこうしてお会いしてみれば、本当に……お美しい方……! ご高齢だなんて、とても思えない……っ」
王女の手の中でレースのハンカチが音を立てて裂けたが、気にする様子もなく。勝ち気そうな瞳をまっすぐこちらに向けて、訴えてきた。
「どうか正直に仰ってくださいませ、グレゴワール様! あなた様とジークムント様は、愛し合っていらっしゃるのですかっ!? ですからあの方は頑なに、わたくしたちとの結婚を拒むのですか!?」
――目の前にいるのが女性でなければ、クロヴィスは全力で手刀を振り下ろしていただろう。
それができないので、頭の中でジークの頭に手刀を連打しまくった。
彼が嫁問題で揉めようとどうでもいい。揉めたきゃ揉めろ。
だがなぜそこに自分の名前が出る?
なぜこの歳になって、宮廷の恋愛沙汰に巻き込まれているのか。
自分がジークと愛し合っているせいで令嬢たちの縁談がまとまらないなんて、どこをどうすればそんなトンデモ思考が生ずるのだ。
こんな阿呆な醜聞を聞いたら、アカデミー派の者たちは腹を抱えて笑うだろう。
(あのカメムシ、嫁問題に俺を巻き込みやがって……!)
衝撃と怒りをどうにか乗り越えたクロヴィスは、この落とし前は必ずつけさせると胸中に刻みつつ、心の底から真剣ですという顔で王女を見つめた。
「――王女よ。あの男を信じぬことだ。あの男の誠実さは仮面。俺もだまされていた……」
「ど、どういうことですの?」
「あの男の正体は……ムッツリスケベの権化。その証拠に奴は、集歌の巡礼という神聖なる職務に、気に入りの情人を二人も同行させている!」
「なんですって!? そんな馬鹿な! そんな方ではありませんわっ」
クロヴィスはフフンと鼻で嗤った。
「ならば情人たちの名を教えてやるから、追って確かめてみろ。ひとりはディートリンデ。もうひとりはヘンリエッテだ」
「ディートリンデと、ヘンリエッテ……!? いえ、まさか。嘘よ……」
ブツブツ呟き出した王女に、「北に向かったと見せかけて、南の街で情事に耽っている」と、いい加減な追加情報を吹き込んだところで、クロヴィスはさっさと馬車から降りた。
(ざまあみろカメムシ!)
……自分も充分、阿呆なことをしたという事実には、気づかぬフリをしたクロヴィスだった。




