ドラゴン☆マドリガーレ

第４唱 ラピスにメロメロ

闇色の古竜

「それではやっぱり、穀物庫は……」

「はい。全滅は免れましたが、備蓄庫もやられましたし。国と領主へ納められるほどには残っておりません。我ら、もうひゅっからかんでひゅ。ひょひょひょ」

　あっけらかんとギュンターに、被害状況を明かす村長を見つめたジークが眉根を寄せた。

「では……この場の食料も貴重であろう……」

「ああ、いいのでひゅ、いいのでひゅ！　この宴会は村の恩人様たちにせめてものお返しをして、気合いを入れるためでもあるのでひゅ！」　

「そうですとも。おかげさまで被害はここで食い止められたのですから、また一からやり直せばいいだけのことですよ！」

　周囲の者たちも皆、力強く「おう！」と杯を掲げる。

「そうとも！　……逃げてった魔法使い共にまで秋蒔き小麦の畑を荒らされて、全滅しちまったけど……」

「大丈夫さ！　村長が瀕死の体(てい)で納税の猶予を願い出れば、なんとか待ってもらえるさ！　な、村長！」

「ほっほっほっ。年寄りにとって死んだフリほど真に迫った演技はないからのぅ。それでも駄目なら、お前らとっとと出稼ぎに行け」

　酔っているのか空(から)元気なのか、ワッハッハと豪快に笑う村人たちに、ジークとギュンターが複雑そうな表情で顔を見合わせている。

　ラピスは食べ終えたシチューの皿を見た。

　貴重な食料だったのだと思うと、申しわけなくなる。

　カーレウムの家は貿易商だったから、父や家庭教師から少しは経済について学んでいる。

　備蓄がなくなって、畑も荒らされて、そしたらきっと借金も膨れる。

　農家が畑を放置して出稼ぎに行けば、畑が駄目になってしまうかも。

　残った者が頑張っても収穫量は減って、借金を返せなくて、また出稼ぎに出て……。

　みんな一生懸命頑張っているのに、どうにもならない。それが自然災害の怖さなのだと、改めて知った。

（これも竜の力が欠けたのが原因なのかな……でも……）

　なんだろう。何か違和感がある。

　ここまでは虫を追い払うことに集中していて気づかなかったが……何かが気になる。

（この感じは、えっと……）

　知っていると思うのに。ラピスもさすがに疲れていて、思い出せない。

　そのとき、誰かに呼ばれた気がした。

　周囲を見回しても、それらしき人はいない。

「……あ！」

　外だ、と気づいて、扉の外に出た。

「ラピス！」とジークの声が聞こえたが、ラピスは声の主を探すことに集中していた。

　食堂の外には焚火を囲む人々がいるが、道を挟んで向かい側には、荒らされた畑地が広がっている。

　今は闇の中に沈んで、黒い海のように見える大地。

　闇色に波打つごときそこから、巨大な竜の眼が、ラピスを見ていた。

「――古竜さん」

　ラピスの背後で、追いついたジークが息を呑むのがわかった。

　現れたのは、闇色の古竜。

　けれど鱗の一枚一枚が玉虫の輝きで、金色をも孕んでいる。

　夜の大地で首をもたげるにつれ、星がこぼれ落ちるように鱗が煌めいた。

　あまりに巨大で全容が見えないのは、シグナス森林で見た古竜と一緒。間違いなく太古の古竜。今回はさらに距離が近い。

　馬車道一本挟んですぐそこに広がる畑の上だから、ラピスの身長より大きい金の眼の、虹彩までもはっきりと見えた。

　月光を受けてゆらゆらと、首すじに帆船の帆のようなヒレが波打つのがちらりと視界に入る。

　年経た地竜は、水竜にもなるという。

　きっとこの古竜は、それそのもの。

　それにしても、なぜいきなり古竜が――と思うことすら忘れて、ラピスはしばし、その神々しさに見惚れた。

　肩に手を置かれて見上げれば、ジークも目を輝かせて古竜を見つめている。

　そんなラピスたちの様子に気づいたか、焚火を囲んでいた者らも古竜の存在に気づいて、驚愕の声を上げた。

　外の騒ぎを聞きつけた食堂内の者たちも飛び出してきて、騒ぎが連鎖したが、自然と、ある者は呆然とし、ある者は跪いて、皆の心に生まれた畏怖と尊崇が、厳かな沈黙を連れてきた。

　静かに大気が浄化されていく。

　深呼吸するだけで、疲れた躰の隅々まで清められ、癒されていく。

　あまりに心地よいその空間で、ほう、とため息をこぼしたとき、ラピスは息が白くないことに気がついた。

（きっと古竜さんの結界の中にいるんだ）

　寒くないよう気遣ってくれているのだろうか。

　ぬくもりにぼーっとしてしまったが、それどころではないのだと思い出した。

（『竜の力が欠けたときの対処法』を教えてください）

　古竜の結界の中で歌うというのは、初めての体験だ。目を閉じるとまぶたの裏に、淡く優しい七色の光が踊る。

　空に舞い上がっていくような。

　地の底へとおりていくような。

　不思議な感覚と共に、ラピスの歌声が広がった。

　どこか夢を見ているような心地で、歌いながらそっと目をあけ古竜を見ると、目を細めてこちらを見つめ返している。聴いてくれているのだと実感できて、歓喜のあまり、欠けた力の対処法を訊いていたはずが、

（聴いてくれてすごく嬉しい！　幸せ！　ありがとう、ありがとう！）

　に内容が変わってしまったけれど。それでも古竜は楽しげに笑っているのが伝わってくる。

　やがてゆっくりと、巨大な瞳が瞬きをして。

　歌い終えたラピスは、わくわくと返歌を待った。

　そのとき、ドン！　と全身を震わせる重低音が大地と大気を打った。

　大きな打楽器のような音が、鼓動のように鳴り響き――

　古竜の歌は、闇から始まった。

　闇の中、竜は飽きもせず何かを待ち続けていた。

　やがて視界に入ってきたのは、煮え滾るマグマ。火道を駆け上がるための力を溜めに溜めて、夕焼けを溶かした噴水のように、火口から噴き出した。

　激しすぎるまばゆさを放ちながら、猛々しい溶岩流が一帯を呑み込んでいく。

　それはまだ、人がいない時代の創世の記憶。

　古竜はただただ、見つめていた。荒々しい火山活動と、そこから生まれる何かを。自分が創り出したものの成長を見守り続けた。

　そんな古竜に、ほかの誰(・)か(・)が尋ねた。

『楽しいか？』

『楽しい。あれはとても元気だ』

　そう答えた。

　――そこで、古竜の歌は終わった。

　だがラピスの中には火山の激しさが鮮烈に残っていて、胸がドキドキしたままだ。

　大地を揺るがすほどの底知れぬ力と無邪気な優しさを併せ持つ、昔むかしの古竜の記憶。

　力強い歌は、聴いただけで躰中に力を漲らせてくれた。

　胸が熱くなるほどのこの感動と余韻をまだまだ味わいたかったけれど、肝心なことに気がついた。　

（ん？　欠けた力の対処法は？）

　ラピスの思いを読んだように、闇色の古竜が目を細める。

　この古竜はよく笑う。ラピスはちょっとドキドキした。

　しかしそうこうしているあいだにも、結界が薄れる気配がして……

『あ、待って、待って～！』

　あわてて引きとめるも叶わず。来たときと同じく唐突に、闇色の古竜はフッと消えてしまった。

　あとに残ったのは、戻ってきた晩秋の夜の冷気と、呆然と古竜が去った畑を見つめる人々だった。

　どうやら彼らは例の……竜の力に慣れていないと中(あた)るという、『竜酔い』の真っ最中らしい。

☆　☆　☆

「ラピヒュ様、どうかこれをお持ちくだされ」

　翌日、村を出る前に村長から渡されたのは、村長秘蔵の『長寿亀の甲羅』であった。

　村長の母の家系は占師だったと言う。亀甲占いを得意とし、母の代に廃業したけれど、『長寿亀の甲羅』は家宝として受け継がれたらしい。

　しかしなぜいきなり、亀の甲羅かと言えば――

　実は今朝になって、すべての畑が『復活』していることに村民が気づいた。

　復活といっても冬を前にしたこの時期なので、実りがあったというわけではない。

　だが荒れ果てていた畑から大量の虫の死骸が消え、ふかふかといかにも肥沃な土になり、秋蒔き小麦の芽も元気に顔を出していた。この新芽はこれから訪れる長い冬のあいだを雪の下で過ごし、雪解けと共に生き生きと成長してくれるはず。

　村民たちは歓喜に湧いた。

「ああ、これでまた、春になったらすぐに畑が使える……！」

　被害が帳消しになったわけではないけれど、生業を続けられる。出稼ぎに出ずとも済むかもしれない。

　肩を震わせ涙する人々を見ながら、ラピスはここでも師の言葉を思い出していた。

『古竜は世界を守る存在なんだから、その力に触れれば恩恵は受けるさ』

　まさに恩恵を受けた村人たちは、またもあれやこれやと恩返しをしたがった。が、ジークたちと共に丁重に辞退した。

　だってラピスは、ちゃんと一番ほしかったものをもらえたのだ。

　それは何かといえば……

「ラピスちゃんは本当にすごい子だよ！　こんなに小さいのに聴き手と歌い手の天才だ！」

「古竜もラピスくんがいるからこそ来てくれたんだ。間違いないさ」

「こんな素晴らしい子が弟子だなんて……師匠である大魔法使い様は、さらにすごいってことだね！」

「そりゃそうだ、伝説になるほどだもの！」

「こんな天使のような弟子を育てて遣わしてくれて……さすが大魔法使い様だよ」

「悪い評判を聞いたことがあるけど、噂なんてまったくあてにならないねぇ」

　ラピスは心の中で叫んだ。

（お師匠様ーっ！　まずはトリプト村で、お師匠様への誤解が解けましたよーっ!!）

　これぞ、ラピスが最も望んでいる報酬。

　もちろん巡礼の本来の目的は忘れていないけれど、師の素晴らしさを多くの人に広めたいという野望は譲れない。

　ラピスがあまりにニコニコ喜んでいるので、その笑顔を見た人々が、

「ああ……か、可愛い～っっ！」

「百年見てたい……！」

　などと言って腰砕けになり、ディードたちが苦笑していたが、ラピスはよくわからずに首をかしげた。

　その後、村長が「どうしてもお礼がしたいのでひゅ」と持ってきたのが、『長寿亀の甲羅』だったというわけだ。

「わたしには子供がいないので受け継ぐ者がおりませんし、もうこれには、一緒に棺桶に入れるくらいの用途しか残っておりません。古竜の鱗とは比べ物になりませんが、これも良い薬の原料になると聞いておりまひゅ。どうかどうか、受け取ってくだされ」

　ジークやギュンターからも受け取るよう勧められ、ラピスはありがたくいただくことにした。大切に使わせてもらうと約束して。

　――古竜から『欠けた力の対処法』を聴くことはできなかったけれど、みんなの喜ぶ顔を見ながら、出現してくれたことに心から感謝した。

　別れを惜しまれつつ、ラピスたちはトリプト村をあとにした。

　次の目的地はゴルト街。

　レプシウス山脈に至る地域の中では、最も大きな街である。