蝗災と魔法使い
狩猟小屋で迎えた朝は快晴で、地面には霜が降りるほど気温が下がっていたものの、何度も深呼吸したくなるほど清々しい空気に満ちていた。
王都に帰る騎士たちと再会を約束して別れ、ラピスとジークとディード、そして新たにギュンターとヘンリックという、五人旅が始まった。
次の目的地はトリプト村。
比較的最近、古竜が現れたという情報があるところ。
ただ、その『比較的最近』という表現は、期待していいのか悩む曖昧さではあるのだが。
「ね、ヘンリックも一緒に馬車に乗る?」
「ヘンリックくん」と呼んでいたら「呼び捨てでいい」とディードから言われ――ヘンリックは目を三角にして抗議していたが、結局本人からもお許しが出たので――そう呼ぶようになった。
ひとりで馬車に乗るより楽しいので、わくわくしながら誘ってみたのだが。
「なんでぼくが馬車に乗らなきゃいけないんだよ。ぼくは騎士見習いだぞ?」
もっともな答えが返ってきて、ラピスはしょんぼりしてしまった。それを見ていたディードがきつく言い放つ。
「聴き手として参加したんだろ。おとなしく馬車に乗ってろ」
それでまた喧嘩になる前にギュンターに引き剥がされるという、お決まりの流れがありつつ。
賑やかに、順調に、道を行くこと五日ほど。
明後日にはトリプト村に着く予定だったのだが……。
移動の馬車の中、ラピスは鞄から母の形見の小箱を取り出し、じっと観察していた。
ラピスの小さな両手にすっぽりおさまる、普通の木の箱。
クロヴィスから持って行くよう渡されてからというもの、思い出しては開けたり閉めたり、逆さに振ったりして、あちこち調べてみたけれど、やはり特に変わったところはない。
けれど信頼する師の『勘』だから。
きっといつかどこかで、必要になるときがくる。
そうでなくても母の形見なので、手元にあると心強い気もした。
丁寧に布でつつんでしまい直し、窓外に目を向ける。
「うー……」
思わずうなり声が出た。
実は外を見ていると落ち着かなくなるので、箱を見て気を逸らしていたのだ。
――ここまで森や丘、放牧された牛や羊など、のどかな景色が続いていた。
しかし少しずつ、空気が変わってきている。それも嫌なほうに。
冬を前にした時期だから、枯れ木やもの寂しい景色が多いのは当たり前だ。
しかしそれだけではなく……なだらかな丘へと続く野原も、遠くに見える畑も、ひどく『痛めつけられた』かのように見えるのだ。
季節の秩序を保って冬枯れしたのでなく、踏み荒らされて息絶え、放置されたような。まるで突然、なんらかの禍が降りかかったみたいに。
そんな考えが頭をよぎり、全身が粟立った。
根拠もなく嫌なことを考えたくないのに、自然に親しんで育ってきたラピスは、こうした異変を敏感に察知してしまう。
『実際いま、世界中で天災や人災が続発してるんだ。ここらの森はとても健康で美しいようだけど、謎の枯死で山ごと死に絶えた森もあるんだよ』
初めて出会った日、ディードがそう教えてくれたことを思い出す。
ここまでみんなに助けられて、深刻な事態を思わせる土地を目にすることもなかったから、大切なことを失念していたけれど。
(もしかしたら、ここも? 土地に何か異変が起こった?)
竜の力が欠けたら、世界が不安定になる。だから対処法を探す。
いま目にしているのは、その『不安定』が作用した結果なのだろうか。
馬車の中から見ているだけでは、よくわからない。
ジークたちに声をかけてみようか、次の休憩地まで待つべきだろうかと考えるうち、もうひとつの変化にも目が行った。
「やっぱり、人が増えてる」
この辺りは大きな街もなく、王都からもすでに遠く離れているだけに、これまで馬車道を行き交う人も数えるほどしかいなかった。
だが今朝くらいからだろうか。
ラピスたちが向かう先から――逆方向から、来る人が増えているのだ。
道幅が広くはないので、馬車同士ですれ違うときは、どちらかが止まって脇に寄せなければならない。
その際、相手がジークを「アシュクロフト団長」と呼んで挨拶していたり、ちらりと見えた車内の顔も学生のようだったり、騎乗で移動する人たちにも、見おぼえのあるアカデミーの外套姿を多く見かけた。
ということは、『竜王の城』があるという北のレプシウス山脈を目指して先行していた巡礼の参加者たちが、戻ってきたのだろうか。
(……こんなに早く?)
考えているうち、馬車が止まった。すぐにディードが馬から降りてきて、扉を開ける。
「ラピス。今すれ違った人たちに聞いたんだけど、トリプト村で問題が発生したみたいだ」
「問題?」
「うん。蝗災らしい」
☆ ☆ ☆
その夜は、あらかじめジークが借り受けていた農家の空き家に泊まった。
部屋がひとつきりのこじんまりとした家だが、屋根の下で眠れるだけありがたい。
素朴な暖炉の炎を見つめながら、詳しい情報を集めてきたギュンターから話を聞いた。
「ちょうど巡礼の旅が始まった辺りから、トリプト村とその周辺にバッタが大量発生したらしいんだ」
枯れる寸前の雑草や、収穫後の畑の草まで喰い尽くし、収穫した作物用の倉庫、貯蔵庫にも群がっているという。
道中で見た寒々しい景色も、それが理由だったのかもしれない。
「でも、もうすぐ雪が降る時期に、バッタが大量発生するものなのでしょうか」
ラピスの言葉にディードもうなずく。
「そもそもこの辺りにはこれまで、大型バッタの大量発生なんて起こったことがないらしいよ」
ギュンターも「そうなんだよな」と腕を組んで続けた。
「時期的にも地理的にも不自然な発生。そのせいか、大量発生しているものの寿命も短くて、今はまだ住民が避難するほどの被害にはなっていないらしいが……」
「バッタが……バッタバタ死ん」
眠そうにしていたヘンリックの呟きは、言い終えぬうちにディードが振り下ろした手刀で途切れた。「痛い!」と頭を押さえている。
……ディードもクロヴィスの技を学んだのだろうか。
「でも、魔法使いたちがあわてて引き返してくるくらいには、被害が出てるってことですよね?」
ヘンリックの抗議を無視したディードが尋ねると、ギュンターは首肯で返してジークを見た。
「どうしますか、行程を変えますか」
皆が迷っているのは自分がいるからだと、ラピスはわかっている。
ジークもきっと護衛の仕事がなければ、むしろ真っ先に様子を見に行って対処しているに違いない。
でも村の人たちが心配なのは、ラピスとて同じだ。だから。
(お師匠様は、自分で決めてみろって言ってた)
無言でラピスを見つめていたジークを、まっすぐ見つめ返し。
「僕はこのままトリプト村に行きたいです!」
ジークは一瞬、驚いたようにぴくりと片眉を上げた。が、反対する言葉は返らなかった。
「危険と判断したら、すぐ引き返す……」
「おっ、行きますか! それはよかった」
一転、ギュンターが明るい声になったので、皆が目を丸くして彼を見た。
甘いマスクの副団長は、パチンとウィンクで視線に応える。
「実はトリプト村の住民たちは、先行した魔法使いたちに『助けてくれ』と頼んでたらしくて。巡礼に参加するくらいだから、手助けする力もあるだろうと。でもほら、アカデミーの奴らはみんな逃げ帰ってしまうばかりなものだから……」
途端、ディードがギュンターに食ってかかった。
「なんですかそれ。もしやほかの魔法使いたちが投げ出したことを、ラピスの魔法でどうにかしてもらおうとしてます!? 駄目ですよ! ラピスに無理をさせたら、副団長でも許しませんよ!」
ラピスが止める間もなく声を荒らげたディードに、ギュンターはあわてて「いやいや」と両手を振った。
「ラピスに無理をさせる気なんかないって! 俺たちに手助けできることがあるかもしれないだろう、そういう意味!」
しかしじっとりと副団長を見るディードの目は、まったく信用していない者のそれだった。
☆ ☆ ☆
トリプト村に近づくほど、馬車にも馬にも、もちろん人にも、大量のバッタが激突してくるようになった。虫に追われるように逃げてくる魔法使いたちも、どんどん増えている。
「今から村に行くんですって!? やめたほうがいいですわ。作物の備蓄庫にも虫が入り込んでしまって住民が混乱していますし、どこもバッタだらけで、宿に泊まるどころではありません。遠くに逃げて野宿したほうがまだマシですわよ!」
アカデミーの学生らしき女子が、馬車の中から目ざとくジークを見つけて忠告してくれた。その間もバッタが彼女のおでこにぶつかって、「ギャーッ!」と悲鳴をあげている。
ジークが礼を言って扉を閉めさせるや、馭者はほかの馬車と競うように馬を急かして去って行った。
「これ以上虫が増えると、馬も心配ですね」
虫を払いながら声を上げたディードに、ジークが首肯を返す。
人も馬も顔に布を巻いてしのいでいるが、これでは村に辿り着くことすら困難だ。細く扉を開けて様子を窺っていたら馬車の中にもバッタが飛び込んできて、あわてたディードに閉められてしまった。
「そうだ」
ラピスは鞄から雑記帳を取り出した。
クロヴィスの家に移り住んですぐの頃に作ってもらった、お気に入りの帳面。
これには師から学んだことが、びっしりと書き込まれている。
「えっと、えっと……これだ!」
窓越しにディードに合図を送ると、すぐに馬車を止めさせてくれた。




