幼竜との出会い
(~【創世の竜の書】より~)
『創世の世。天帝が、真闇に吐息をこぼした。吐息は無数の光の粒となり、月と星々が生まれた。月と星々は天帝に命じられ、地上を司りし者たちを放った。それこそが竜である。
最初に、竜王が歌った。
世界が陸と海とに分かれた。
続いてほかの竜たちが歌うたび、山が隆起し、河が流れ、森が育った。多様な生きものが生まれ、命を育むため必要な環境が整った。』
☆ ☆ ☆
ラピスは両腕を広げて竜の歌を受け止めた。
黄葉色の光の粒子が、歌声と共に、きらきらと空から舞い落ちてくる。
静かな優しい歌が秋の森に降り注ぎ、ラピスに言葉を伝えてきた。
「んん? 清流の水、橡、白樺、七竈の実、宿木、楓の葉、山査子……?」
空を仰いだまま小首をかしげる。
竜の歌はいつでも、ちゃんと意味がある。
すぐにはわからずとも、のちに「こういうことか」とわかる場合もある。
薬草、毒草、食べられる野草の見分け方に、何十年か前の王様の話なんていうのもあった。
「今日のはどういう意味かなぁ」
意図がわからぬまま小枝を拾い、次々歌から落ちてくる名称を、地面に書きながら暗記した直後。竜は肝心なことを付け足した。
「えっ、幼竜が怪我してる!? どゆこと? というかそれは、真っ先に歌うべきだよう! どこにいるの? ん、あっち?」
竜は琥珀色の目を満足そうに細めると、用は済んだとばかり、大きな翼を広げて飛んで行ってしまった。
名残りの強風が吹き下ろされて、山毛欅の木のてっぺんから、まん丸い宿木が落ちてくる。
ラピスはしばし森と一緒に風にあおられ、手近な幹に掴まってやり過ごしたところで、竜が指定した『あっち』の方向へ走り出した。
秋枯れの進む森は、比較的遠くまで見渡せる。が、幼竜を探すには広すぎて、思わずため息が出た。
「竜の言う『あっち』の範囲は、大雑把すぎると思う」
枯れた笹薮が群生する辺りをかき分けていると、先刻聴いたばかりの竜の歌が、自然と口をついて出た。
「橡、白樺、七竈の実、宿木……」
と、藪の向こうから、「キュウゥ」と、か細い声がした。
反射的に耳をすませて音の出処を探ったが、枯れ葉がこすれる音ばかり。
――もしかすると、竜の歌に反応したのかもしれない。
そう思ったラピスがもう一度くちずさんでみると、すぐさま足もとがぽこりと動いた。
「ふぉっ!?」
思わず跳びすさったラピスの脛に、泥まみれの物体が貼りついてくる。
「キュイーッ!」
静寂の森をつんざく大音量。
ラピスはあわてて耳を塞いだ。
「ちっちゃくして! 声ちっちゃくしてーっ!」
負けずに声を張り上げながら見下ろした先には――ぴっとりと脚にすがりつく、小っちゃな竜。
そう。泥と枯れ葉にまみれているし、これまで竜の幼体など見たことはなかったけれど、確かにこれは竜だ。
正真正銘、竜の子だ。
子犬くらいの大きさの獣型で、飛竜の証の翼は、あちこち裂けている。
太い尾や足の爪からも出血しており、美しい水色の鱗も剥がれて泥まみれ。思わず顔が歪むほど痛々しかった。
「可哀想に」
抱き上げると、見た目よりずっしりと重い。
鳴きやんだ赤い瞳が、見つめ返してきた。
「どうしてさっきの竜が連れ帰ってあげなかったのかな。違う群れの子だから? それとも竜は大きすぎて、きみを拾いに降りて来られなかったとか?」
さて、どうしたものか。
負傷した竜を治療できる医者に、心当たりはない。
そもそも竜に触れたことがある人の話も、聞いたことがない。
怪我をした幼竜がいると竜の歌で知り、すっ飛んできたはいいけれど……どう対処すべきなのかがわからない。
ちょっと途方に暮れかけたところで、ラピスは先ほどの竜の歌を思い出した。
竜の歌にはいつも、ちゃんと意味がある。
「水とか橡とか歌ってた。ということは、それが治療に必要なのかも?」
そういえば歌に挙がっていたものはすべて、今時期の森で手に入るものばかりだ。宿木も竜が落としていってくれたから、高所まで登らずに済む。
ラピスはとりあえず上着で竜をくるみ、「ここで待っててね」と枯れ葉の山におろしたものの、「ギャーッ!」とまたも凄い声で鳴かれて、あわてて抱き上げた。
「寂しいの?」
その気持ちは、痛いほどわかる。
やはり一緒に移動するのがいいだろう。
気合いを入れて幼竜を抱え直し、歌が示した物を探し出した。
まずは川辺へ。『清流の水』は、これでいいはず。
だが柄杓も器もないから汲むことができない。
「どうすればいいかな」
呟くと、幼竜が急にじたばた動き出し、ぼとっと腕から川原に落ちた。
「わあっ、大丈夫!?」
急いで手を伸ばしたけれど、小さな竜はよたよたと川縁に進み、川から直接水を飲み始めた。べちゃべちゃと、元気に舌を動かす音がする。
「それでいい……の?」
?を頭に貼りつけたまま、続いて橡、白樺、七竈、とそれぞれの木へと向かった。馴染みの森だからどの木もすぐに見つかり、結果としてそれで正解だったらしい。
枯れ落ちた枝や実を拾って差し出すと、幼竜はそれらを気が済むまで貪り、すべて食べ終える頃には、かなり元気を取り戻していた。仕上げに水浴びをするほどに。
「怪我してるのに、しみないの?」
問いかけながら、まあるくなったお腹を見たラピスは、ぷふっと笑ってしまう。
幼いといえど竜。この調子なら、治癒は自力でどうにかできるだろう。
ラピスはもう一度上着で幼竜をつつみ、元いた場所に近い木の洞に入れてやった。
「明日また様子を見に来るよ。その前に、親か仲間が迎えに来てくれるといいね」
そうして家に戻ろうとしたのだが。
背を向けた途端、またもけたたましく鳴かれて、ぴょんと躰が跳ね上がった。
「静かにしてぇ! 街まで聞こえたら、人が来ちゃうよ」
耳を塞いで訴えても、幼竜はギャーギャーと必死で主張してくる。
試しに抱き上げるとぴたりと止むが、おろすとまた鳴くのだ。
「寂しいのはわかるけど……」
竜を抱っこしたまま、困り果てた。
実はラピスは、生前の母と、竜についていくつか約束をしている。
母ルビアが体調の良いときは、たびたび一緒に森を訪れた。
そしてその際も、よく竜と遭遇した。
母は本当に上手に竜の歌を聴く人だった。ラピスにはまだ難しかった歌の意味も、ちゃんとわかっていた。
けれど……
『竜に会ったことも、歌を聴いたことも、誰にも言ってはだめ。二人だけの秘密よ』
そう、固く約束させらせれていたのだ。
それが『竜とラピス自身のため』なのだと。
『あなたがもっと大きくなって、本当の本当に、心から信じられる人に出会ったら。そのときは打ち明けてもいいわ。母様がそのように、竜に頼んでおいてあげましょう。打ち明けるべきとき、打ち明けるべき人に、出会えるように』
その母の言葉には、子供ごころに、ちっちゃな疑問がいくつか浮かんだのだが……
ラピスは突き詰めて考える性質ではなかったものだから、母が言うならそうしよう、と素直に聞き入れた。
大好きな母との約束を、破るつもりはない。
けれどすでにずいぶん帰宅が遅れている。
ほかにもあれこれ仕事を言いつけられているから、早く帰らないと継母たちからひどく怒られるだろう。
「……仕方ない!」
ラピスは幼竜を連れて帰ることに決めた。
明日また森に来て、成竜が通ってくれることを祈ろう。そうしてもし逢えたら、この幼竜の面倒を見てもらえないか頼んでみよう。
早速バスケットから茸を出して幼竜を入れ、上着をかぶせた上から茸をのせた。
ずしっと重いが、薪運びで鍛えられているし、家まで運べないこともない。
「静かにして、誰にもばれないようにするんだよ。絶対だよ」
理解したのかしてないのか、幼竜は「キュッ」と返してきた。
思わずクスッと笑って、北風にクシャミをしてから、誰にも見つからず屋根裏部屋まで帰れますようにと祈る。
「うん、どうにかなるでしょ!」
……やはりラピスは、深く突き詰めて考えることはしないのだった。
けれどこの決断が、彼の運命を大きく変えたのだ。