ディード vs. ドロシア
「ドロシア・アリスンさん……?」
突然の申し出に、ラピスは目をぱちくりさせた。
するとドロシアと名乗った少女は頬を染め目を潤ませて、「うぎゃっ、瞬きまでもきゃわわ……!」などと謎の言葉を発し、食い入るように見つめてくる。
「天使に名前を呼ばれたわ~……じゃなかった、失礼しました。わたしたちはアカデミーの学生五人のグループなんです。大人数のほうが安全でしょう? 護衛も多いし。けど美少年が皆無状態なのが難点で、このまま長旅するなんてうんざり~……じゃなかった、えーと。よければラピスくんと騎士団長様たちも、ご一緒しませんか?」
説明されたことで、ラピスはますます混乱した。
よくわからないが、とにかく「安全のため一緒に行動しましょう」という提案らしい。
ドロシアはアカデミーの制服を着ていない。だが彼女が指さしたほうの卓に集まっている集団の中には、それとわかる格好の者もいる。彼らの席までこの会話は聞こえていないだろうが、興味津々という表情でこちらを窺っていた。
とりあえずアカデミーの学生であることは間違いなさそうだ。
しかしあまりに唐突すぎる申し出のため、声を発するのが遅れたところで、ディードがラピスの前に立ち塞がった。
「失礼、ドロスン・アリシアさん」
「……ドロシア・アリスンよ」
ドロシアのこめかみに青筋が浮き上がったが、笑顔はそのまま。
ディードは「失礼」と頭を斜めに軽く傾けたものの、訂正せぬまま話を続ける。
「申しわけないのですが、そういう申し出を急にされても困ります。我々はあなたたちの身元を確認できていないので」
「学生証はあるわよ? それにわたし、アカデミーであなたと会ってるし話しましたよね?」
ひくつく笑顔で言い返したドロシアが、頭突きしそうな勢いでディードに顔を寄せ「この顔、おぼえてません?」と迫ると、あちらこちらの卓から冷やかしの口笛が上がった。二人がキスするとでも思ったのだろうか。
しかしディードは外野の声など耳に入らぬ様子で、「アカデミーで?」と遠慮なくドロシアの顔を覗き返した。すると今度はドロシアのほうがたじろいで、あとずさる。
じっと見つめて確認したのち、ディードは首を横に振った。
「記憶にありません」
「ないのっ!?」
かなりショックを受けたようで、とうとう笑顔の消えたドロシアが、ラピスは可哀想になってきた。
一緒に行動してもいいのではと執り成そうとして、またもディードに先を越される。
「あなたたちは護衛のほかに、荷運び人や使用人も連れていますね?」
「連れてますけど、何か? 言っておきますけど、当然身元の確かな者ばかりですよ!」
「しかしそれを確認したのは、我々ではないので」
「うわ~……」
ドロシアは、怒ったり、がっくり肩を落としたり、忙しい。
ラピスはハラハラしながらジークを見たが、彼は黙って食堂内に鋭い視線を走らせるばかりで、話に参加する気はないらしい。
ジークもディードも、とても責任感の強い人柄だ。たとえクロヴィスから念入りにラピスのことを頼まれていなくとも、護衛対象に近づく人物に細心の注意を払うのは当然、職務の内だろう。
ラピスはほかの魔法使いたちが自分のあとについて来てもかまわないし、それは二人とも了承してくれていたけれど、勝手についてくるのと一緒に行動するのとでは、護衛の仕方も変わってくるのかもしれない。
ディードが厳しめな対応をしているのも、たぶんそういう理由。
かといって、このまま断ってはドロシアに悪い気がして、(どうしよう)とオロオロしていたとき。
「……んん?」
ラピスは何かに、違和感をおぼえた。
何に反応したのかは、わからない。だがうなじがチリチリして、妙な胸騒ぎがする。
「……どうした、ラピス」
ラピスの小さな異変に気づいたらしく、ジークがこちらを見つめていた。
その声にディードとドロシアも振り返る。
ラピスはなんとも答えようがなく、違和感の正体を探ろうと、頬に手を当てたり胸を押さえてみたりしたが、唐突に襲ってきたそれは、急速に霧散してしまった。
「ぐあいでも悪いの?」
ドロシアが心配そうに訊いてきた。
そういうわけではなかったと思う。現実的な躰の不調とは違うと思う。
でもなんだか……落ち着かない感じには、なった。霧散してくれて、かなりホッとした。
けれどどう説明すればいいのかわからず、なんでもないとラピスは答えた。
「ごめんなさい、ちょっとボーッとしちゃった。心配してくれてありがとう、ドロシアさん」
にっこり笑って礼を言うと、ドロシアが「はうっ」といきなりよろめいたので、ラピスはビクッと躰を揺らした。
ドロシアのほうこそ、ぐあいが悪いのではなかろうか。
「だ、大丈夫ですか、ドロシアさんっ」
ラピスが顔を覗き込むと、ドロシアは「眩しいっ!」とふらつきながら立ち上がる。
「おおぅ。だいじょぶ、大丈夫よ~何も問題ありません! 天上人クラスの美少年の笑顔に、危うく昇天しかけただけ~。落ち着け~落ち着けわたし。でもでもそうね、一緒にお茶でもできたら、すっごく元気になれちゃうな~♡なんつって」
「なるほど。みんなで一緒にお茶を飲みたいのですね!」
ようやくちゃんと理解できることがあった。
ラピスは「待っててくださいね」と言い置いてカウンターに駆け寄り、お茶を注文した。クロヴィスから渡されていたお小遣いで支払おうとすると、ジークが横に来て払ってくれた。
にこにこしてジークと店主にお礼を言うと、店主もにこにこして「これは日持ちするから旅先でお食べ」と、ドライフルーツがいっぱい詰まった焼き菓子をくれた。ディードの好きな菓子なので嬉しい。
もう一度礼を言ってから席に戻ると、ドロシアがラピスを見つめながら目を潤ませ、立ち尽くしている。
「お店の人がお茶を運んでくれるって言うから、待っててくださいね」
「あ、ありがとおぉぉ~! まさか天使にご馳走してもらえるなんて~!」
(なんだか楽しい人だなぁ)
ラピスはくすくす笑って、先ほどから心配そうにドロシアを見ていた彼女の連れのメンバーたちにも声をかけた。
「お茶、美味しく召し上がってください! ドロシアさんも、みんなで一緒にゆっくりお召し上がりくださいね」
「へ?」
二人が話しているあいだに、ジークとディードは素早く身支度を済ませていた。さらにディードは、ドロシアに話しかけている最中のラピスに、外套や帽子などをパッパッと着させてくる。
――ラピス自身は、ドロシアの言った「一緒にお茶を」の意味を勘違いしたことに、気づいていなかった。
しかしジークとディードはラピスが勘違いしたことを正確に察知し、「この隙に」とばかり目配せして支度を始めたのだが、そのことにももちろん、気づいていなかった。
とても嬉しそうにしていたドロシアが、なぜかポカンと口をひらいたまま固まってしまったことを不思議に思ったものの、ジークたちが出発の態勢に入ったので深く考えず。
そもそも朝食のあとすぐ出発する予定だったので荷物はまとめてあったし、旅慣れた二人なので支度も早い。準備万端整えたディードが、
「では、ドロスン・アリスンさん。失礼します、よき旅を」
そう挨拶したのを汐に、
「じゃあまたね、ドロシアさん! みんなも古竜に会えますように!」
ラピスも笑顔で手を振り、宿をあとにしたのだった。
間を置かず、ドロシアのメンバーたちの卓へとお茶を運んできた店主が「はいよ、茶ぁお待ち!」と張り上げた声で、ドロシアはハッと我に返り――
「ドロスン・アリスンじゃねえよ!」
と、茶をがぶ飲みしていたなんてことは、もちろんラピスは知る由もない。




