コーフンしている女の子
竜識学大図書館の『創世の竜の書』には、国創りの歌に始まり、歴史・経済・医療、魔法・邪法、予言・警告等々、国家機密とされる内容も多く含まれている。
厳重保管の上で原則非公開の、最重要本である。
今回の集歌の巡礼で期待されているのは、歴代の大魔法使いたちですら聴くことの叶わなかった歌――『竜の力が欠けたときの対処法』。
これは当然、もしも入手できれば『創世の竜の書』に記される国宝ものの歌だ。
そしてそれほどの知識を持つのは、竜王か、竜王に匹敵する創世の御世の古竜であろうと言われている。
古竜たちの棲み処は結界の内に在り、人はその正確な場所を知らない。
ただ、北天に座する『天竜星』から生まれた竜王は、世界全体で見ると北に位置するこのノイシュタッド王国に、『竜王の城』をかまえたという言い伝えがある。
その竜王の城とは、北に縁のある性質から見ても、『北方の壁』と称されるレプシウス山脈一帯の何処かではないかと推定されてもいる。
「けどなぁ。レプシウス山脈一帯と言っても、絶望的に広いんだよなぁ。山だけ見たって、すでに雪が積もってる高山から、まだ紅葉の残る低山まであるだろう? 山裾には大森林が広がっているし」
食堂の卓に地図を広げて指差しながら、ディードが眉根を寄せた。クロヴィスがジークに持たせてくれた、クロヴィス特製の地図だ。
ラピスは食後のかぼちゃパイを食べ終えて、丁寧に口と手を拭きながら、「果てしないねぇ」とうなずいた。
王都を出てから丸一日。
ラピスたち一行はまず、騎士団の砦がある街道沿いの町、エンコッドに来ている。
この町は騎士団御用達で、街道の状態や危険性の有無、追い剥ぎや盗賊出没の情報収集ができ、馬の交換も可能で、移動手段を確保するための連絡網まであるらしい。
ジークがこの町でも特に安全で評判の良い宿を選んでくれたので、旅の一日目はしっかり躰を休めることができた。
今はその宿の食堂で朝食をとったところ。
ジークは隣の卓でほかの騎士たちと情報交換中だが、ラピスがそちらに目を向けるたび、相手の騎士たちはニコニコしながら手を振ってくれる。かぼちゃパイとミルクを追加してくれたのも彼らだ。
「騎士さんて優しい人ばっかりだね!」
そう言うと、ディードはなぜか複雑な表情で「ふっ」と笑い、「それにしても」と話題を変えてきた。
「ラピスもまず、レプシウスのほうへ向かうもんだと思ってたよ。ほかの聴き手たちは殆ど、あっちを目指してるだろう?」
そうなのだ。実はこのエンコッド町は、レプシウス山脈とは逆方向。
事前にクロヴィスと打ち合わせして、まずは王都の南にあるシグナス森林に行くと決めていた。エンコッド町はその途中にあるのだ。
「古竜さんをね、見なくなったんだよ」
「古竜? どういうこと? 古竜なんて見かけないのが普通じゃないの?」
ディードの問いに、ラピスは首を横に振る。
母が生きていた頃はまだ、古竜が空を往くのを年に二、三回は見かけていた。だが気づけば、あの山のような巨体を見ることは、まったくなくなっていた。
そのことをクロヴィスに話したとき、「よく気づいたな」と優しく頭を撫でてくれたことを思い出し、ラピスはちょっと泣きそうになる。早くも師匠シックだろうか。
ラピスは(しっかり、僕!)とプルプル頭を振って、「何? どうした!?」と驚いているディードに向き直った。
「めったにないけど、前はもっと見かけたんだよ。でもお師匠様でさえ、ここ二、三年は見てないんだって。それって古竜さんの行動が変わったということでしょ? だとしたら、なにか大きな理由があるのかも」
その点を踏まえて、闇雲に『竜王の城』を探すより先に、比較的遭遇しやすい若い竜から情報を得られないか試そう。そうクロヴィスと話し合ったのだ。
参加登録のため王都に行かねばならなかったので、そこから一番近くで竜の目撃情報が多い場所となると、シグナス森林が該当する。
「なるほど……!」
感心したように相槌をうちながら、ディードはチラチラと背後を気にしていた。
実は食事中からそうしていることにラピスは気づいていたが、人の出入りが多いので気になるのだろうと思っていた。
しかしジークがこちらの卓に戻って席に着いたところで、ディードが立ち上がり、二人にだけ聞こえる声で囁いた。
「あそこ、やっぱり俺たちの行動待ちしてますよ。完全にラピス狙い確定ですね」
ジークは無言でうなずいたが、ラピスにはさっぱり意味がわからない。目を瞬かせていると、ディードが説明してくれた。
「王都からずっと、俺たちのあとをついてきた奴らが何組もいる。あれ全部、ラピスの行動をあてにしてるんだよ。大魔法使いの弟子だから。ラピスのあとについていけば、ラクに古竜に会えると思ってるんだろ」
驚いて振り返ると、確かに、いくつかの卓にはアカデミーの制服である外套を着た者がいる。ラピスと目が合うとあわてて視線を逸らしたり、逆にニヤニヤ見返してくる者もいた。
ラピスが思わず「ほぉん」と声を漏らすと、ディードがガクッと肩を落とした。
「何、ほぉんて」
「よく気づいたねぇ、ディード! 僕、全然知らなかったよ」
「いや、あんだけわかりやすけりゃ俺でも気づくよ。……どうしますか? 団長。撒きますか」
ジークに問うたディードの言葉に、ラピスは再び首をかしげた。ジークはそんなラピスを見て……
「ラピスは、どうしたい……?」
「どうしたい?」
またも話についていけず、ディードに助けてもらった。
「あんな奴らについて来られるの、鬱陶しいだろう? 置き去りにもできるぞ。どうしたい?」
「ううん、鬱陶しくないよ。ついて来てもいいよ?」
「えっ、いいのか!? だってああいう手合いは絶対、いざとなったらきみを出し抜こうとするぞ!?」
「うん? うん。いいよ!」
今度はディードが目を瞬いている。
ラピスはよく『危機感が薄い』と注意されてきたので、ラピスなりにディードの言いたいことを考えてみたのだけれど。
「古竜さんが早く見つかるのが一番大事だものね! 誰が一番でも、なるべく早く『欠けた力の対処法』がわかったほうが、みんな助かるでしょう?」
そう言うと、ディードはなぜか目を潤ませた。「ラピスぅ、きみってヤツはっ」と抱きついてきて、頭をよしよしされる。
「団長。俺の心は汚れてました……」
「……俺もだ……」
騎士見習いと騎士団長が苦笑しながらうなずき合うのを、ラピスが(仲いいなぁ)とにこにこ眺めていると、うしろから「あの~」と声をかけられた。
振り向くと、「きゃっ」と高い声が上がる。
声の主は、赤毛の女の子だ。ディードと同い年くらいだろうか。
何やら「やばいわ~実物至近距離、マジやばいわ~」とか、「ちょっと待ってキラキラ破壊力ハンパない、目眩してきたんだけど大丈夫かわたし~」などと、早口でブツブツ言っている。
(大丈夫かな、この人? コーフンしたお馬さんみたいになっているけど……ぐあいが悪いのかな?)
困惑したラピスが口をひらく前に、ディードが訝しげに声をかけた。
「きみは……?」
赤毛の女の子は一瞬、顔を強張らせたが、すぐにニッコリ笑顔になった。
「はじめまして、ラピス・グレゴワールくん。わたしはドラコニア・アカデミーの生徒で、ドロシア・アリスンといいます。あのぅ、もしよかったらなんですけど、わたしたちのグループと一緒に行動しませんか?」




