怒りのグウェン
ラピスの継母グウェン・カーレウムは、達成感を胸に、王都観光へ繰り出そうとしていた。
ありったけのコネと金を注ぎ込んで、娘のディアナと息子のイーライを、憧れのドラコニア・アカデミーに無事入学させることができた。
その上めったにない『集歌令』が令達され、『集歌の巡礼』という大行事に名を連ねる機会まで得た。それは二人の経歴に、またとない箔をつけてくれるだろう。
二人の護衛と、巡礼の旅の見栄えにも万全を期した。
歴としたシュタイツベルク第三騎士団所属の騎士五人と、護衛契約できたのは上出来だ。
欲を言えば、その騎士団団長である、アシュクロフトが引き受けてくれれば最高だったのだが……。
かの団長は裕福な侯爵家の次男だが、親戚の伯爵家の養子に入った。
地位も財産も人望もあり、剣の腕前は言わずもがな。おまけに彫像のような男前。
もしもディアナの護衛についてくれれば、娘を売り込む絶好の機会だったのに。
「でもあの方は高位貴族とも契約していないようだし、きっと巡礼には参加しないのね。仕方ないわ」
概ね満足。貴族の子息と比べても、まったく遜色ない。
子供たちの参加受付も見届けたし、あとはせっかく王都に来たのだから、自分のための買い物でもしよう。
――あの憎き大魔法使いの弟子として、ラピスが巡礼に参加するなんて話も聞いたが。
(いくら魔物みたいな男でも、アカデミーの学生でもなければ魔法使いでもないラピスを、参加させるなんてできるわけないわ)
そう決めつけて、意気揚々、最新流行のドレスでも作らせようかと浮かれていた矢先。
「なんであいつが、ラピスが、アシュクロフト様といるのよーっ!!」
今しがた別れたばかりの、ディアナの絶叫が聞こえてきた。
グウェンはビクンと躰を揺らして振り返る。
「……ラピスですって……!?」
ヒクヒクと、額に青筋が浮かぶのがわかった。
なんという嫌な名前。
あの目障りな継子の名前を、なぜ娘が叫んでいるのだ。まさか本当に参加しに来たのか。
ラピスを思えば、自然、あの憎き『大魔法使い』をも思い出す。
あの男がラピスを掻っ攫っていったせいで、グウェンはなめし革工房の親方に、多額の違約金を支払う羽目になったのだ。今も思い出すたび腸が煮えくり返る。
「縁起が悪すぎる。ラピスなんか追っ払ってやるわ!」
この日のために買い揃えたドレスと毛皮のコートを翻し、グウェンは鼻息荒く来た道を戻った。
人混みを押しのけ、抗議の声が上がるのも無視して受付会場を見渡すと、可愛い我が子たちはすぐに見つかった。なぜか孤島のようにぽつんと、周囲から距離を置かれていたからだ。
声をかけようとして、二人が真っ赤になってわなわな震え、何かを睨みつけていることに気づいた。
その視線の先には――というより、その場に居合わせた者たち皆の注目を浴びているのは――
グウェンの天敵。
この世で最も見たくない人物。
人混みの中にいても目立つ長身。
銀髪と黒い眼帯。整いすぎて魔物じみた白皙に、禍々しい赤い隻眼。
「なんであいつまでここにいるのよ……っ!」
いや、普通に考えれば弟子に師匠が同行していても不思議はない。だがグレゴワールという男は、遠い昔にアカデミーと袂を分かち、以来まったく寄りつかず、呼び出しもことごとく無視してきたと聞いている。
なのになぜ今さら、このタイミングでここにいるのか。
胸の内で散々悪態をついて、グウェンはようやく、グレゴワールの隣に立つアシュクロフト団長に気がついた。
騎士団長はグレゴワールよりさらに頭半分ほど背が高い。長身の二人が並び立つと、近寄り難いほどの迫力と威圧感だ。
だが彼らを取り巻く者たちは、物怖じするというよりむしろ嬉々として、女子学生に至っては夢中で黄色い声を上げている。
「ほんとに!? 本当にあの方が、あの大魔法使いのグレゴワール様なのっ!? めっちゃかっこいいんだけど! そして美しいんだけど!」
「年寄りじゃなかったの!? しかもすんごい醜い老いぼれだって聞いてたのに、全然違うじゃん!」
キャーキャー騒ぐ様子に、グウェンの顔が歪む。
何が美しいものか。性格の悪さが全身からにじみ出ているではないか!
怒りで固まるグウェンに、子供たちが気づいて駆け寄ってきた。
「ママぁ!」
今にも泣きそうな顔で抱きついてきたディアナを「よしよし」と抱き返しながら、早口で二人に問う。
「いったい何があったの!? なんであの男がここにいるのよ!」
「あの男? それよりママ、ラピスがぁ!」
そうだった、とグウェンは思い出した。そもそもその名を聞いたから、引き返してきたのだった。
「あの男、本当にラピスを連れてきたのね!」
「あの男って、ラピスと一緒にいるあの眼帯の人? そういえばママ、あの人に会っているのよね!? どうしてあのグレゴワールがあんなイケメンだって、教えてくれなかったのっ!?」
娘のその言葉に、眉間のしわを活火山のように隆起させたグウェンに気づいたわけでもなかろうが、イーライがタイミングよく話を戻した。
「待てよディアナ、そんなことどうでもいいだろ! それよりラピスだよ、ママ! おれたちも今聞いたんだけど、グレゴワールが『ラピスはすでにいくつも竜の歌を解いている聴き手』だって言ってるらしいんだよ! 何年も前から解いていたって!」
「はあ!?」
「しかも護衛は、あのアシュクロフト団長なんだよ! 彼もラピスは間違いなく聴き手だと証言した上に、自ら護衛に志願したんだって! どうなってるんだよ、ママっ!」
「そんな馬鹿な……!」
混乱する間にも、先ほどまでとは別種の声が上がった。
反射的にそちらへ目を向けると、ちょうど人波が割れて、小さな躰が目に飛び込んできた。
ラピスだ。
金色の髪に、きらきらした大きな水色の瞳。薔薇色の頬。
まるで王族のように、見目よい騎士団長と、伝説の大魔法使いに守られて。
その装いも高級な生地と仕立てであることは明らかで、シンプルなデザインがよりいっそう、少年の華やかさと愛らしさを際立たせている。
我が子たちの衣服より高価であることを見抜いて、グウェンは胸中で毒づいた。
久し振りに見るラピスは、やはり否定のしようなく可愛らしく、否定する気もなく憎々しい。
おまけにやたらと幸せそうで、グレゴワールと手をつなぎ、にこにこしながら見上げては何か話しかけるたびに、周囲からいっそう賑やかな声が上がった。
「やだっ、あの子可愛いっ! 超可愛い!」
「笑ってる~! きゃわいいーっ」
「尊い……天使かよ」
「ほんとにあの子が巡礼に参加するの? あんな小さいのに?」
「ていうかあの師弟の組み合わせ、やばくね? 美しすぎね?」
「そこにさらにアシュクロフト様って。美形三点盛り。贅沢すぎる」
グウェンはギリギリと歯噛みした。
――美しいと評判だった、ラピスの実母ルビア。
後妻に入ったグウェンは、いつも彼女と比較された。
酔わせて同衾したふりをして再婚にこぎつけた夫も、死ぬまでルビアしか眼中になかった。『一夜の過ち』を悔い続け、グウェンに手を出すことは一度もなかった。
そして、今また。
「……そりゃあね、アシュクロフト団長だって、あの子のほうを守りたくなるわよねぇ」
「なんで自分を迎えに来たなんて思えたのかしら。あれは恥ずかしすぎるでしょ」
「ふふっ、聞こえるわよ、可哀想よ」
ディアナとラピスが比較されて、嘲笑されている。
なぜだ。アシュクロフトの護衛を望んで断られたのは、自分たちだけではない。なのになぜディアナだけが笑われている?
赤面したディアナが汗をかきかき何か言おうとしていることには気づいていたが、それどころではない。
怒りと驚愕で混乱する頭が、遅まきながら衝撃の事実に思い至ったからだ。
「ラピスが何年も前から、竜の歌を解いていた……!?」
まさか。そんな様子は一切なかった。
グレゴワールがラピスを弟子にした理由を考えないではなかったが、あまりに突然のことだったし、相手に弱味を握られ、やり込められたことが悔しすぎて、頭から追いやっていた。
養子縁組の手続きも、要求されるまま、さっさと済ませた。
グレゴワールへの怒りはあれど、ラピスがカーレウムの籍から抜けるのは好都合だと思ったから、「お好きにどうぞ」と、むしろ進んで追い払ったのだ。
――無償で。
もしも真実、ラピスがすでに、大魔法使いの名代となるほどの聴き手であるなら。
彼をアカデミーに差し出せば、なめし革工房の親方にぼったくられた違約金など雀の涙と思える莫大な謝礼金を、グウェンは手にすることができたのだ。
「……嘘でしょ……」
呆然と呟いたその声が、届く距離ではないはずなのに。
聞こえていたとしか思えぬ勢いで、大魔法使いの視線がグウェンを捉えた。
――魔物のような白皙に、明らかな嘲りを浮かべて。
(あいつ……! 知ってたんだ。知っていたんだわ……!)
すべて知った上であの魔物男は、グウェンから、ラピスという金の生る木を奪ったのだ。
「ママ?」
母親の異変にいぶかる子供たちに、答えてやる余裕もない。
怒りに震えるこぶしを握り締め、グウェンはこらえきれずに怒声を上げた。
「……あンの、くそ詐欺師魔法使いがあっ!!」




