師匠の教え 竜王の城
弟子たるもの、師匠より早起きして家事雑務をこなし、師匠のため身を粉にして尽くし、師匠の技を観察し、寝る間も惜しんで学ぶもの。
――と、ラピスは認識していた。
だがクロヴィスはラピスより早起きだし、手際よく美味しい料理を作ってくれるし、掃除をするより膏薬を塗ってろと命じられるし。
たっぷり睡眠をとらなければ叱られるし、何も惜しまずともなんだって教えてくれた。
「お前の服は足拭きマットか」
そう嫌そうに言われた翌日には、一番近い街まで出かけて――実はクロヴィスは馬を二頭所有しているが殆ど野生で、呼び出したときのみ戻ってくるということもそのとき知ったのだが――とても高級そうなお店で、着心地の良い衣服をひと通りそろえてくれさえした。
弟子の分際で申しわけなくて、「お師匠様。こちら、お高いんでしょう?」と遠慮したら、「所帯じみたことを言うな」と呆れられてしまった。
おまけに……
「『ラピんこ肉』増加の実験と、その記録を始める」
突然そう宣言されて、焼き菓子や飴などを次々買い与えられた。さらには「これは備蓄用」と、糖蜜を大きな壺ごと買うのを見て、ラピスは「ひょえぇ」と驚いた。
さらには通りに並ぶ露店で目についた、揚げイモやらパイやら串に刺したソーセージやらを、次々口に突っ込まれもした。
どれもとても美味しくて、ラピスは夢中で完食したけれど。
クロヴィスの買い物の勢いは止まらず、大量の紙とインクと羽ペン、製薬の材料やあれこれの道具なども買い足すのを「さすがお師匠様」と尊敬のまなざしで見つめていたら、それが全部「ラピんこ用だ」と言うので、ラピスはまたも「ほえっ!?」とものすごく驚いた。
正直、嬉し過ぎてぷるぷる震えて目が潤んで、感謝の言葉すらすぐには出てこないほどだった。でもクロヴィスには伝わったようで、優しい笑顔で頭を撫でてくれた。
ラピスは未だクロヴィスを、「やっぱり月の精なのでは」と思ってしまう。
だってラピスを喜ばせる名人で、まるで心が読めているみたいなのだ。
それになんといっても、白い月のように神秘的だし。月の夜に現れて、月のように綺麗で、月が照らすみたいになんでも知っている。
とにかくとびきり美形なので、すらりと端正な長身と相俟って、一緒に歩くとものすごく注目を浴びた。特に女性たちの目の色が変わる。
「やだ、ちょっと見てよ、ものすごい男前がいるわ!」
「それになんて可愛い坊や! きらきらした兄弟だねぇ」
「美形だけどお兄さんのほうはなんだか近寄りがたいわ。あれは絶対お貴族様よ」
なんて声もあれば……
「ごらんよ、どこのお屋敷のご兄弟だろうね。高価な紙もあんなに買って」
「兄弟? 若い父親とは違うのかい?」
などと聞こえてくることもある。
(ほんとの家族と思われてる……)
それがラピスには、むやみにジタバタしたくなるくらい嬉しい。表情もだらしなく緩んで戻らない。
「お師匠様がとってもかっこいいので、みんなの注目の的ですねっ」
喜びのあまり師の長い腕に飛びつくと。
「お前な……ちょっとは自覚しろ。ほんと危なっかしい」
なぜかため息が返ってきた。
そんな調子で、お出かけするのもたまには楽しいけれど。
ラピスはやっぱり、家や森でクロヴィスと二人で過ごして、色々と教わるのが一番幸せだ。
「そろそろ、本格的な指導に入ろう」
そう言われたのは、クロヴィスの薬のおかげで、ラピスの手の傷やあかぎれが嘘みたいに治った頃のこと。
竜についての座学だろうかと想像していたら……
「お前はすでに一流の聴き手なのだから、竜のことは竜から学べ」
そう言って、クロヴィスはまず苺鈴草の収穫を始めた。
刈り方、選り分け方、干し方、処理の仕方。獣脂やほかの薬草と混ぜて膏薬を作ったり、煎じたものを味見させてもらいながら、注意点も教わった。
クロヴィスは、いつも動き回りながら指導する。
苺鈴草について話している途中で、「あの薬草と相性が良い」と薬草の保存壜が並ぶ棚へと移動したり、それを実際にラピスの手にのせて、五感で確認させながら、効能をすらすら唱える。
ラピスはそれを雑記帳に書き込みながら尋ねた。
「どうしたらお師匠様のように、いろんなことをおぼえられますか?」
「お前はもうおぼえてるさ。大事なことはちゃんと残るように教えてるんだから」
クロヴィスにそう言われると、本当にそうなる。乾いた砂に水がしみ込むように、どんどんおぼえてしまう。それこそ魔法のように。
クロヴィスは理屈だけでなく体験させてくれるから、記憶に残りやすいのだとラピスは気づいた。
根気よく見守ってくれて、もたもたと手際が悪くても、ラピスのペースに合わせて教えてくれる。
美味しいパンの焼き方も習い始めた。小麦粉の配合からその活用方法も。
ほかにも万能ソースの作り方や、卵料理のコツも。
肉を漬け込みながら保存食や携行食について教わっていたら、高山病や低体温症に話が飛んで、その恐ろしさにラピスは震え上がった。
クロヴィス特製の地図を見せてもらったときは衝撃を受けた。
それはラピスの知る地図とはまったく違った。
「お前の見た地図は、こういうのだろう」
「あっ、そうです、それです!」
ラピスが見慣れていたほうの地図は、彼らが住むノイシュタッド王国のみの地図だ。ただクロヴィスによると、「あちこち間違っている」らしい。
「この地図でも、市町村の大体の位置を知るくらいには使える。高山病になるような高い山とかな」
一方、クロヴィス特製のほうは、世界地図だという。
「さすがの俺も全世界を見て周ったわけじゃないから、あれこれの資料を突き合わせて描いてみたわけだが。竜に教わった部分は正確だろう」
「竜!? 竜は地図まで教えてくれるのですか!?」
「地図を描いてくれるわけじゃねえぞ? 教わった情報を集めて考えるんだ。だがほら、こんなふうに」
クロヴィスの長い指が、ぐるりと輪を描くように点在する島や大陸をなぞる。
「空から見ると、世界は首飾りのように配置されている。ノイシュタッド王国は最北に位置する大陸。最も面積が大きい」
ラピスは世界地図なんて初めて見た。
この地図はほかには、王都の『竜識学大図書館』に寄贈した――とラピスは解釈したが、クロヴィスは「なんでもかんでも自分たちの物になると思いやがって」とぶつぶつ言っていた――ものしかないというから、世界に二枚きりの超貴重品だ。
ラピスはいたく感動した。
「おおおお師匠様、すごいです、さすがですー!」
「そうだ俺様はすごいんだ、らららラピんこ」
そう返したクロヴィスは、いとも簡単にその貴重な地図をラピスにくれた。
「いけませんよ、宝の地図ですよ、これは!」
うろたえるラピスに、「いや、なに言ってんの? 普通の世界地図だし」とぞんざいに放って寄こす。あわてて受け取ると……
「肝心なのは、この国だけが世界じゃないと知ることだ」
「世界」
「そう。見知らぬ土地でもそのすべてが、創世の御世に竜たちが心を込めて生み出した国々だ。だからどんな国も、人間が勝手に優劣をつけられるものじゃない」
「そうですね! せっかく竜が創ってくれたのですもん、大切にしないとです」
小さなこぶしを振り振りうなずくと、クロヴィスは微笑んで「ただ」と続けた。
「俺たちの国には、『竜王の城』が在る」
「竜王の城……? 本当にお城が? 僕、お伽噺と思っていました」
竜王の存在を疑ったことはない。
竜が空を往くこの国では、それは常識。
竜王とは最初の『創世の竜』。その名の通り、竜たちの王だ。
竜王を筆頭に、世界を生んだ『創世の竜』たちは、桁違いに強大な存在だけに、人の営みに直接関わることはないという。
自身で張った結界の内にのみ存在し、そこから出てくることはない。ゆえに遭遇する機会はまずないと言われている。そして……
『竜王は、竜王の城に棲んでいて、その地は人の世と隔絶されている』
そう語り継がれているのだが。
「そうだな。本当に竜王が『城』に棲んでいるかどうかは、俺もわからん。ただ、竜王の棲み処が、この国に在るのは確かなようだ。『創世の書』を始め、歴代の偉大な聴き手たちが古竜から教わった知識の書が、それを物語っている。――『天竜星』はわかるな?」
「はい。北の空にあって、殆ど動かない星です」
「そうだ。それは竜王の星でもある。この世界の創世を天帝から命じられた星々は、『地を司る者となれ』と、ひとつの星を生んだ。そこから竜王が顕現し、地に降った。北天に座す星から生まれたから、北に位置するこの国に棲むことにした」
「東や西や、南の星から生まれた創世竜たちもいますよね?」
「ああ。ほかの国にもそれぞれ、太古の古竜の棲み処があるはず」
「わあ……」
右も左もないような真闇の中、鮮烈な光を放つ星が生まれて。
そこから巨大な竜が出現し、彗星のように地上を目指す。
続いていくつもの光の尾が天から降り、国を生み、世界を創る。
そんな光景を想像しただけで、ラピスの胸は弾んだ。
ただ、クロヴィスが世界地図や竜王について話した本当の意味をラピスが知るのは、もっとあとになってからの話。




