だいすきの歌
ラピスはウリ坊のごとく突進し、待ち焦がれていた人に抱きついた。と言うより、体当たりした。「どわっ!」と声が上がったが、長い腕がしっかりと抱きとめてくれる。
「うあぁぁぁん! おじじょおざばぁぁぁ!」
「誰がおじじょおざばだ。鼻をかめ」
いつも通りにハンカチを――それも五枚ほどサッと取り出したクロヴィスが、鼻をかませたり涙を拭かせたり、まるで赤ちゃんみたいに世話を焼いてくれる。
けれど恥ずかしいより安堵が勝って、ダバダバ涙を流したまま笑わずにいられなかった。
「おしじょうだば、こんだとこまでハンカチをたくさん用意してきたのでずで!」
「足りないくらいだ。ほれもう一回かめ」
クロヴィスの気が済むまで顔中拭かれてから、改めてぎゅうっと抱きついた。
ウリ坊の次は子猿と化して首にしがみつき、肩口にぐりぐりと顔を押しつけて、ついでに思う存分、すぅぅぅと吸い込む。
「うぅ、お師匠様のいい匂いぃ。本物だあ」
「当たり前だ」
「いつのまに来てたのですかっ!?」
「ラピんこが、『呪詛から助けてもらった歌』を歌ってた辺りから」
「そんなにさっきから!?」
「ああ。聴き惚れてた」
「あう~。早く声をかけてくださいぃ」
師の腕を両手で持ってぶんぶん振りながら抗議すると、端整な顔にいたずらっ子のような笑みが浮かんだ。
「中断させたくなかったんだよ。ほれ、古竜たちに笑われてるぞ」
ハッと今の状況を思い出し、頬が赤くなるのを自覚しつつ見回せば、楽しそうに見下ろしてくる、いくつもの優しい視線と目が合った。
『仲良きことは幸せなこと』
『まこと微笑ましい』
愉快そうに歌われて、ますます頬が熱くなる。視線を泳がせながら、(そういえば)とディードたちへ目を向けると。
やはり彼らも内心、不安だったのだろう。
呆然と古竜を見上げる騎士団長と王太子のもとへと駆け寄ったところで、名を呼ばれた二人は、弾かれたようにディードらを見た。
途端、破顔したギュンターが、腕を広げてまちかまえる。
「ディード! 心配してたか?」
ディードは彼を素通りし、ジークに抱きついた。
「心配していました、団長!」
「ああ……悪かった」
笑みを貼りつけたままそちらを見つめる王太子に、ヘンリックが気の毒そうに歩み寄った。
「ディードは殿下のことも、ちゃんと心配してましたよ。……たぶん」
「ヘンリック! お小遣い増やしてやるからな!」
ガシッと抱きしめられたヘンリックは、「殿下最高ーっ!」と抱き返している。
ジークから躰を離したディードが呆れ顔で見ているが、本当は彼も兄のことをすごく心配していたのだと、ラピスはよくわかっている。たとえ……
「そういや、お前たちのダンスめっちゃ可愛かったなあ!」
と言った兄に、真っ赤になって「踊ってない!」と膝カックンを食らわせたとしても。
そんな彼らも、古竜が歌を紡ぎ出すと、陶然とした表情で集まってきた。
竜たちの歌声はいっそう喜びに満ち、穏やかでいて張りと艶がある。
『ようこそ、月光の大魔法使いたち。待っていたよ』
『苦労をかけて申しわけのないことだった』
『本当によく来てくれた』
『いいえ、苦労など。この場に愛弟子と、その他数名と立てていることは、喜びでしかありません』
クロヴィスの歌声は、聴き慣れているラピスですら、改めてゾクゾクするほど美しい。穏やかに暗闇を照らすような、よく通る優しい声。まさに月光。
……ラピス以外を『その他』と歌った気がするが、竜言語のわからぬジークたちは、クロヴィスの歌にも惚れ惚れと聴き入っている。
ラピスもしっとりとした余韻を楽しんでから、感嘆のため息をこぼした。
「……はぁ。やっぱりお師匠様はすごいです……。気持ちいい声です~」
「俺はラピんこの歌のほうがずっと好きだよ」
優しい笑顔でくしゃりと髪を撫でられて、「えへへ」と表情がゆるむ。また抱きつきながら、「そうだ!」と顔を上げた。
「お師匠様、どうやってここまできたのですか? お師匠様も崖から落ちてきたのですか? あの呪いの森の、『呪術師のなれの果て』の皆さんは?」
「崖? なんのことか知らんが、『なれの果ての皆さん』は急に消えちまったよ」
「消えた?」
きょとんとするラピスに、「ああ」と紅玉の瞳が誇らしげに輝いた。
「ラピんこのおかげだと思う」
「ほひ? 僕の?」
「歌で古竜たちを元気にしてくれたんだろう。古竜の力が増したから、結界内に侵食していた呪いも排除された。奴らが消えて、気づいたらここにいたんだ。……ありがとな。おかげで助かったよ」
「い、いえいえっ! それは僕ではなく、古竜さんたちのおかげ様ですのでっ」
ぶんぶんと首を横に振り、その勢いで「あ」と気づく。
ラピスたちが落下する寸前に見た、あの禍々しい光景。
竜王の悪夢と思しきあの光景を、クロヴィスたちが見ていないということは……
「竜王様の悪夢も、消えたのかも」
呟くと首をかしげたクロヴィスに、答えるより先に古竜の歌が降ってきた。
『ありがたい師弟よ、もっと歌ってくれまいか』
今度はクロヴィスが返歌した。
『喜んで』
まったく躊躇が無い。
「そういえばお師匠様、何を歌えばいいのか『わかっているはず』って言ってましたよね?」
「ああ。ピンとこないか?」
「はい……察しの悪い弟子でごめんなさい……」
「お前に悪いところなんかありゃしないよ。すべてにおいていい子だ」
「お、お師匠様ぁ! 僕にとってもお師匠様は、すべすべで大好きの塊です~!」
ひしと抱き合うと、ヘンリックから「こんなときですら、寸暇を惜しんでイチャつくのね」と言われ、照れながら躰を離す。
「えへへ。それほどでも~」
「褒めてないよ?」
クロヴィスはまったく気にとめていない様子で、「よし」と立ち上がった。
「じゃあ、手本を聴かせてやる」
「はいっ! お願いします!」
銀の髪をなびかせた師が、ゆったりと息を吸うと、古竜たちの期待が高まり空気が波打った。すらりと端正な立ち姿は、凛と咲く花のようだ。
そうしてかたちのよい唇から、光の粒のような歌が飛び出した。
『ラピんこほっぺは もっちもち
寝起きの髪の毛 くっしゃくしゃ』
ラピスは限界まで目を見ひらいた。
「…………ほひぇっ!?」
びっくりしすぎて変な声が出たと同時に、古竜たちから、どわっと大鐘が鳴り響くような大笑が沸き起こった。
クロヴィスは気取ってお辞儀をしてみせてから、「どうよ」と笑う。
「ど、どど、どうよと言われましても……どうしてその歌ですかぁ?」
情けない声を上げたラピスに、ディードたちが「ねえねえ、今なんて歌ったの?」とわくわく顔で訊いてきた。
訳してあげると彼らからも大笑いされてしまい、ジークまで肩を震わせている。
「だって、『竜が幸せを感じる歌』が必要なんだろう?」
大きな手に頬をつつまれ、ムニッと軽くつままれた。
「竜が創ったこの世界で、人が幸せを感じながら生きているなら、それは竜にとってもすごく嬉しいことだと思うよ。どんなちっちゃなことでもさ」
ラピスはなおポカンと口をあけて師を見上げていたが、古竜たちは賛同するように歌を降らせてきた。
『確かに、ちいちゃな歌い手の頬は、花びらみたいにやわらかそうだ』
『なんと愛らしいこと!』
「ほら大好評」
得意そうに笑う月の精を見ているうち、ラピスもようやく笑いがこみ上げてきた。
「僕がもっちもちでくっしゃくしゃだと、お師匠様は幸せなのです?」
「もちろん」
「じ、じゃあ、僕も幸せだな~と思うことを歌えばいいのですよね? それならいっぱいあります!」
「ああ、いっぱい歌え」
「お師匠様も一緒に歌ってください!」
「おう、任せとけ」
ラピスが竜言語で歌えるようになる前から、ラピスが口ずさむでたらめな歌を、よくクロヴィスも一緒に歌ってくれていた。
二人で過ごす日常の、何気ないけれど大好きな時間のひとつだった。
ラピスは感謝と幸せを込めて、冷たく澄んだ秋の夜気と、満月に照らされた森を音にしていく。
――あの夜。
幼竜を抱えたラピスが、月の精と出逢った夜。
溢れるほどの、『大好き』の始まりだった。




