歌っておくれ
「ど、どうしたラピス!」
突然泣き出したラピスに、ディードとヘンリックがギョッとしている。
驚かせてすまないが、すぐには答えられずにいたラピスの視線を追って、二人も雪白の古竜の前に浮かぶ竜に気がついた。
「なんだろ。小さい竜が浮かんでる」
「ぐったりしてるな。病気かな」
「うぅ。あれ、竜王様だよぅ」
しゃくり上げながらラピスが言うと、乳兄弟はまたも息ぴったりに「「ええっ!」」とシンクロした。
「竜王ってあれだろう? ロックス町からの帰りに見た、どす黒い竜! でもあれ、ものすっごく巨大じゃなかった!?」
ディードの言葉にヘンリックも「そうそう」と首肯する。
「雷を落としまくったあげく、ゴルト街に火事を起こしてた竜だよな!」
雪白の古竜が、ヘンリックの言ったことを理解したのか、悲しそうにうなだれた。
心なしかほかの古竜たちも、申しわけなさげに打ち沈んでいる。
それを見てラピスの涙は一気に引っ込んだ。
『やりたくてやったわけじゃないって、わかってますからっ! 竜王様は呪いで病気になっちゃったって、みんなわかってるから大丈夫です! 病気はとてもつらいです、母様もそうだったから、よくわかります!』
あわてて歌い添えるラピスの横で、竜言語は解さないのに空気で理解したらしきディードが、ヘンリックをどついた。
「なんでそう、いらんことを言うんだよ、お前は!」
「えっ、何いきなり怒ってんの? 反抗期?」
「……馬鹿で無神経だから注意されてるっていう思考が、どうしてできないのかな。本当に不思議だよ。反省もできないほど本物の馬鹿なのか?」
「ば、馬鹿って言うほうが馬鹿なんですぅ! ああっ、鼻で嗤ったな!」
何やら応酬を始めた乳兄弟に、のんびりひとりっ子のラピスは口を挟めず「おぉぉ」と間の抜けた声を漏らしたが。
おかげで古竜たちからは小さな笑いの気配がして、元気を出してくれたようだった。
ただ改めて、竜王が世界中で災いを起こしたことに、竜たちはひどく心を痛めているのだとわかった。原因は人の側にあるのだとしても。
竜王自身も、どれほど悲しんでいることか。
想像しただけでラピスの心も痛くなる。
(でもとにかく、回復してもらわないことには始まらないものね。そのあとのことは、そのあとのこと!)
『えっと……僕らはどうして招かれたのですか?』
ラピスの問いに答えたのは、ゴルト街に来てくれた星空色の古竜だった。
微笑むようにひらいた口から、優しさでつつみ込まれた歌声が返る。
『愛し子よ。歌っておくれ』
『……歌?』
ラピスはぽかんと口をひらく。
けれどそれも一瞬。
急にすとんと、すべてのことが腑に落ちた。
「歌」
そう、歌だ。
世界は歌で始まった。
竜たちは歌で世界を創った。
この国の子たちは小さい頃から幾度となく、どんな地方に住んでいようと、神殿の祭司たちから聞かされ育つ。『創世の竜の書』の言い伝えを。
――創世の世。天帝が、真闇に吐息をこぼした。吐息は無数の光の粒となり、月と星々が生まれた。月と星々は天帝に命じられ、地上を司りし者たちを放った。それこそが竜である。
最初に、竜王が歌った。
世界が陸と海とに分かれた。
続いてほかの竜たちが歌うたび、山が隆起し、河が流れ、森が育った。多様な生きものが生まれ、命を育むため必要な環境が整った――
歌で世界を創り、守り、人に知識を与えてくれた竜。
その竜が歌えなくなってしまったら?
「そしたら人が歌ってあげればいいんだ……!」
声も胸も震えた。頬が燃えるように熱い。
その勢いで、着膨れた外套や上着を、モタモタしつつも脱ぎ捨てた。
「ラ、ラピス?」
怪訝そうに口論をやめた二人に、ラピスは手袋をはずして強く握った両のこぶしをぶんぶんと振った。
「歌なんだよ! 『欠けた力の対処法』! みんなの祈りと、それから、人が古竜から歌で恵みや癒しをもらうみたいに、人の歌でも竜を元気にできるんだよ、きっと!」
ディードは目を丸くしてラピスの言葉を反芻しているようだったが、「あ」と目を輝かせた。
「シグナス森林で古竜の歌を聴いたあと、傷や痣が消えたよね。トリプト村の畑も復活した。あれと同じく、人の歌も竜を癒せるってこと?」
「うん!」
ヘンリックが眉根を寄せる。
「それで、何を歌うんだ?」
「ほへ?」
「どんな歌なら癒しになって、竜王は元気を取り戻せるんだ?」
ラピスはぱちくりと瞬きをした。
「……なんだろね?」
答えを求めて古竜を見上げたものの、彼らからはいかにもワクワクした期待感が寄せられるばかりで、誰も具体的に教えてくれない。
『あのう、何を歌えばいいのですか?』
率直に尋ねると、
『愛し子の思うままに』
その言葉に同意とばかり、ほかの竜たちの巨大な眼も輝く。朝陽を受けたステンドグラスみたいに色とりどりに。
その期待にはぜひとも応えたいけれど……
「えっと……」
戸惑うラピスの頬を、ディードが人差し指でつついてきた。
「ラピスの母上も歌い手だったんだよね?」
「うん、そうだよ」
「で、ご自分の『竜の書』をラピスに遺したんだよね」
「うん」
「それって、理由があるんじゃない?」
ヘンリックも「そうか、そうだな」と勢い込んで顔を寄せてくる。
「ラピスの母上は呪いの恐ろしさをよく知っていたんだから、対抗策とか呪いをやっつける歌とか、調べてたんじゃないか!?」
「そ、そうだね」
うなずいて鞄をひらきはしたが、あまりピンとこない。
白と淡いピンクの、芍薬みたいな表紙をした母の竜の書は、もちろん何度も読み返していた。
金色の文字の頁もたくさんあり、病の種類や治療方法など、クロヴィスすら「これはすごい」と感心させるほどの知識に溢れていたけれど。
呪いに関することは、書かれていなかったはず。
もしも対処法を見つけられていたなら、早すぎる別離も回避できたはず。
(母様は、呪いをやっつけろというタイプではなかったと思うし……)
体調の良いときは救貧院を訪問して配給を手伝ったり、お年寄りの話し相手になったりと行動的な面もあったが、ラピスに「呪いをやっつけなさい」という目的で書を遺すような、激しい性質ではなかった。
考え込むラピスに、ディードも「たぶんだけど」と思案顔で言う。
「竜たちはさ、『欠けた力の対処法』も、自分たちからこうしてほしいと望むのじゃなくて、人に考えてほしかったわけだろう?」
「うん」
「だったら、もしもラピスの母上がなんらかの対処法を見つけ出していたとしても、ラピスには、そうとはっきりわからないようにしたんじゃないか? それを読んだラピスが、自分で考えるように」
「な、なるほど~! ディードすごいっ!」
確かに、それならあり得る。
そしてその視点で考えれば、即座にラピスの脳裏に浮かんだ言葉があった。
それは、最後の頁にあった。
歌が流れるような母の筆跡で、ぽつんと一行だけ。
『何をすれば喜んでくれるかは、相手が何に幸せを感じるかでわかります』
脈絡もなく書かれたその一文に、どうして書かれたのかと不思議に思っていた。
「……そうかぁ……! うん、わかった気がする。ありがとう母様っ! そしてディードとヘンリックもありがとう!」
興奮して思わず叫んでしまい、二人が「「お、おう」」とビクンと跳び上がる。
ラピスはもう竜たちに負けないほどわくわくして、楽しくて嬉しくてたまらず、宙に横たわる竜王を見つめながら、すうっと大きく息を吸い込んだ。




