光
ミロアロちゃんは、白馬となってもパワフルだった。
白い息と雪煙をたなびかせ、深く積もった雪をものともせずに突き進む。
竜の背と同様の快適な乗り心地とはいかずとも、普通の馬よりはずっと揺れが少ないし、ディードの優れた馬術のおかげもあって、ラピスはひたすら運ばれていればよかった。
そしてとうとう、あれほど遠く見えた『白い光』の前へと到着した。
――の、だが。
馬から降りた三人は、目の前の光景に呆然と、言葉を失い立ち尽くしていた。
ラピスがクシュンとくしゃみをしたのをきっかけに、ディードとヘンリックがハッと目を瞠ってこちらを見る。
ラピスは鼻をすすって笑みを向けた。
「こ、困っだね゛」
笑っているつもりなのだが、「ラピス……」と顔を曇らせたディードからハンカチを渡される。
「とりあえず……困るより先に、顔拭こう。凍っちゃうぞ」
「うぐ」
こくんとうなずいた拍子に、涙がころころと頬を滑り落ちた。
ついでに鼻水もたらりと垂れたので、「汚れる゛から゛」とディードのハンカチは遠慮して自分のを使おうと鞄を探ると、「いいから!」と顔中ゴシゴシ拭われた。
実はラピスはクロヴィスと離れて以降、ここまでずっと泣きっぱなしだったのだ。
「ごめ゛んね。ディードだって、ギュンターざん゛置いてきたの゛に゛」
つらいのは自分だけではないのに。
そう思うにつけ、情けなくて余計に涙が止まらない。
ディードはラピスの顔を拭いたハンカチをしまって苦笑した。
「三人とも大丈夫だよ。グレゴワール様も言ってたじゃないか、『心配すんな』って」
「そうだぞ。あれほど殺しても死にそうにない人ばかりの三人組って、そうそういないぞ」
ヘンリックもぽんぽんと優しく背中を叩いてくれる。
友達であり兄のようでもある二人に、ラピスは心から「ありがとう」と礼を言った。
ラピスの心の中には、未だ『別離』という名の喪失感がぽっかりと黒い口をひらいたままで、ひとりぼっちだったときよりも、たいせつな人たちが増えた今のほうが、再びその口の中へと落ちることが怖くてたまらない。
けれど二人の言う通りだ。
あの三人がそろっているのだから、きっと大丈夫。……ぜったい大丈夫。
そう信じて、今は目の前の事態に向き合おうと顔を上げたものの。
「……でも、困ったね」
「「そうだな」」
ふくらスズメたちは溜め息をついた。
なぜなら結界とおぼしき光はもう、こぶしくらいの大きさしかないからだ。
小さな明かりが目線の高さに浮いているだけ。
これでは入ることも、くぐることもできない。
「どうしたらいいんだろう。ね、ミロアロちゃん?」
尋ねてみても、二頭は遠い目をして答えてくれない。
馬になったから答える言語を持たないのか、単にわからないのか。
試しに光に手を差し入れてみたけれど、日射しの下に手を伸ばしたようなもので、ほんのりあったかくなったが、それだけだった。
「俺たちがこの結界内に来たときは、遠くからでもわかるほど大きな光だった。なのにこんなに急激に小さくなってしまったのは、何か理由があるんじゃないかな」
眉根を寄せてディードが言う。
ラピスも「確かにそうだね」と同意し、ここに至るまでに何かヒントがなかったかと思い返してみた。
(えっと……まず雪の中をたくさん歩いてきたでしょ。それでギュンターさんは実は子持ちで、休憩中にお師匠様が淹れてくれたお茶とアメちゃんが美味しくて)
……その辺は結界とはあまり関係ない気がする。
ほかに何があっただろう。
(……そう、お師匠様が言ったんだ。森はどんどん広がっていて、逆に光は小さくなってるって。で、森は呪いの象徴で、世界のどこかで今も災いが起き続けていて)
「ん?」
ラピスは首をかしげた。腕も組んだつもりだったが、着膨れのせいで上手くいかずもたもたする。それを見ていたヘンリックが、「どうしたんだ」と怪訝そうに訊いてきた。
「んーとね。古竜の結界の中なのに、人のかけた呪いが侵食してきていて、今も広がり続けているということは」
「「いうことは?」」
乳兄弟の声がそろう。
「この光も、人と関係しているってことは、ないかな?」
「「人と?」」
そのとき。
こぶし大の光が鼓動のように明滅し、みるみるうちに大きさを増しながら輝き出した。
☆ ☆ ☆
ときを遡って、ラピスたちが王城を発ち、アンゼルム王が大魔法使いの指示に従い各国元首宛ての親書を認めた直後のこと。
第二王子のアロイスが、親書を送るため緊急連絡用の鷹の確認をしていたところへ、なんと、またしても竜が飛んできた。
それも今度は二体どころではない。
次々王領の森に降り立ったその数、二十八。
ミロアロちゃんよりひと回りほど小さく、まだ若い飛竜ばかりだったが、一体だけでも珍しい竜がこれほど集まるのは前代未聞だ。
冬枯れの森に色とりどりの竜が翼を広げる光景は壮観で、アロイスは異世界に迷い込んだ錯覚をおぼえた。
当然、アロイスのみならず誰もが度肝を抜かれた。
王都はまたしても大騒ぎだ。
しかし周囲が騒いだおかげで冷静さを取り戻したアロイスは、ふと『二十八』という数字の意味について考えた。
「父上。我々が今まさに送ろうとしていた親書が、二十八通。竜たちと同じ数です」
「そういえば、そうだね」
「まさかとは思いますが……彼らは、この親書を二十八の国の元首に運んでくれようとしている……とは、考えられませんか?」
「ほえ!?」
(父上にラピス語が感染った)
冷静な観察眼を失わないアロイスの推測は、どうやら正しかった。
試しに王が、止める護衛たちを振り切り、座した竜の足元で親書の入った筒を「ヴォッカトス国の王へ」と差し出してみると。
ぎょろりと目玉を動かした竜の翼がゆっくりひらき、上昇気流が王の手から筒を取り上げるや、首の辺りの鱗と鱗のあいだにスッポリとそれを収納して、間を置かずに飛び去っていった。
感激に打ち震える父王。
しかし『竜が親書を運んでくれる』と仮定した言い出しっぺのアロイスは、そのときはまだ半信半疑だった。
「竜語でお願いしたわけではありませんし、実はまったく話が通じていなくて、とんちんかんな場所で捨てられるという可能性も否定できません」
「いいや、竜だもの。世界の危機に際し、協力しにきてくれたに違いないよ! これもクロヴィス卿とラピスが起こした奇跡の一環であろう。あの二人の意志が伝わったのだ……!」
感極まった様子で目を潤ませた王は、あぜんと見守る家臣たちをよそに、「これはグィアランドット国の女王へ」「シュリ公国の大公へ」と次々親書を掲げる。
そのたび竜たちは同様にそれを預かり、勇ましく飛び立って、あっというまに二十八体目の竜も空に消えて行った。
どのような経緯かは、知りようがないけれど。
どうやら本当に各国へお遣いをしてくれるらしいと、アロイスも信じることにした。いや、信じたかった。
空を見上げたままの父王が、夢見るように呟く。
「大神殿の祈祷も始まっているのだったね」
「はい。アードラーは一行が務めを果たして戻ってくる日を結願として、それまで断食するそうです」
「……それがあの男なりの償いなのだろう」
「もともと人望の厚い男ですから、祭司たちもさらに一致団結しているようですし。父上の宣布もあって、祈祷に参加する民は増える一方です」
「宣布など。竜の背に乗りやって来て、奇跡を起こして見せたあの師弟がいなければ、私の言葉などどこにも届かぬまま消えていたと思うよ」
優しい声の裏に、長年アカデミー派に抑えつけられてきた父の苦労をアロイスは思う。
でも今は違う。
竜への感謝を、竜王の救いを願う気持ちを、多くの人が心に宿らせている。
竜たちはきっと、あっというまに親書を届けてくれるだろう。
他国の人たちも同様に、竜が文を携え協力してくれたという事実に奇跡を見るに違いない。
そうなればアンゼルム王の、『竜のため考えてほしい』というメッセージが重みを増す。
「……竜から親書を渡された元首たちは、腰を抜かすかもしれませんね」
「私も抜かしかけたよ」
ふふ、と冬の大気に父子の笑い声がこぼれた。




