侵食
ずっと一緒に過ごすことで、家庭事情を打ち明け合うのも旅の醍醐味なのかもしれない。
この旅は非日常だけれど、友達と勉強やお喋りをするという普通のことでも、かつてのラピスには夢の世界のことだったから、とても嬉しく思った。
しかし――ラピスも北の地域を旅して実感したことだが、 雪を漕ぎ分けながら歩くというのは非常に体力を消耗する。
と言ってもラピスがヘトヘトになるまでその苦労を味わう前に、ジークに抱えられることが殆どだったが。
とはいえ、できる限り自分の足で歩きもしているし、結晶の繊細な模様を手袋の上で鑑賞できるほどの厳寒なのに、動き回れば汗をかくのだなということも体験した。それでいて、手のひらを頬に当てると、氷みたいに冷たい。
つまり、今。
クロヴィスが魔法で、背丈より高い積雪の中にしっかりと固められた雪道をつくりつつ、皆が汗で躰を冷やさないよう調節した『あったか服魔法』と『ひんやり服魔法』をかけたりしているのは、ものすごく繊細で高度な技なのだと、つくづくわかる。
(勉強になるなぁ)
はふはふと白い息を吐きながら尊敬していると、ジークがちらりとこちらを振り返って、最後尾のギュンターまで聞こえる声で「休憩にしよう」と宣言した。
途端、「「「はぁぁぁぁぁ」」」とその場にへたり込んでしまったラピスら少年三人とは対照的に、ジークとギュンターはてきぱきと荷物をおろし、躰の凝りをほぐしてから、軽食の準備などを始めた。
行軍の際の装備品や荷物の重量は、ラピスの体重の三倍になることも珍しくないとジークから教わっている。軽々とラピスを抱き上げるわけだ。
手早く雪壁を風除けに利用して天幕を張り、防水の油紙と毛布を重ねた上に座らせてくれる手際も慣れたもので、頼りになる格好良さにほれぼれしてしまった。
「第三騎士団の団長さんと副団長さんがいてくれたら、どこに行っても安心だね!」
例によって三人で身を寄せ合った真ん中から、ラピスは両隣を見た。
が、「うん、そうだな!」と答えたのはヘンリックだけで、ディードは「兄上は城にいてくれたほうが、よほど安心だよ」と不満そうだ。
「子供もいるくせに、出歩いてばかりいる」
「そうは言っても公務なら仕方ないし、城にいたってチビッ子らの世話をするのは結局乳母たちなんだから、問題ないだろ」
王太子を庇うヘンリックを、ディードは「巡礼は兄上の公務じゃないのに参加してるじゃないか!」とラピス越しに睨みつけ、ため息をこぼした。
「あの子らが、父親から愛されてないと思わないか、心配だよ」
確かにラピスも母亡きあと、父が留守がちで寂しい思いをした。ディードが案じるのもわかる。
けれど父がどれほど悲しみ、打ちひしがれていたかも、ちゃんとわかっていた。
だから、いつも飄々として見えるギュンターにもきっと、見えない傷があるのだと思う。
みんな本当は、心のどこかが痛い。
(お師匠様は、昔ご家族とつらいことがあったみたいだし。ジークさんはいつだって忍耐強いから、きっと荷物も苦労も人よりたくさん抱え込んじゃう。ディードは王子様としての生き方に不安そうだし、ヘンリックは……ヘンリックは……ヘンリックなりに、きっと)
笑っているから、傷ついていないとは限らない。
つらいと言えないからこその笑顔もある。
だからみんな、今の自分にできることを持ち寄って、支え合う。
――そんなことを、真っ白な世界で大好きな人たちと一緒に、深々と降る雪を見ながら考えていると……心がしみじみと平らかになって、ラピスの小さな胸は感謝の気持ちでいっぱいになった。
「僕、みんなと出会えてよかったなぁって、心から思うよ」
嬉しい気持ちをそのまま伝える。
が、なぜか二人の友はギョッとした様子で、ラピスの顔を覗き込んできた。
「ど、どうしたんだ、いきなり!」
「ラピス! そんな安らいだ笑顔で言われたら、死亡フラグみたいじゃん!」
「ほへっ? 脂肪クラゲ?」
予想外の大騒ぎになった。
その間にクロヴィスが、「大魔法使い特製道具」と言いながら出してきた、異様によく燃える松ぼっくりや白樺の皮などで火を熾していて、ジークとギュンターが茶を淹れてくれた。
そこへまたもクロヴィスが「さらに、大魔法使い特製アメちゃん」と、皆の器に固形の蜂蜜を落としていく。
みるみる溶けた蜂蜜の、優しい甘味がのどを通り過ぎると、疲れ切った躰の隅々まで滋養がしみわたるのがわかった。お茶の温かさと相俟って、癒し効果満点だ。
「美味しい……」
甘いもの好きのディードが、うっとりと微笑んだ。
「グレゴワール様、こちらへどうぞ」
ジークがいそいそと毛布を重ねて腰を下ろすよう勧めたが、「いらね」と返され、心なしか肩を落とした。
「つれない婚約者だね」と笑ったギュンターには、ジークの手刀とディードの冷たい視線が返された。
クロヴィスは黒い外套を雪色に染めて立ちつくし、辺りを見回していたが、その表情がどんどん険しくなっていくことにラピスは気づいた。
「お師匠様、どうしたのですか?」
心配になって尋ねると、「まずは体力つけとけ」と、安心させるように微笑を浮かべていたのだが……
ついでに携帯用のパンとチーズもいただいて、皆ひと心地ついたところで聞かされた話の内容は、まったく安心できないものだった。
「俺たちはあの森の奥の、白く光る何か――結界と思われるが――あそこを目指して歩いてきた。だが気がついたか? 森はどんどん広がっているし、逆にあの光は小さくなっている」
「えっ!?」
「本当ですか!?」
「自分にはまったくわかりませんが……」
次々驚きの声が上がる。
ラピスは改めて森に目を凝らした。
大雪原を歩き続けて、近づきはしたものの、まだ森の中に入ることすらできずにいる。歩くだけで精いっぱいで、森の広さを気にかける余裕などなかった。
「俺は近道魔法を扱うから、付随して地形や距離を把握する能力を持ってる。だから間違いない」
「ふおぉ! さすがお師匠様ですーっ!」
ラピスが拍手すると、クロヴィスは「そう、さすが俺様」と遠慮なく賛辞を受け取った。「で、本題はここから」
「ほかにも問題があるのですか?」
「ああ。お前たちはあの森を見て、どんな印象を受ける?」
「印象……?」
特に変わったところのない、冬枯れの森だ。そう思っていたけれど……
近くまで来た今、言われてよくよく見てみれば、何か、どこかがおかしい。
「なんだか……黒すぎる気がします。冬枯れと言うより、焼け焦げたみたいです」
言ってから、ラピスは自分の言葉にゾッとした。
言葉にしてみて初めて、この森の不吉さに気づく。
ジークも眉根を寄せて同意した。
「確かに。笹薮などのわずかな緑や、枯葉の色すらありません。鳥の声も、生きものの気配も」
クロヴィスも「うん」と首肯する。
「ラピんこ。聖魔法でこの森を視るよう、イメージしてみろ」
「聖魔法で視る、のですか?」
そんな使い方はしたことがなかった。
が、導かれるまま目に聖魔法のフィルターをかける要領で森を眺めて――愕然とした。
聖魔法を通して視た森は、どろどろと汚泥のように歪み腐って、強烈な腐敗臭まで放っている。なぜ今まで気づかずいられたのか不思議なほどだ。
この気配。
この悪意と怨念の権化。
この正体を、ラピスはもう知っている。
「お、お師匠様っ! これ呪いです! 呪いですよねっ!?」
「えっ、呪い!?」
ディードたちも目を剥いて驚きの声を上げた。
クロヴィスは銀髪をかき上げ雪を払う。
「そう、これは呪いそのものだ。ここはすでに古竜たちの結界の中だというのに、こんな穢れたものが出現するのはおかしい……本来は。だが実際問題、呪法はすでに、こんなところにまで侵食しているんだ。じきに竜王以外の古竜たちにも、穢れが及ぶのだろう」
「そんなのダメですよぅ! だ、だって、コンラートさんはもう呪法をやめたし、それどころか世界を救うための祈祷をしてくれてるのに……」
「ああ。だがな。呪法というのは、一度発動したら術者自身にも止められないんだよ。だから今現在も、世界のどこかで呪法による災いは拡大し続けているし、すべての竜たちが蝕まれるのも時間の問題。その象徴がこの森、ということだ」




