幼竜の贈りもの
幼竜が歌った『プレトリウス山の麓の東側の森』は、ラピスがこれまで見てきた森の何倍も野性的だった。
足しげく通っていたブルフェルト街の森は、ここに比べれば公園の森程度。ラピスのような子供でも難儀しないよう、丈高の藪などを払ってあったし、間伐されて陽もよく入っていた。
だがこの森は、ほぼ手つかずだ。
たまにクロヴィスが訪れた際に気が向けば間引いているというし、あちらこちらに苔むした倒木もあるが……落葉した裸木も多いこの時期でなければ、鬱蒼とした草木に視界を遮られ、右も左もわからなかっただろう。
今はしんなりと麦色に枯れて倒れた雑草を踏む音を楽しみながら、ラピスはクロヴィスを見上げた。
「こんな大きな森で、何を見つければよいのでしょう」
尋ねると、クロヴィスはスイと前方を指差した。
「あそこに古い栗の木があるの、わかるか」
「えっと……あ、はい! うわぁ、太い幹……僕が二人がかりで抱きついても、手がとどかなさそう!」
「三人いればいいな。俺はあの木より奥へは入らない。特に用事もなかったし、だいたいあの木を目安に引き返してた。だからあの木より手前に変わったものがあれば、目にしていたんじゃないかと思う。ということは、もっと奥に入らないと駄目なんだろうが……ふむ。途方に暮れるな」
「はい。竜の感覚は大雑把すぎるんです」
カシュカシュと枯れ葉を踏み、迷わないよう目印を残しながら淡い木漏れ日の中を進む。澄んだ空気と、次々現れる大木にうっとりして、ラピスは何度も転びそうになった。
クロヴィスの大きな手につかまってみたら、つないだ瞬間、ちょっと驚かれた気配がしたが、振り払われることはなく、しっかり握り返してくれた。
ラピスは自然と頬が緩んで、ひとりでにこにこしてしまう。
誰かと手をつなぐなんて、いつ以来だろう。
冬ごもりの準備に励むリスや、ウサギや、キツネやシカとも行き会った。
人間を見慣れていないらしく、警戒すべきか迷って固まる姿が楽しくて、ラピスは声を上げて笑った。
そうこうするうち、クロヴィスが『目印』を見つけた。
木々が伸ばす暗色の梢の中に、ちらちらと光り瞬く何かがある。
「鱗だな」
瞬きながら頭上から舞い落ちてきたそれを、クロヴィスは手のひらで受けとめて、ラピスに見せてくれた。
きらきらの、水色の鱗だ。あの幼竜の鱗の色。
それがいくつかの木から花びらみたいにはらりはらりと舞い落ちながら、道標のように、奥へ奥へと続いている。
「わあ……! 目印を用意してくれてたんですね!」
「ああ。気をきかせてくれたんだな」
「僕、大雑把なんて言って申しわけないです。心から反省します」
「大雑把には違いねえよ。鱗なんて、風で全部飛ばされてたかもしれねえのに」
それからはラピスは、目印の鱗を追うことに夢中になって、何度もつまずいては、つないだクロヴィスの手に引っ張り上げられた。
そのたび、「落ち着けと言うのに」と注意を受けるが、それすら楽しい。
途中、大きな倒木に並んで腰かけ、休憩をとった。ラピスが座ると地面に足がつかないくらい幹が太い。
クロヴィスはいつのまにやら軽食を用意していて、玉子サラダとチーズのパンをいただくと、あまりの美味しさに感動した。秘伝のソースの作り方を教わる約束もして、嬉しくて思わず足をパタパタしてしまう。
「楽しい! 楽しいですね、お師匠様っ。僕、ここの森も大好きになりそうです」
「そうか」と目を細めたクロヴィスの手を握り、また歩き出す。
そうしてただただ嬉しく楽しく歩いて歩いて、ここへ来た目的も忘れかけた頃。
突然、ぽっかりとひらけた草地が現れた。木々に囲まれた、円形の舞台のようだ。
そこには、この季節にしては瑞々しい碧を残した植物が群生していた。
茎は碧いが葉が紅くて丸く、ちょっと苺のようにも見える。
「お師匠様。これ、なんでしょう。初めて見る草です」
ラピスはしゃがんで鼻を近づけた。青草の中にまろやかな甘さが混じるような、果物を思わせる香りがする。
その姿勢のまま顔を傾けてクロヴィスを見上げると、「驚いたな」と軽く目を瞠っていた。
「これは『苺鈴草』という。めったに見かけない上、生育条件が謎で栽培に成功した試しがない、とても貴重な薬草だ。煎じて飲んでも膏薬にしても、高い鎮痛と治癒の効果がある」
「そんなに貴重な薬草なのですか。それが、こんなに……」
立ち上がったラピスは、改めてぐるりと一面の苺鈴草を見渡した。風に運ばれてくる独特な香りに鼻をすんすんさせているラピスを見ながら、クロヴィスが楽しそうに言った。
「竜の子からラピんこへの、贈りものってところだな」
「え、僕にですか? お師匠様の間違いでしょう?」
「なぜそうなる。お前に決まってるだろう」
言いながら、クロヴィスの目が、つないだラピスの手に向けられた。
「お前もあいつと同じく、傷だらけだから」
「傷?」
そう言われてみれば、と、切り傷やあかぎれだらけの自分の手を見た。
とても痛いのだが、それが当たり前になっていて、あまり意識していなかった。というより、意識しないようにしていた。
「でもあの子のほうが、ひどい怪我でした。なのに僕のことを気遣ってくれたのでしょうか……なんて優しいんだろう」
手のひらが、幼竜の鱗の感触を思い出す。
もういない竜の子を抱き寄せるように、両手を胸でそっと重ねた。
クロヴィスは複雑そうな表情だったが、「よし」とラピスの手をとった。
「次来るときは、ありがたく収穫の準備をしてこよう。雪が積もる前に済ませないとな。薬の作り方もおぼえろよ」
「薬の作り方!? おおぉ、嬉しいです!」
「それと。この場所のことは秘密にしとけ。荒らされたくないだろう」
「秘密にしないと荒らされるのですか?」
「間違いなく。種の保存や生態系より、私欲を満たすことしか考えない奴らにな」
ラピスは師の言葉にいまいちピンとこないなりに考えて、「そうか」とうなずいた。
「ここはきっと、『竜の秘密の場所』なんですよね! せっかく秘密を教えてくれたのに荒らされてしまっては申しわけないです。場所は秘密にして、良いお薬を作ればよいのですよね。そしたらきっと、誰かの役に立てますもんねっ」
するとクロヴィスは、なぜか困ったように眉尻を下げた。が、すぐに苦笑して……
「帰るぞ。ちっさい躰が冷えきっちまう」
「はい、冷えはよくありません。お師匠様が風病になったら大変です! カーレウムの執事が前に言ってました、お年寄りが風病になると命にかかわるんだって」
「……」
なぜかうなだれたクロヴィスの、癖のない銀髪がさらさらと風になびいた。
その白く長い指を、ラピスはぎゅっと握る。
冷たい。どちらの手も。
「お師匠様は、どうしてこんなに親切で優しいのでしょう」
「優しい? 俺が?」
心底驚いたという反応に、ラピスのほうがびっくりした。
「優しいですよ! だって見も知らぬ僕に、最初から親切でした。今もずーっと優しくしてもらってます」
クロヴィスは何か言いかけて、口をつぐんだ。
つないだ指が離れそうになったので、追いかけてきゅっと力を入れる。
やがて、しっかり握り返してくれた頃。
羽毛にくるまれたようなぬくもりが戻ってきた。どちらの手も。
☆ ☆ ☆
その頃――
東のモアランド領で、巷を騒がせていた連続殺人犯が捕まった。
北のクリカンタビア領の残虐な通り魔は、未だ捕まらない。
南国のオーグコンボ火山が三百年ぶりに噴火し、溶岩が周囲の村を次々呑み込んでいる。
西国レイデルトでは森林を次々枯死させる真菌が発生。農作物にも影響が及び始め、周辺国をも戦々恐々とさせている。
火矢を放たれたように、あちらこちらの国境で小競り合いが頻発しているとの報告も絶えることがない。
いつもと変わらぬ日常を過ごす人々がいる一方で、異常事態と援助を訴える伝書が次々と、国境を越えて飛び交っていた。




