ルビア ~王都に来た理由~
ときは少し遡り、無事、王都の水不足が解消されたあとのこと。
精神を一点集中して魔法に大量の魔力を注ぎ込んだラピスは、『近道』で戻ってきたクロヴィスと歓喜の再会をした直後に(正確には、クロヴィスから疲労回復のための焼き菓子と檸檬水を口に入れられ、もぐもぐしながら抱きついていたらいつのまにか)、こてんと糸が切れたように眠ってしまった。
やたら眠くてお腹ぺこぺこというだけで、躰の不調は感じていなかったのだが、師から命じられるまま丸一日を完全休養日に宛てると、二日目には元気全開になった。
それを知ったクロヴィスは、なぜか顔をしかめた。
「たった一日で元通りかよ……どうなってんだ子供の回復力。いや、竜氣の加護もあるか……?」
などとぶつぶつ言っていたけれど。
王都の災害を食い止められたなら、次は竜王を捜しに行くとあらかじめ話が決まっていたので、改めて旅程を組むこととなった。
「本当は、もっとラピんこを休ませてからにしたいが……」
「僕は大丈夫です! 少しでも早く行きたいです! でもお師匠様こそ大丈夫なのですか? 月の精なのに」
「月の精ではないから大丈夫だ」
何度かそんな会話を繰り返していたところへ。
準備が整うのを待っていたかのように、未だ王領の森に滞在していたミロちゃんたちが歌い出した。
『いにしえの竜たちは今、病みし竜王を北の山に連れ戻した』
『我らも行かねば。月光と陽光の魔法使いを連れて』
鐘を打ち鳴らすような大音声が、木々と大気を震わせた。
それでいて優しい残響が風に乗って漂う、雄々しさと不安を併せ持つ歌だった。
街では竜を間近く見たことはおろか、歌など聴いたこともないという人々が大半だったから、城も大神殿も騒然となった。
しかし師弟にとっては、騒ぎなどどこ吹く風。
その歌は、とても重要な情報を教えてくれたから。
「お師匠様、古竜たちが竜王様をレプシウスに連れ戻したって言ってます!」
「ああ。人前にはまず出てこない創世の竜たちが、ラピんこの前に現れていたのも、きっとそのためだったんだ。病んで世界を彷徨っては災いをまき散らす竜王を連れ戻すため。そしてラピんこを通じて、人々に救いを求めたかったんだろう……」
「世界を創造する力を持つ古竜たちが、本当に、人ごときからかけられた呪いひとつ、解くことができないのですか」
「うわ、びっくりした! てめえがいたことをすっかり忘れてたぜ」
「……ここは僕の部屋ですから」
そう。そのとき二人は、大神殿の端にある祭司たちの居住棟の一室、大祭司長の私室にいた。
先にパウマン祭司がひと通り案内してくれたのだが、一般的な祭司の部屋は、寝台と小さな机と小さな衣装掛け、そして小さな窓があるだけの小ぢんまりとした造りだった。
大祭司長の居室は、その五倍くらいはある。執務室と寝室が分かれていて、窓も大きく採光が良いぶん閉塞感も緩和されるが、飾り気のない石壁と質素な家具という点は共通していた。
ラピスがパウマンと歩き回っているあいだに、クロヴィスはコンラートと今後について話し合っていたらしい。
結果、コンラートは大神殿に残って大規模な祈祷を指揮すると聞いたラピスは、ちょっとがっかりしてしまった。また一緒に旅するものだと、勝手に思い込んでいたのだ。
寂しがっていると、コンラートは、落ちくぼんだ灰色の目を見ひらいた。
「自分を呪った相手だぞ。憎さや恐ろしさを感じないのか?」
「ほへっ? ……ああ、そうでした!」
ラピスが小さな手をポムと打ち、「すっかり忘れてました~」と笑うと、コンラートはあんぐりと口をあけて言葉を失い、クロヴィスは苦笑を浮かべた。
「ラピんこの尺度は計り知れんよ。竜みたいなもんだ」
よくわからず小首をかしげると、よしよしと頭を撫でられる。
コンラートはなお、不思議なものを見る目をラピスに向けていたが、やがて「……旅立つ前に」と、ため息のように言葉をこぼしてクロヴィスを見た。
「僕の知る限りで、ラピスの母について話しておこうかと思いますが。余計なことですか?」
クロヴィスは隻眼を瞠ってラピスに視線を移し、躊躇する様子を見せた。
が、ラピスは「ぜひ教えてください!」と即答し、寝台に腰かけた師に身を寄せながら、質素な椅子に座って向かい合うコンラートをまっすぐ見つめた。
「母様のこと、知らないことだらけなのです。もっと色々知りたいのに、逆にどんどん忘れてるなぁって最近よく気づくのです。古竜さんのお陰で夢で聴けた歌声も、もううっすらとしか想い出せません……。だからなんでも知りたいです! 教えてください、お願いします!」
「ラピんこ……」
どこか痛むような表情で、クロヴィスはラピスを見下ろしていたが。
急に「よし」と引き寄せられ、膝に乗せられた。それから長い腕でぎゅっと抱きしめられて、髪にキスされる。
「じゃあ、一緒に聞くか。もしも『もう聞きたくない』と思ったら、すぐに言うんだぞ?」
「ぷふぅ」
「……どうした、変な返事して」
「あ、ごめんなさい! せっかくなのでお師匠様のいい匂いを吸い込んでました」
コンラートの目が据わる。
「……話さなくてもいいんじゃないかという気がしてきました」
「ええっ! そんなことないですよぅ。大丈夫です、もういっぱい吸い込みましたから! さあどうぞ!」
「……」
「もったいぶるんじゃねえ。老い先短いんだからさっさと話せ」
師弟にせっつかれたコンラートは、やれやれと記憶を辿るように話し出した。
「兄上はご承知のことと思いますが、魔法使いに師弟制度があるように、呪術師も先達に師事することがあります」
「何が先達だ。呪法を教えるなんて、ただのクソ野郎だ」
「……魔法使いと違って世間から正体を隠しているわけですから、出会う確率はずいぶん下がりますが、蛇の道は蛇。オルデンブルクの家を出て祭司となり各地をまわるうち、僕の師となる人と縁がつながったのです。彼の名をアクスとしておきましょう」
師の膝の上で横抱きにされたラピスが「おるでんぶるく?」とクロヴィスを見上げると、「俺とこいつの生家の名だ。気持ち悪い名前だな」と答えが返る。
「ちっとも気持ち悪くないですよ! それにお師匠様は、間近で見るとますます綺麗です!」
「なに言ってんだ」
「本当になに言ってるんですか、この子は」
「うるせえ、てめえが言うな!」
ラピスが脱線するせいで話が混沌とするということを何度も繰り返しつつ、まずわかったことは……
母ルビアは他国から、ラピスを身ごもった状態で、このノイシュタッド王国にやってきたらしいということ。
「連れはいなかったのか? この国へ来るよう手引きした者や、……夫は」
「さあ、そこまでは。僕が知った時点では、彼女は単身でした。腹の子を除けば」
ルビアはラピスと同じく歌い手で、自在に竜言語を操る才能に恵まれていた。
そのため彼女が最初に目指したのが、ドラコニア・アカデミーだったと思われる。才能ある者は誰でも大歓迎で優遇される――と、世界的に有名な場所だから。
「妊娠した若い女性が、見知らぬ国で生きていくのは並大抵の苦労じゃありません。しかしアカデミーならば、才能を活かして生計を立てられる。そう算段したからこそ、王都を選んだのでしょう」
「だが、アカデミーの名簿にルビア嬢の名はない。ということは……」
クロヴィスの言葉に、コンラートがうなずく。
「入学していません。――彼女は、魔法使いとして優秀過ぎたのです。ゆえに、アクスの標的となりました」




