じわじわドーン!
ミロちゃんたちと歌い踊り、国王の宣布に立ち会って、さて祈祷の間に戻ろうとしたラピスだったが、「あ、母さんだ」と言うヘンリックの声に振り返った。
露台から大広場に向かって手を振る彼の横に立つと、遠くに同じく手を振り返す女性たちがいる。
ひとりは、ひとつに結った金髪を胸に垂らした、褐色の肌の女性。
その隣に、恰幅がよく、薄焼きのパンを何枚も載せた大皿を高々と掲げて笑う、いかにも人のよさそうな女性。
二人の後方にすらりと長身の若い女性もいるが、日射しを避けて汗を拭き拭き建物の陰に隠れようとしているところだった。
ヘンリックが指差しながら教えてくれる。
「あれ、ぼくの母さん。一緒にいるのが王妃様と王女様だよ」
「おお、ヘンリックの母様!」
ラピスが「そしてディードの母様……」と言いながら控えめに手を振る金髪の女性に目を向けると、背後に立ったディードが、「パン持ってるほうが俺の母上だから」と、ラピスの勘違いを見越したように言った。
「おおぉ」
びっくりして変な感心の仕方をしてしまった。
確かに、褐色の肌と金髪はそのままヘンリックと一緒だし、普段ならすぐにそちらの女性がヘンリックの母だと考えたはずなのだが。
優雅で繊細そうな国王と会ったばかりなので、まさかその妻が、厨房で働く者と同じ身なりで大皿に大量のパンを乗せて軽々掲げ、大声で「日射しで焼けた石でパンを焼いたのよ!」と身振り手振り付きで報告してくるタイプとは思わなかった。
しかし言われて見れば、ディードたち兄弟と似て……いるかどうかも露台からではよくわからないけれども、想像通りすごく優しそうな女性だ。
「あっちの、日陰に避難してるのが姉上。グレゴワール様に突撃して怒らせたり、団長と婚約してる説を流して迷惑かけたりした人」
自分が弟に指差されていることに気づいたのか、王女は遠目にもわかる白い歯を見せて笑いながら、ラピスに向かって綺麗にお辞儀をしてきた。
彼女も王妃と似たような服装だが、ドレスを着ているみたいに華やかに見える。
ラピスも丁寧なお辞儀を返すと、王妃と王女と周囲の者たちから「キャーッ! きゃわいぃぃ!」「天使か!」「お人形よっ!」と元気な声が上がった。
ディードが嫌そうに顔をしかめる。
「うるさい……」
「王妃様も王女様も、ヘンリックの母様も、みんなすっごく優しそうだね! 僕、王妃様がそこらの石でパンを焼けるなんて思わなかった。さすがディードの母様だよ~」
「うちの母上は、特殊だから」
苦笑するディードに、ヘンリックも「最高に特殊」と同意し笑っているが、そこには敬愛の念が溢れている。
この国王一家の、大らかで庶民的な家庭環境が、今の親切で心根のまっすぐなディードたちをかたちづくってくれたのだろう。だからラピスは、王妃たちのこともたちまち大好きになってしまった。
「母上は子供の頃に、グレゴワール様と知り合っていたらしいよ」
「えっ、そうなの!?」
「うん。母上は早々に父上の婚約者として内定していたから、城に連れられてくる機会が何度もあって。あるガーデンパーティーのとき、どうしても高い場所にあるケーキが食べたかったんだけど届かなくて、必死に手を伸ばしてたら、グレゴワール様が」
「お師匠様がとってあげたの?」
「いや。とってくれると思いきや、見せびらかしながら自分でバクッと食べちゃったんだって」
ヘンリックがブフッ! と噴き出した。ディードも「でも」と笑いながら続ける。
「そのあと、お皿に山盛りで全種類のお菓子をとってくれたらしいよ。その件をまだ王子だった父上に話したらすごく羨ましがられて、以来、それまで親しく話せなかった父上と打ち解けて接することができるようになったから、『クロヴィス卿はわたくしたち夫婦の愛の架け橋』って言ってた」
ものすごくクロヴィスらしいエピソードに、ラピスは嬉しくなって笑ってしまった。おかげでますますやる気が漲る。
「よーし、頑張るぞ~!」
嬉しく楽しいこと続きで足取り軽く祈祷の間に戻ったラピスは、気合いを入れて星竜の像に向かい、両手を組んで跪き祈りを再開した。
「お師匠様の魔法のザバーッ! が、素晴らしく上手く行きますように。早く水不足が解消されますように」
そう一心に祈っていると。
ふと、水の匂いを感じた。
「ありっ?」
閉じていた目をひらき、きょろきょろ辺りを見回す。
特に変わったことはない。
先刻と同じように出入口から見守ってくれているゾンネや騎士たちも、「どうかしたかい」と声をかけてきたが、横に首を振るよりなかった。
(でも、確かにお水の匂いがする。吸い込むと躰の中がすーっとする、晴れた日の澄んだ川のそばにいるみたいな)
そこでラピスはハッと気づいた。
(これだ! お師匠様が言ってた『地下水の目ざめ』って、このことだ!)
それを感じたら、地下水が井戸の水源に戻るよう導いてほしい。そう指示を受けている。
「なるほど~、これが『よいしょーっ!』なんだぁ! すごいすごい、お師匠様すごい! 成功したんだあ!」
ひとりでわーいわーいと飛び跳ね始めたので、「なんだどうした!」とゾンネたちが驚いているが、ラピスはもはや魔法のことしか考えられない。
「じゃあ次は、『じわじわドーン!』だね! えっと……」
地下水が具体的にどう井戸とつながっているのか、ラピスにはわからない。
だから師の話を聴いたとき、最初に頭に想い浮かんだイメージのまま、聖魔法を心に描いた。
地竜は長く生きると、水竜にもなれるという。
けれど水竜に進化した地竜を見たことはないから、地竜が地下をすいすい泳ぐイメージにした。
地竜が望むまま、地中に川が通るみたいに水路ができて。それが地下水脈となり、さらに井戸へと駆けのぼっていく。
蛇型の竜が地を泳ぐほどに、地下水は清められ、豊かになり。
澄んだ水の匂いのする美しい竜が、楽しそうに井戸へ飛び出すと――
どのくらい、そうして集中していただろう。
気づけば廊下のほうが騒がしくなっていて、ディードとヘンリックが祈祷の間に飛び込んでくるところだった。
「ラピス! ラピス!」
「邪魔してごめんね、でも早く来てっ!」
「ほええ?」
あまりに魔法を描くことに集中していたので、ゆさゆさ揺さぶられてようやく思考が現実世界に戻った。
それでもまだ少しボーッとしていたのだが、両側から引っ張られて廊下へ出て行くと、騎士たちも興奮した様子で「ラピスくん、さあ早く外へ!」と促してくる。
駆け足で案内されたのは東の出口。
そちらへ近づくほどに、どんどん人の声で賑やかになっていく。
だが大神殿はとにかく広いので、ラピスたちより先に様子見に出てきていたゾンネやパウマンたちが途中で息切れして立ち止まっており、そんな彼らを追い越して、ようやく中庭の回廊を抜けようとするあいだにも、行き交う祭司たちから次々笑顔で祝福の声をかけられた。
そうして辿り着いたところは、大神殿の中で唯一、弱々しいながらも水が涸れずにいたという井戸。
避難してきた民たちに水を支給できたのも、この井戸があったからこそだと聞いている。しかしいつ干上がるかも知れぬという話だったのに……
今、その井戸からは、噴水のように天高く水が噴き出していた。
周りで大勢の老若男女が歓声を上げ、落ちてくる飛沫を全身で受けとめて大はしゃぎしている。
と、ラピスに気づいた人々が、「おお、天使様!」と跪いて手を組んだ。
「見てください天使様、水です! 井戸から水がこんなに!」
「僕は天使様じゃなくてラピスですよ~」
「魔法ですよね!? 陛下が御布令を出されていた『大がかりな魔法』が、成功したんですよね!?」
ラピスは目を大きく見ひらいて、ディードとヘンリックを見た。
二人も頬を紅潮させて、うんうんとうなずいている。
「お水、戻ってきた……?」
聖魔法が成功したのか。
未だ無意識に聖魔法を描いたままぼんやりしていた頭が、ここでようやくはっきりと覚醒した。
目をいっぱいにひらいて見つめる先、陽を弾いて煌めきながら噴き上がっていた水が、いきなり空中でぐるぐるとうねり、姿を変える。
それはまさに、ついさっきまで想い描いていた、蛇型の竜の姿だった。
「おお、見ろ! 竜だ! 噴水が竜になった!」
興奮の声が上がる中、水の竜は、じいっとラピスを見下ろして。
次の瞬間、滝のように雪崩れ落ちた。
土砂降りみたいに降り注いだその水は、大神殿も大広場もずぶ濡れにして、灼熱の大気を清々しく冷やしていく。
大歓声の中、水飛沫の向こうに見えていた虹が消えた頃。
井戸には、なみなみと満ちる水が戻っていた。
喜びに沸く人々の誰からともなく、「大魔法使い様とお弟子様、ばんざーい!」と歓呼の声が響き渡ったが。
それは同時に、王都のすべての井戸がある場所で起こっていたのだということは、しばらくあとに知る話。




