もうひとりの弟と、コンラートの子供
「ラピんこは、騎士たちにかけられた呪法を聖魔法で解いたんだよな」
ラピスがクロヴィスの問いに答えるより先に、ジークが答えた。
「そうです。おかげで仲間の命が救われました。――ラピス。改めて我ら一同、心より礼を言う」
ラピスはまだ師にその話を――ドロシアが連れてきた騎士たちにかけられた呪法を解いた話を、していなかったのだが。どうやら騎士団長が先に報告していたらしい。
さらにその場に居合わせた騎士たちも一斉に片膝をつき、「騎士の誇りに懸けて、このご恩に必ず報いることを誓います」と頭を下げてきたので、ラピスはあわあわと両手を振った。
「お世話になっているのは僕も一緒ですから! 立ってくださいぃ」
「いや、たいしたもんだぞ。さすが俺の弟子だ。素晴らしくよくやった」
「……えへへ~」
師に褒められると、素直に嬉しい。
思わずへらへらニヤけていたら、髪をくしゃくしゃ撫でられた。
「これからやることも、そのときと基本は一緒だ。『こうなってほしい』と強くイメージすること。俺はこれから水源の河や湖をあちこち回って、水から穢れが取り除かれるよう働きかける。上手く運べば、王都中の地下水も目ざめて反応するはずだ。それを感じたら、ラピんこは大神殿から、地下水が井戸の水源に戻るよう、導いてくれるか? ここにいれば集中しやすいはずだから」
「えーと……うん…………はい、わかりましたっ!」
ラピスが大きくうなずくと、ジークの青い瞳が丸くなった。
「い、今ので理解ったのか?」
「はい、わかりました! ザバーッ! と洗ってよいしょーっ! となったら、じわじわドーン! と元に戻ってもらうんですよね!?」
「まさにその通り。さすが俺の弟子。天才か」
「えへへへ~」
にこにこ顔のラピスとクロヴィスを交互に見ながら、ジークが「ザバーッでよいしょで、じわじわドーン……」と額を押さえている。
彼の部下たちも、「団長、しっかり!」「大丈夫です、あれで理解できるのはあのお二人だけです、団長が普通です!」などと一緒に混乱していたが、ジークはすぐに平常心を取り戻した。
「とにかく、グレゴワール様が出て行かれるのでしたら、我らで護衛させていただきます」
「いらねえよ。ラピんこを守れ」
「それはもちろんです! が、グレゴワール様のことも、です。魔法のお役には立てませんが、人払いと雑用くらいはできます」
「そうですよぅ、お師匠様。お師匠様がひとりでいたら、『あの月の精のような人は誰?』ってうっとりした人が集まってきて、魔法に集中できなくなりますよ!」
「そう、その通り」
加勢したラピスとうなずき合うジークに、クロヴィスは「こいつ、ラピんこの天然を利用しやがって」と悔しそうだったものの、結局ジークのみ伴って行くということで話がついた。例によって“近道”をするので、多くは連れていけないらしい。
大神殿は普段から警備体制が厳しいので、ラピスがこれから籠る祈祷の間に一般人が入ってくることはまずないようだ。が、ジークはさらに直属の部下たちを厳選して警護にあたらせてくれた。
その中には、あのシグナス森林に同行してくれた騎士たちや、ロックス町で知り合ったカーマン、プレヒトらもいる。気心の知れた者を選んでくれたのだろう。
「じゃ、あとでなラピんこ。くれぐれも無理はするな。力まず、無茶せず頑張る。これを厳守しろ」
「わかりました!」
こくこくうなずくと、白皙に綺麗な微笑みが浮かんだ。
するとラピスばかりか周囲の騎士たちまで、「あれで大祭司長と同い年はないわ」と赤くなった。
「そういえばお師匠様。コンラートさんを呼んでましたけど、一緒に行くのですか?」
皆に聞こえないよう屈んでもらい、小声で尋ねると、「ああ……そうだな」と、笑みを消した表情に憂いの色が浮かんだ。
「実はどうしようか迷っている。同行させるつもりだったが、ジークの野郎がうるさそうだしな」
そうだった。ジークやギュンターたちは、すぐにもコンラートを捕まえたがっていたのだ。
「あ。そういえば、ミロちゃんに乗ってたとき、コンラートさんから聞いたのですけど」
「そういやお前、やけに長々喋ってたな」
「いっぱい話しかけてたら、いろいろお話してくれました」
そう。騎乗時間が長かったので、話す時間も充分にあった。
ディードやヘンリックや騎士たちは眠ってばかりだったので(それも竜酔いの一種らしいが)、話し相手も限られた。
コンラートと喋り始めるとクロヴィスはそっぽを向いてばかりだったから、会話の内容は殆ど聞いていなかったのだろう。
「……あの拗らせ男とすら普通に会話を成立させるとは。ラピんこの無邪気力、恐るべし……」
ぼそりと呟いた師に「ほへ? なんですか?」と首をかしげると、「なんでもない。で?」と先を促される。
「お師匠様には、もうひとり弟さんがいるのですね!」
「……え?」
「僕ディードたちを見ていて、兄弟がいるって本当にいいなあと何回も思ってたのです。お師匠様も、二人も弟さんがいるなんて、羨ましいです!」
わくわくと声を弾ませたラピスを、クロヴィスは紅玉の隻眼を瞠って見つめてきた。口まで薄くひらいている。
「……弟? もうひとり? 俺に?」
「ありっ? ……もしかしてお師匠様、もうひとり弟さんがいることを忘れてましたか?」
「んなわけあるか。忘れようにも知らねえよ、もうひとりの弟なんて」
「ええっ!? あ、そうか!」
ラピスはポムと手のひらを打った。
「そういえば、お師匠様がおうちを出て行ったずっとあとに生まれたとも聞いてたのでした! だからお師匠様は知らなかったのでしょか」
「そうでしょね」
そう言って眉根を寄せた師は、「弟?」とぶつぶつ呟いているが、ラピスは師と話せるだけで幸せなものだから、かまわずウキウキと話し続けた。
「その弟さんが、おうちを継いだのだそうです」
「じゃあ、あの家は断絶したわけじゃないのか。……ちっ」
なぜ舌打ちしてるのかラピスにはわからなかったが、「おうち」に関してはもうひとつ、あることを聞いていた。
「もひとつお話してもいいですか?」
「うん?」
「コンラートさんは、幼なじみのリーゼロッテさんていう女性と結婚していたそうです。『兄上と約束したから』って言ってました。お師匠様のことですよね?」
「――ああ」
今度はクロヴィスに驚いた様子はなく、小さくうなずいている。
「お子さんもひとりいたけど、血のつながりはなかったそうです。でも、たいせつにするつもりだったって」
はっとしたように顔を上げた師の、長い睫毛が震えた。
「……血のつながりは、ない。そう言ったのか」
「はい。でも関係ありませんよね! 僕も父様と血はつながってませんが、父様はとっても優しくて、僕、父様のことが大好きでした。……お師匠様とも血のつながりはないですけど……か、家族になれて、とってもとっても、とーっても嬉しいです!」
家族、と改めて口にすることに、ちょっと照れてしまったが。でも言葉にするとなお幸せな気持ちになる。
「えへへっ」と照れ笑いしながら見上げると、ぎゅうっと長い腕に抱きしめられた。
「ふおっ」
「うん。ラピんこと家族になれて、俺も嬉しい」
「お、お師匠様ぁ」
喜びのあまり、ぐりぐりと広い胸に顔を押しつけた。
ついでに良い匂いを堪能していると、「……その子と、リーゼロッテは」と小さな声で問われた。
「今どうしているか……聞いたか?」
「はい、それが……お気の毒なことに、その子は病気で亡くなってしまったそうです。『そのとき家を出ようと決めた』んですって。そのくらいショックだったのですね」
ぴくりとクロヴィスが身じろぐ。
甥っ子の死は、彼にとっても大きな衝撃に違いない。
そう思ったラピスは、急いでもうひとつの問いに答えた。
「えっと、リーゼロッテさんとはその後、話し合って離婚したそうですけども、リーゼロッテさんは腕の良い大工の親方と再婚して、幸せに暮らしてるそうですよ! なんと五人もお子さんに恵まれたそうです!」
喜ばしい話題と思い、張り切って話したのだが……クロヴィスは何か考え込みながら、「そうか」と呟いただけだった。




