やってみよう!
王都の熱波対策は、ラピスにとって、敬愛する師との初めての共同任務である。
「頑張るぞ~!」とクロヴィスに抱っこされたまま勇んでいたラピスだが、まず案内されたのは城内の部屋のひとつで、「あり~?」と言ってる間に床におろされた。
来賓用の部屋らしく、広々として重厚な設えの室内でまず目に入るのは、竜の意匠の巨大なタペストリー。奥まった窓のそばにどっしりとしたオークの両袖机が置かれ、いかにも高級そうな絹織りの生地の椅子もある。
広い露台のそばには繊細な彫刻の施された卓があり、今は貴重であろう檸檬水が置かれていた。続きの間には、天蓋付きの大きな寝台が見える。
きょろきょろしているラピスと違って、クロヴィスは慣れた様子で檸檬水をラピスに飲ませると、「まず着替えろ」と毛糸のセーターを指差してきた。
「あ、そっか。そうでした!」
雪の街からやってきたから、下着も衣服も真冬仕様だったのだ。
国王との謁見前に――お辞儀の仕方などをコンラートから教わっていたのだが、王のほうからクロヴィスに駆け寄ってきたため、謁見と言うより“懐かしの再会”に立ち会っただけになったけれど――上着は脱いでいた。
それでもまだまだ着膨れた厚着だったのに、ラピスが汗ひとつかかずにいられたのは、師の魔法のおかげだと今気づいた。
『あったか服魔法』とは逆の、涼しさを保持する魔法をいつのまにかかけてもらっていたのだ。
「お師匠様ぁ、『ひんやり服魔法』をありがとうございます~!」
「そういう名前の魔法なのか。初めて知った」
「僕もです! 世界は知らないことだらけですねっ」
「そうだな」
「……お召し替えは、そちらでよろしいでしょうか」
控えめに話しかけてきたのは、第二王子。
この部屋に案内してくれた、ディードのもうひとりの兄アロイスだ。
栗色の髪に菫色の瞳が印象的な青年で、理知的な顔立ちからは繊細で思慮深そうな印象を受ける。
ディードが「アロイス兄上は真面目」と話していたが、その通りなのだろうとラピスは思った。
「ああ、大丈夫そうだ」
夏用の衣服をひろげて、ラピスの躰に合わせながらクロヴィスが返す。
飛竜の移動速度は伝書鳩よりずっと速いから、事前に城に連絡を入れることもできぬまま、いきなり押しかけてしまった。
おまけに王と大魔法使いの再会でいっそう大騒ぎになり、城内はてんてこ舞いだったことをラピスもわかっている。
なのにいつの間に、サイズの合う着替えを用意してくれていたのだろう。さりげなく細やかな心配りに、ディードやギュンターと共通の優しさを感じた。
「どうもありがとうございます」
ぺこりと頭を下げると、アロイスの表情がいくぶん和らいだ。
「こちらこそ。兄と弟とヘンリックが、大変お世話になりました。合わせて、集歌を通じて各地の民を救っていただいたことにも、心から感謝しています。このご恩は決して忘れません」
「ほえっ。いえいえ、どうぞおかまいなくですっ」
目下のラピスに対しても腰の低い第二王子に、誰に対しても遠慮のないクロヴィスが、思い出したように尋ねた。
「そういや、イングリットはどうした?」
「はい。母上ならば、姉上と共に大神殿の炊き出しに行っています」
「飯食いに行ったんか」
「い、いえまさか! 手伝いに行ったのです」
アロイスの“母上”ということは、イングリットというのはこの国の王妃を指すのだろう。
(ディードの母様、どんな方だろう)
これまで話題にのぼったことはなかったが、この兄弟の母親ならとても優しい女性に違いない。
アロイスがまとめた直近の被害情報と騎士たちの報告から、王都のおおよその状況は掴めた。
城下街では度々火の手が上がっているものの、魔法使いたちの尽力もあって、今のところ広く延焼するまでに鎮火できている。が、空気は乾燥しきっているし、水不足が解消されないうちは火災の脅威が続くだろう。
飲食物は、大神殿や各避難所で配給している。
王都だけあって食料貯蔵庫には充分な貯えがあるが、飲料水は厳しい状況。
ひとつ奇跡的な幸いとして、この冬は例年より雪の降る日が多かったという。
さすがに街中の雪はすぐに解けたが、周辺の山に積もった雪は枯草を覆い隠して、山火事が深刻な被害となる前に自然鎮火した。
これは本当に奇跡的な例外で、やはり高温と乾燥が解消されない以上、いつまた発火してもおかしくない。
これらの状況を踏まえた上で、「まずは大神殿に行く」というクロヴィスに従い、騎士たちに護衛されながら――クロヴィスは「邪魔だ」と鬱陶しがっていたがジークに押し切られて――そちらへ移動した。
「聖魔法を使うからな。一応神殿は聖域だから、他所よりゃやりやすい」
「一応とはなんだ。いついかなるときも失礼だな、きみは」
知らせを聞いて迎えに出てきたゾンネ副祭司長が、大量の汗を拭きながらぼやいた。クロヴィスはそれを気にする様子もなく、「あいつは?」と視線を流す。
「あいつ? 大祭司長様のことかね? もちろん、休んでいただいているぞ。……まさかきみと共に竜に乗って帰ってくるとは思いもよらなんだが。何がなんだかわからんが、きみと違って本当にお年を召しているのだからね。着いて早々ドタバタ動き回っているきみたちとは違うのだから、気遣ってさしあげてくれたまえ」
「よし。今すぐ連れてこい」
「何が『よし』だ! わたしの言ったことを聞いていたか!?」
文句を言いつつも、ゾンネは大祭司長を呼びに行かせた。
あのとき――ミロちゃんから降りたあと、クロヴィスはコンラートに小声で何か話しかけてから、「大祭司長としての義務を果たせ」と言って大神殿に戻していた。
すぐにも捕縛する勢いだったジークやギュンターたちは「逃げられてしまいます」と血相を変えたが……
「大丈夫だ。あいつは絶対逃げない。だから……時間をくれ」
いつになく神妙に言うクロヴィスに――そしてそれを見ていたラピスの、「お師匠様がお願いしています、どうか聞いてあげてください!」という懇願に押し切られた格好で、監視付きを条件に、ジークたちも渋々承諾してくれた。
ラピスには師の意図はわからない。
けれど責任感の強い人だということはわかっているし、口出しするつもりもない。
(双子なんだもんね。コンラートさんのことはお師匠様に任せて、僕は自分にできることをしなくっちゃ!)
「お師匠様っ! 聖魔法で何をするんですか?」
小さなこぶしを振り振り尋ねると、「おう、張り切ってるなラピんこ」と楽しそうな笑顔が向けられた。
「おおぉ……僕いま、さらにやる気が満ち満ちてきました。お師匠様の笑顔パワーで!」
「へ?」
ぽかんと口をあけたクロヴィスににこにこすると、このやりとりを見ていたジークら騎士たちからも、くすくす笑いがこぼれた。クロヴィスは心なし頬に桜色をのせて、「脱線しないで聞け」と眉根を寄せた。
「まずはこの、ひどい暑さだが。上空に炎が現れていたのは一刻ほどのあいだと聞いている。それだけで冬だというのにこの高温が持続するのも、水位の下がり方も、かなり不自然だろう」
「確かにそうですね」
城に来る途中、ミロちゃんの背中から、水源のひとつであるレナーテ河を見渡すことができた。
ゆったりと蛇行するその河は、シーズン中は遊覧船が行き交うというが、現在は底が見えそうなほど水位が下がり、両岸は常ならば水中にある苔だらけの岩肌を剥き出しにしていた。
「つまり、元凶は呪法なんだ。穢れに病んだ竜王により、この地全体が“病み”の影響を受けている。おそらく近年の世界各地の天災、人災も――すべてとは言わんが、そういう理由が隠れているのだろう。だから」
「聖魔法で、王都の穢れを祓うということですか?」
「その通り」
よくできましたと頭を撫でられ喜んでいたら、ジークが心配そうに寄ってきた。
「王都全体の穢れを祓うなんて、そんなことが本当にできるのですか? お躰へのご負担は……」
「知らね」
「えっ」
「できるかどうかなんて。実際やってみねえと一生わかんねえよ」




