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62.麗子の怒りと白いキャンバス

(麗子の怒りと白いキャンバス) 


 星野の励ましと、麗子のモデルが効いたのか、次の日から愛実は毎日学校に来るようになった。

 そして、いつものように麗子が愛実の家に行ったとき、練習室から、みだれたピアノの響き……

「あっ、間違えたっ!」

 愛実が、もう一度間違えたとき、両手で鍵盤を激しく叩いて止まった。

「アミ、焦っちゃ駄目よっ!」

 麗子は、静かに近づき愛実の肩を揉んだ。

「アミ、鍵盤を目で追うから間違えるのよ。心よ、心で音を追うのよー」

「わかってる……! でも、心で音が響かないから、目で鍵盤を追うしかないじゃないっ!」

 愛実は、いらだちながらピアノに向かって叫んだ。

「だから、焦っちゃ駄目……」

「私、ピアノやめるっ!」

「やめなさい、やめれるもんならやめなさいっ!」

 麗子は語気強く、愛実にぶつけた。

 愛実は、目にいっぱい涙を浮かべて、麗子の胸に抱きついた。

「私、やめるっ!」

「アミ、大丈夫よ……」

 麗子は、慰めるように愛実の長い髪を撫でながら抱き寄せた。

 すると、愛実は泣きながらも、麗子のスカートのファスナーを降ろした。

「アっ、アミっ!」

 麗子は、慌てて愛実を払いのけた。

「アミっ、あんたね……、何考えてるのよっ!」

 麗子は、ファスナーを上げながら愛実を睨んだ。

「ど―して? モデル、やりに来たんじゃないの?」

「あっ、ごめん、今日、あの日だから……」と言って、麗子は慌てて部屋を出ていった。

「何で、モデルをやるのに関係あるのよっ!」

 愛実は、麗子の去ったあと、一人で叫んだ。


 翌日も、愛実は学校に来ていた。

 もうすぐ中間テストが始まる。


 愛実は麗子の作った授業のノートを見ながら、もう一度わからないところを教えてもらっていた。

 学校にいるときはもちろん、家に帰っても、麗子の個人授業が続いた。

 愛実も、休んでいた時の遅れを取り戻そうと必死になっていた。

 しかし、愛実にとって、それはピアノから逃げるための口実だった。

 麗子も、しばらくして、そのことに気がついた。

「アミっ! おかしいわ? ずいぶん熱心に勉強するのね……?」

 麗子は愛実の顔を覗いた。

「当たり前でしょう、受験生よ……」

 愛実は、麗子から顔をそむけた。

「アミ、進学しないんじゃ―なかったの?」

 麗子は愛実の横顔を睨んだ。

「わからないわ、もしかすると受けるかもしれない……」

 愛実は少し微笑んで、机のノートを見ながら呟いた。

「ど―してっ?」

 麗子は険しい顔で、尚も迫る。

「何か、楽しいことが待っていそうだから……」

 愛実は、やはり麗子の顔を見ていなかった。

「アミ、変よっ、アミらしくない。ピアノ弾いているの……?」

「ピアノは、やめたっ!」

 愛実の顔から笑顔が消えた。

「じゃ―あ、絵を描いているの?」

「……、……」

 愛実は、黙ってしまった。

「おかしいわ! アミだったら、ピアノより絵描きになるって言うもの。アミ、絵も描けなくなったんじゃ―ないの……?」

 麗子は、何気なく言った言葉が、事の真実が隠れていたことに、はっとして気がついた。

「そんなことないよっ!」

 愛実は、下を向いて呟いた。

「じゃ―あ、なんで受験するって言うのよっ?」

 麗子は、激しい言葉で愛実にぶつけた。

「レイが、受験しろって言ったじゃ―ないっ!」

 愛実も麗子は睨んで言い返した。

「言ったわよ! それは、昔のアミの話し、今のアミは、受験を口実に自分から逃げているだけじゃない……!」

「私、逃げてないもっん!」

 愛実は立ち上がって、麗子を見た。

「じゃ―あ、絵でもピアノでもやりなさいよっ!」

「いいわよっ! 描くわよ! レイ、モデルやってよねっ!」

 愛実は机から離れて、イーゼルの用意を始めた。

「あっ、ごめん、今日、お母さんにお使い頼まれていたんだっけ―えっ! さ―あ、帰らなくっちゃー、また今度ね―」と言って、麗子は慌てて愛実の部屋を出ていった。

「何よっ、あれ……、逃げているのはレイの方じゃない!」

 愛実は、白いキャンバスに向かって叫んだ。

 しかし、麗子のカンは当たっていた。

 愛実は、白いキャンバスを見ても何も浮かんでこなかった。

 ただじっと見つめていると、あの夏の日の、香奈の顔が浮かんでくる。

「香奈ちゃん! 元気っ?」

 そして、キャンバスに浮かぶ香奈の顔をデッサンしようとコンテを持ったが、涙が溢れて描けない。

「……、もう、いないのね……」

 愛実は駆け出してベットに飛び込み、顔を布団に押し付けて大声で泣いた。


 中間テストも終わり、愛実は、必死に勉強したおかげで成績は驚くほど上がった。

 しかし麗子は、それが気に入らなかった。

「アミ、何やっているの?」

 お昼の放課なのに、愛実と正美が数学の本とノートを開いて勉強していた。

「ちょっと、この問題がわからなくて、正美に教えてもらっているのよ……」

「やめて―えよっ!」

 麗子はいきなり大声を上げて、机の上の教科書やノートを床に払いのけた。

「レイっ!何するのよ……」と正美。

「アミっ! こんなことやって何になるのよっ!」

 その騒ぎに、クラス中が集まってきた。

「レイ、どうしたの?」

 正美が散らかった教科書や鉛筆を拾いながら麗子を睨んだ。

「アミが、アミが、勉強なんかやっているからっ!」

 麗子は、目から涙をいっぱい溢れさせながら訴えた。

「ごめん……」

 愛実は、麗子に謝ると、散らかった用具を正美と一緒に拾い始めた。

 麗子は、そしらぬ態度で、自分の席につくと顔をうずめて泣き出した。

 愛実は、散らかった用具を集め終わると、そのまま鞄に詰めて……

「正美、私帰る……」

「アミ……」

 正美が慌てて呼び止めるが、愛実は振り返りもせず、教室を出て行った。


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