54.香奈とお友達
(香奈とお友達)
翌日、愛実と麗子は、正美と合流して病院に向かった。
今日も天気がよく、初夏の暖かさが街に溢れていた。
しかし三人の心には、どんよりとした重い雲が立ち込めていた。
病院に入ると、ここは小児病棟らしく、ピンクとか黄色とか、パステル色の華やかな色彩で目を楽しませてくれる。
しかし、ナ―スステ―ションの前にきたとき、遠くから香奈のわめく声が聞こえてきた。
「いっやっ!いっやっ!も―ぜったい、いっやっ!」
「そんなこと言っても、だめよ!」
香奈の母、静子のやさしい声も聞こえる。
「かっえっるっ、かっえっるっ、もうっかえる!」
「そんな、わからないこと言わないで!」と静子の声。
「やってるな―あっ、大きな赤ちゃんは、誰かなー? 外まで聞こえたわよ!」
麗子が、そう言いながら、病室に入った。
「おね―ちゃん!」
香奈のびっくりした顔と、恥ずかしそうな顔。
「あれだけ大きな声が出るんだったら、大丈夫ねー!」
愛実も香奈を冷やかすように言った。
「も―う、ず―と、こうなんですよ……」
静子は民宿で会ったときよりも、やつれていた。
「だめじゃない、やさしいお母さんを困らせちゃ―! それで、お友達はできたのかな?」
麗子は重ねて香奈に訊ねた。
「だ―てっ、だ―てっ……」
香奈は、不満いっぱいの顔で訴える。
それには、正美が答えた。
「出来なわよ。朝起きると、帰る、帰るの大合唱。それが納まると、膨れっ面で、口もきかない。ぷんぷん娘!」
「私、そんなにひどくないよ!」と香奈は恥ずかしそうに言い返す。
「そうかなー、でも、これを見たら元気になるわよー」
愛実は持ってきた荷物を香奈の前に置いた。
「な―にっ?」
「開けてご覧なさい!」
香奈は、ダンボ―ル箱の紐を解いて、ガムテ―プをはがした。
「わ―あっ、ピアノだ―あっ!」
「う―ん、本物のピアノとはちょっと違うけど、シンセサイザ―っていうの。簡単にいうと電子楽器ね。鍵盤は七二鍵しかないけど、ピアノの音も出るし、ドラムの音や、フォルンの音、楽器と名のつく音はすべて出せるのよ。それに、自分で弾いた音をそのまま記録できるの。つまり、録音ね。あといっぱい、いろいろなことが出来るわ。取りあえず、香奈ちゃんはピアノが弾ければいいのよね。一応は小さなスピ―カが付いているけど、ヘッドホンで聞いてね。病院だからその方がいいでしょう。これがマニアル、使いかたね。昨日、レイが徹夜して香奈ちゃんにわかるように、パソコンでまとめてくれたのよー」
愛実は、香奈と箱から出しながら説明した。
「凄―い、お姉―ちゃん、ありがとう!」
香奈は、さっきまでの不満顔から、今は真ん丸い目を更に丸くして、大喜びで愛実に、麗子にお礼を言った。
「それから、伊豆と違って、この病院なら、近いので毎週日曜日には、必ずお見舞いに来て、ピアノ教えてあげる。いいでしょう―」
「本当、本当に毎週来てくれる?」
「その代わり、先生やお母さんの言うことを、ちゃんと聞いて、早く良くなるのよ!」
愛実は、香奈のわがままに釘を刺すことも忘れてはいなかった。
その帰り道……
正美はやはりどことなく、いつもの正美と違っていた。
「アミちゃん、ありがとう。それに、レイちゃんも。あんな嬉しそうな香奈を見たの、ここんとこなかったから……」
「何よ、あらたまって。当たり前じゃない!」
麗子は、正美の肩を抱きながら励ました。
しかし、愛実の胸騒ぎは納まらず、黒い大きな影が体に取り付いて離れないのが、わずらわしくて不快だった。
そして、愛実たちの予想どおりに、香奈はシンセサイザ―のピアノに夢中になった。朝は、日の出と共に起きてピアノを弾き、それから消灯を過ぎても看護婦さんに叱られるまで続けていた。
その努力もあって、自分の演奏の録音はもちろん、シ―ケンサ―を使って他の楽器とのアンサンブルも出来るようになった。
事実、この機能が香奈にとって、初めての体験であり、驚きであった。
そのことが、よりシンセサイザ―のとりこにさせた。
それと驚くことに、夢中で楽しそうに弾いている香奈を見て、回りのベットの女の子たちも集まってきて、シンセサイザ―を通して、お友達になった。
そして愛実たちも、約束通りに毎週日曜日には必ず見舞いに行って、香奈にピアノを教えたり、回りのお友達を交えて伴奏したり歌ったりと楽しい一日を過ごすようになった。
しかし、夏休みに入った頃から、香奈の具合が悪くなった。
「香奈ちゃん、早く元気になってね。あまり根気をつめてピアノをやるから……」
愛実は、やさしく励ました。
「私、聞いたことないわよ。入院していて、ピアノを弾きすぎて、体を壊しちゃったなんて……」
麗子も、いつもの調子で香奈を励ました。
香奈は、だるそうな重い体を愛美たちの方に持ち上げながら……
「う―んっ、ちょっとやり過ぎちゃったかなー。でも、おもしろいの。ピアノがね。私の心に答えてくれるようになったの。だから、つい話し込んじゃって……」
「そ―うっ、香奈ちゃんも、ピアノとお話が出来るようになったのね。じゃ―これからが大変よ。ピアノのご機嫌を取るのにねー」と愛実。
「でも、それが楽しいのよねー!」と麗子も笑顔で励ます。
「早く、元気になって、また練習しなくちゃっ。また、来るからねー」
正美がそう言うと、香奈ちゃんは慌てて……
「お姉―ちゃん。まだ、いいでしょう―?」
「でも、香奈が疲れちゃうから……」
正美は、香奈の顔を伺いながら言った。
「私、おとなしく寝てるから、何かお話してっ!」
三人は、顔を見合わせてから、そばにいた香奈の母の顔を見た。香奈の母は、大きくうなずいた。
それを見て、愛実が、近くにあった椅子に座り話し始めた。
「じゃ―、少しだけね。うちの学校にね。セラミックスで出来たピアノがあるの。セラミックスと言うのは、金属と、お茶碗のような陶磁器との間のような新素材なんだけど、それが凄いの、大きく鳴らせば、雷が落ちたように、体中を震わせて鳴り響くのよ。今度、香奈ちゃんにも聞かせてあげたいわ。きっと、腰を抜かしちゃうから。これが、ピアノの鍵よ。先生から、いつでも弾けるように特別にもらったの……」
愛実は制服の手帳に、いつも挟んでいる鍵を香奈に渡した。
「お姉ちゃんがびっくりするぐらいだから、本当に凄いのね。私も聴きたいな―あー、……」
香奈は、鍵を頬に当てながら、その鍵の感触からセラミックス・ピアノを思い浮かべていた。
「じゃ―あー、退院するときに、家によってよ。伊豆と違って、ここからなら近いから―」
「そうよー! 香奈ちゃん。ここからなら、すぐに遊びにこられるわ。アミの家にも凄いグランドピアノが二台もあるのよ。そのうち一台はコンサ―トピアノよ。また、一味違ったアミの演奏が聴けるわっ!」
麗子が、得意そうに言った。
「本当っ!、行ってもいい? 私も、弾かせてくれる?」
香奈は、目を大きく開けて叫んだ。
「もちろんよー! 必ず来てね。そう言えば、去年の夏休みに描いた香奈ちゃんの絵。出来てるから、今度持ってきてあげる!」
「わ―あっ、ほんと、私の絵。何か恥ずかしいわ!」
「それも凄く、綺麗に、かわいく、描けてたわよ!」
麗子がそう言いながら、香奈のほっぺを指で突付いた。
「う―んっ、早く行きたいな―」
香奈は、ため息交じりで、愛実の家を遠くに見るように呟いた。




