39.愛実の秘密
(愛実の秘密)
「アミは、も―大人なの!」
麗子は、唐突にも大胆な言葉を発した。
「え―っ! どういうこと……?」
「アミはねー、子供でいたくても、子供でいられなかった、子供なの。アミが遠くを見ているのは、たぶん自分の子供の姿を見ているんだと思う!」
麗子は日ごろから感じていた、愛実の心の奥を話し始めた。
「う―っ、わからないな―。やっぱり、お母さんとお父さんが亡くなった事に関係があるのね?」
良子先生も、愛実の心を想像していた。
「そうね―、ちゃんと生きていれば、何の問題もなかったと思う。それと、おじ様と、おば様が、しっかりしていれば、飛行機事故さえなければ……」
麗子は、今まで愛実の一番辛い内面を感じていても、それを人に話すことはなかった。
でも良子先生なら愛実の力になってくれるのではないかと思った。
「お爺さんとお婆さんがよくなかったの?」
良子先生は、麗子の心を覗き込むように訊ねた。
「私も、よく知らないんだけど、今もあの家には、テレビもラジオもないのよ!」
「そう―、気づかなかったわ―」
「あの飛行機事故が、おじ様と、おば様を変えちゃったのね。よっぽど辛かったんでしょうね。かなり長い間、落ち込んでいたと思うのよ……」
良子先生は、麗子の話を聞くまでは、飛行機事故で一度に二人の家族を失った両親の心境まで、察することは出来なかった。
麗子は、続けた……
「どうしてもって、親戚の人からアミを預かったんだけど。やはりアミがいても、すぐには立ち直れなかったと思う。その中で、アミが何も知らないうちに育っていった。アミは子供心に、沈んでいる、おじ様や、おば様を励まそうと一生懸命だったと思う。本当はおじ様や、おば様に甘えたいんだけど、頼りたいんだけど、出来ない。それよりも、おじ様や、おば様に元気になって笑って欲しいと思ったのよ。アミが、ピアノを弾き出したのは、アミがピアノを弾くと、おじ様おば様も、息子とアミのお母さんが帰ってきたように喜んだと思うの。それで、アミはピアノを弾く。おじ様も嬉しくなってピアノを教える。アミに何かを教えることで、辛い気持ちをまぎらわせていたのかも知れないね。それで、アミのピアノはどんどん上達していった。それを聴いて、おじ様おば様も少しずつ元気になってきたんだと思う。だから、アミの二人に対する思い入れは、普通の親子関係とはぜんぜん違うの。もしかすると、アミの方が親代わり、ではなく息子代わりで、おじ様おば様を一人で支えてきたのかも知れない。でもアミは、まだ子供。まだ誰かに甘えたいのよ。アミは、その狭間で自分の心を殺しながら、我慢しているの。きっと今も……」
それはあくまでも、三歳から、愛実と同じように、おじ様やおば様を見てきた麗子の推測だった。
「凄い話ね―」と良子先生は、息を呑んだ。
麗子が続けて話し出した。
「アミのピアノが聴いている人の心に、強く響くのは、常におじ様おば様を元気にしようとするアミの心が込められているからだと思うの。そして、おじ様おば様の感情が、そのままアミのピアノの表現力につながった。それと、アミの届かない思いもね。そうした思いが、すべて混ざり合ってピアノの音に乗り移っているの!」
麗子の洞察は、良子先生の心を打った。
「十四歳にして、天才。その裏には、計り知れない悲哀があるのね。とても、私には、かなわないわー、普通に生きてきた私には……」
良子先生は、麗子が言うように、大人以上の苦境をへて存在する愛実の心の深さに、出口のわからない闇の世界を感じていた。
「そんなことないわ。私が良子先生に話したのは、先生にならアミの気持ちがわかってもらえると思ったからっ!」
「ありがとう。でも、アミちゃんの激しい経験からすれば、現実の生活から離れている学校なんて空虚なものだったのね―」
「違う違う、アミにとって学校なんて行っても行かなくても関係ないの。そんなこと最初から問題にしていない。ただアミは誰かに甘えたがっているの。子供になりたがっているの。だから良子先生が、アミのお母さんになってあげれば、お母さんになって学校に行きなさいって言えば、きっと行きます。アミには、それを言ってくれる人がいないんです!」
「え―っ、そんな単純なことで……?」
良子先生は、それこそドラマのようなシナリオで愛実の心が動くとは思えなかった。
しかし、麗子は真剣なようすで……
「そうです。でも、アミにとって絶対に手にできないものだから―」
良子先生は、お母さんと言われても、未婚で赤ちゃんすら抱いたことのない彼女には想像できなかった。
麗子は、少し目線を落として、少し小さな声で思い出すように、尚も続けて話した。
「前までは、恵美さんがアミのお母さんだったの。恵美というのはアミのお母さんの妹さんなんだけど、春にドイツに行っちゃって、今はいないのよー。それまでは、いつもアミと一緒の布団で寝てたのよ。おまけに赤ちゃんのようにおっぱいまでしゃぶらせてあげてね。もう中学生になってもよー。他に何をしていたかは知らないけど……」
「えー、それって別のことじゃーないの……?」
良子先生も、麗子を見ずにアミの家を眺めた。
「でもねー、アミが嬉しそうに話してくれたのよー。私にもお母さんのおっぱいしゃぶらせてもらったらって、そんな赤ちゃんみたいなこと、できないわよねー」
「そう、そうね……、……」
良子先生は、目のやり場に困って、あたりを気にして見回した。
「でもアミには、できちゃうのよー。だから今もお母さんが、恋しいと思うの……」
「そう、そうかもしれないわね……」
目のやり場に困っていた良子先生は、もう一度麗子を見た。
「だから、良子先生もアミをぎゅっと抱きしめてあげれば、素直な子になって、言うことをきいてくれると思いますっ!」
「抱きしめるのー?」
その言葉のなまめかしさに、二人の心が熱くなった。
麗子は、なおも良子先生の心を掻き立てるように……
「たぶん、アミには口で言っても通じないから、理屈じゃ―だめなの。アミのばあいっ!」
良子先生も、麗子の言ったことは、わかっていた。理屈では通じない……
「レイちゃんの言うことは、わかるけど。それって、ほとんど奇跡に近いタイミングじゃないの―!」
「そ―ねー、時間がかかるかもしれないけど……」
良子先生は、少し肩の力が抜けたように、一つ、ため息をつきながら、もう一度、愛実の家を眺めた。
「でも、あまり時間をかけたくないの。アミちゃんにとっても大切な時期だから―」
「じゃ―、思い切って、アミに夜這をかけるとか?」
麗子の言葉は、いつもとっひょうしがなかった。
「なにそれー?」
良子先生は、やはり麗子が劇画かドラマの世界に入っているのではないかと心配した。
しかし、麗子はまじめだった。
愛美の性格から考えると、良子先生の誘いは喜んで受けると察していた。
「アミの布団の中に忍び込んで、ぎゅ―うっと抱きしめて一緒に寝てあげるのよー」
「レイちゃん、先生をからかわないように……!」
良子先生は、慌てた感じで胸を踊らせながら否定した。
「先生、経験ない……?」
「レイちゃん、真面目に考えてよねー!」
「先生、真面目に考えてるのよ。こう言うのは、待っていては駄目なのよ。思い切って飛び込んでみる方が、うまく行くこともあるわ。時間をかけたくないんでしょう?」
麗子の話は、ふざけているのか、真面目なのか見境のつかない感じがしたが、それなりに一利あると良子先生は思った。
「そうだけど、先生という立場があるのよー」
「この祭、目をつぶって、やっちゃったら?」
「レイちゃんー。そういう楽しい想像はしないように……。でも、ありがとう。逢えてよかったわ!」
良子先生は、麗子との話で、愛美の心がはっきり見えてきた思いがした。
そして、相手の心が見えれば、何とかなるように思えた。
「先生、アミに逢っていかないの?」
「え―えっ、でもレイちゃんから、様子は聞いたから。それに、もう遅いから。明日、小笠原先生とくるわー」
良子先生は、迷っている様子だった。
それを見て、麗子は……
「先生、夜這いに行くなら、玄関からじゃーだめよ。縁側の真中の窓から、こっそり入るのよ。ここは鍵がかかってないから! それから、廊下の突き当りに階段があるから、二階全部がアミの部屋だから。今なら、きっと寝てるわよ……」
なおも麗子は、夜這いを進めた。
「ありがとう。じゃ―またねー」
良子先生は、麗子に背中を向けて帰り道を急いだ。




