軽い気持ちで婚約破棄ごっこに参加したら……!?
「ん? 俺の顔に何か付いているか、アシェリー?」
「い、いえ! 何でもありません」
貴族学校のとある昼休み。
今日も私が手作りしたクッキーを、美味しそうに頬張るルイス様の横顔にうっとりする。
ルイス様は我が校で地位・名声共にトップと言っても過言ではない公爵令息で、孤高な狼を彷彿とさせるその風貌は、対峙する者全てに畏怖の念を抱かせるほど。
……だというのに、甘いものに目がないなんて、何というギャップ萌えッ!!
ああ、できれば卒業してからも毎日、ルイス様に私の作ったクッキーを食べていただきたい……。
い、いやいや、何を調子に乗ったことを言っているのよ私!
それってつまり、ルイス様の、こここ、婚約者になるってことでしょ……!?
無理無理無理!
私なんかじゃ絶対無理よそんなのッ!
「ようアシェリー!」
「ちょっと今よろしいですか、アシェリー様」
「え?」
その時だった。
侯爵令息のブライアン様と、男爵令嬢のヴァネッサさんに声を掛けられた。
「あ、はい、私は大丈夫ですけど、どうかされましたか?」
「まあまあ、詳細は後で話すから、とりあえず一緒に来てくれ」
「さあさあ」
「え? え??」
有無を言わさず二人に手を引かれる私。
いったいどこへ!?
「ルイス様、ちょっとだけアシェリーを借りてきますよー」
「う、うむ」
「??」
何故私を連れていくのに、ルイス様に許可を??
そして私が連れてこられたのは、体育館のステージの上。
昼休みの体育館は、スポーツに興じる生徒たちで溢れかえっていた。
みんな急にステージに現れた私たち三人に、好奇の目を向けている。
「あ、あのぉ、ブライアン様、そろそろ何をなさるおつもりなのか、伺っても?」
人前に出るのは苦手なので、いたたまれないんですが……。
「オウ、ずばり今からオレたちがやるのは、『婚約破棄ごっこ』だぜ!」
「ですです」
「婚約破棄ごっこ???」
とは???
「アシェリーも婚約破棄モノの小説は好きだろ?」
「え、ええ、まあ」
私に限らず、今貴族令嬢たちの間では、空前の婚約破棄モノのロマンス小説ブームが起きている。
私もミーハーなので既に百冊近く読んでいるけど、まったく飽きる気配すらない。
婚約破棄は、ロマンス小説界に起きた一大革命と言っても過言ではないわ。
「だからさ、今から俺たちで、その婚約破棄ごっこをやってみようってわけさ」
「ですです」
「私たちで!?!?」
しかもこんな人前でですか!?!?
「じゃあ早速始めるぜ。――アシェリー、ただ今をもって、お前との婚約を破棄する!」
「――!!」
ホントに始めちゃったわこの人ッ!!
あわわわわ、こ、こういう時は、ひとまず……。
「ど、どういうことですかブライアン様! 理由をお聞かせください!」
よし、自分でもビックリするくらい、すんなりと台詞が出てきた。
百冊近く読み込んできただけあって、婚約破棄の流れが身体に染付いてるんだわ。
「フン、身に覚えがないとは言わせないぞ! お前が陰で、ヴァネッサに陰湿な嫌がらせをしていることはバレてるんだからな!」
「ああ、ブライアン様……」
悲愴感を滲ませながら、ヴァネッサさんがブライアン様にしなだれかかった。
ううむ、二人共迫真の演技ね。
これは私も負けてられない!
「誤解です! 私は神に誓って、ヴァネッサさんに嫌がらせなどしておりません!」
「フン、口では何とでも言えるからな!」
嗚呼、私は今、憧れだった悪役令嬢になっているんだわ――。
ありがとうございます、ブライアン様、ヴァネッサさん。
――私の夢が一つ、今日叶いました。
体育館中の生徒たちも、私たちの演技に釘付け。
最初はあんなに怖かった視線が、今は心地良い。
この感覚、癖になりそう――。
……あれ?
でも待って。
婚約破棄モノだとこの後、悪役令嬢を救うヒーロー役が出てくるはずよね?
そのヒーロー役は、いったい誰が?
「そこまでだ」
「――!!!」
その時だった。
よく通るバリトンボイスを響かせながら、一人の男性がステージ上に現れた。
こ、この声は――!!?
「……ルイス様」
何故ルイス様がここに!?
え? え??
待って待って??
も、もしかして、ヒーロー役って……!
「何ですかルイス様! まさかアシェリーを庇うつもりじゃないでしょうね!?」
「その通りだ。お前こそ目を覚ませブライアン。アシェリーがそんなことをすると、本気で思っているのか?」
ルイス様は私の前に立ち、ブライアン様と対峙する。
わーーー!!!!
待って待って待って待ってッ!!!!
死んじゃう死んじゃうッ!!
こんな萌えシチュ!!
私死んじゃうううううううッ!!!!
「そ、そんな! 酷いですルイス様! 私が噓をついているとでも仰るんですか!?」
「ふむ、これを見ても、まだそんな口がきけるか?」
「え?」
そう言うなりルイス様は、懐から紙の束を取り出し、それをヴァネッサさんの足元に投げ捨てた。
あ、あれは……!
「これは……!」
「君が根も葉もない噂を吹聴しているという証拠を集めた書類だ。それも見てもまだ、自分の発言は真実だと、神に誓えるか?」
「あ、あの、これは、その……」
ルイス様カッコイイーーー!!!!!!
萌ええええええええ!!!!!!
「あっ! いっけない! 私大事な用事があったのを思い出しました! それではごきげんよう、オホホホホホ!」
「オ、オイ!? 待てよヴァネッサ!? オーーーイ!!」
二人はそそくさとステージから降りていった。
ううん、去り際も完璧ねお二人共。
お二人には助演男優賞と助演女優賞をあげたいわ。
……でも、お二人が消えたということは、必然的にステージには――。
「……アシェリー」
「ひゃ、ひゃいッ!?」
不意にルイス様から名前を呼ばれ、思い切り声が裏返ってしまった。
はうううう、恥ずかしいいいい……!
でも待って!?
婚約破棄モノだと流れ的に、この後はヒーロー役からのプロポーズシーン――!!
いや待って待って待って!!
無理無理無理無理待って待って無理!!!
いくらごっこだからって、ルイス様からプロポーズなんかされたら、私の心臓が百個あってももたないわッ!!!
「……こんな場をブライアンとヴァネッサに用意してもらわないと、自分の気持ちを君に伝えられなかったヘタレな俺を、どうか許してほしい」
「…………え?」
今、何と???
「――今から俺が言うのは、ごっこじゃない。俺の君に対する、本当の気持ちだ」
「――!!」
ルイス様はいつになく真剣な表情で、私の目をじっと見つめる。
え? え?? え??? え????
途端、ルイス様は私の前で恭しく片膝をつき、右手を差し出された。
「――アシェリー、俺は君が好きだ。どうか将来は俺の妻になり、毎日俺にクッキーを作ってほしい」
「ルイス様……!!」
ふおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!
「へいへいアシェリー、ルイス様がそこまで言ったんだぞ。早く返事してやれよ」
「ですです」
「――!!」
も、もう!
人の気も知らないで……!
……でも、ありがとうございます、お二人共。
「……私もずっと前から、ルイス様のことをお慕いいたしておりました。これからも毎日、私の作ったクッキーを、ルイス様に食べていただきたいです」
私はルイス様の右手に、自らの左手をそっと重ねる。
――その瞬間。
「ありがとうアシェリー。一生幸せにするよ」
「きゃっ!?」
ルイス様にグイと手を引かれ、強く抱きしめられた。
あーーーーーーー!!!!!!!!!!
「ヒューヒュー! お安くないぞお二人さん! へい、キース。キース。キース。キース」
「キース。キース。キース。キース」
「「「キース。キース。キース。キース」」」
「なっ!?」
体育館中に溢れるキスコール。
えーーーーーーー!?!?!?!?!?
「フフ、アシェリー」
「――!!? ちょっ!!?」
ルイス様に顎クイされる私。
まままま、待ってえええええええ!!!!!!!!
――迫りくるルイス様のご尊顔に覚悟を決めた私は、そっと目を閉じたのでした。