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後編 「まぁた妬いちゃって、かわいいねぇ」

「つかまれ!」運転席から声。


直後、滑走路をひた走るソリがふわりと浮き上がる。傾ぐ艇と全身を襲う浮遊感に、慌ててソリのフチにしがみつく隻眼の少女。その姿勢のまま、そうっと地上を見下ろす。


わあわあ言いながら追いかけてくる学生たちや警官たち。遠ざかっていく地上の騒ぎを見下ろしながら、あのう、と少女が艇内に問う。「今更なんだけど、お願いして飛ばしてもらうっていうのはダメだったの?」


あのな、と隣席の青年が真顔で諭すように言う。「一般人がアポなしでお願いして、5分後に飛ばせるもんじゃねぇの」


「わかってるじゃねぇか!!」運転席から怒鳴り声。つられて犬たちがわうわうと吠えた。続く、長い長い愚痴。それを全部聞いてから軽く笑い飛ばして、青年がのんびりと足を組み替えーー



きゅーちょ・・・・・!」



鋭い、少年の叫び声が、ソリのすぐ真後ろから。


異様なほど急加速した自転車がマンガのような動きで空を駆け上がり、猛然とソリに迫りくる。目を丸くする少女に向かって、黒髪の少年が必死に手を伸ばす。


立ち上がった少女が、唇を引き結んで、

「じゃま、する、なあ!」

両手でカバンを頭上に振り上げて、放る。タイミング良く穴を開けたアクリル板の隙間を通り抜けたカバンが、


「ぐえっ」


少年の首を直撃。自転車が傾き、少女たちの視界から消える。直下の地面から、けたたましい音。


肩で息をする少女が元どおり座り直した横で、ひゅう、と青年が小気味よく口笛を鳴らした。


前方に向けた双眼鏡を覗き込みながら、手元の機器を調節していた調査員が手を止めて不安そうに振り返る。その肩を青年が軽く叩く。


「大丈夫大丈夫、あいつは殺しても死なーん」


遥か下からのサイレン音や怒号に混じって、「きゅうちょおおぅ」と切なげに吠える少年の声。つられてソリ前方の犬たちがわうわうと吠えた。ほらな、と片目を閉じて肩をすくめる青年。


流れる雲を見つめていた少女が、突然、こめかみに指を当てて、ぱっと顔を上げる。「みっけ! 北北西に2.57km!」


「ハイ向かってくださーい」青年が運転席に声を投げ、運転手が舌打ちを鳴らして手綱を引く。ソリが進路を変える。


「な、何すかイキナリ」調査員が不気味そうな顔をして探知機の方角をいじるのに、


「ぐんせーち!」と少女が言い、


青年が調査員に向かって「いらんよそれ」と手を振る。「どこぞの軍事レーダーよりすげぇもん載っけてっから」


なおも聞こえてくる地上からの怒号などどこ吹く風、青年はのんびり言いながら、かじっていたぶどうパンを小さくちぎっては目の前の透明な膜に押しつける。


下方後方から次々に飛んでくる小石や弁当箱やパチンコ玉やらを弾き飛ばしているその優秀なバリアは、青年から渡されたパンのかけらを美味しそうに飲み込んで、反対側にーー屋外に、ぷっと吐き出した。


「ぶっ……!」


誰かの顔面に直撃したらしいそれに巻き込まれて、何人かが転倒する音。


「……メロンパン……」


ほう、とよくわからない感心をしながら、少女はその様子を興味深そうに眺める。手元には青年にもらったぶどうパン。


ふと顔を上げると、パンを置き、座席の後ろに備え付けられたタモ網を持って立ち上がる。


制服のシャツの腕をまくって、片足をソリのフチに載せた少女が、

「おまかせあれっ、『飼育と観察』はⅠ・Ⅱとも5でしたっ」

元気よく言ったかと思うと、「えいっ」と身を乗り出した。


そしてそのまま、ローファーを履いた足が、両方とも宙に浮く・・・・


「ちょっ」隣席の青年が食べかけのパンを放り出し、慌ててその腰を掴んで引き戻す。


ソリが大きく揺れる。空走犬たちが迷惑そうに唸った。


「び、びっくりした……」ソリの上に戻された少女が、真っ赤な顔でへたりこむ。


「こっちのセリフだ。でも良くやった」


タモ網を受け取った青年がためらうことなく片手をつっこんで、一匹の冠毛小鯨を手掴みで取り出した。きちんと命綱をつけるよう少女を指導していた調査員が、「げっ」と青い顔で固まった。


危険生物を素手でつかんでいる青年が、右手の人さし指を、その口に突っ込む。


悲鳴をあげてのけぞり、血相を変えて叫ぶ調査員。「あ、頭オカシイんじゃないんすか?!」


食べかけパンを空中でキャッチした透明な液体が、そうっとそれを差し出してくるのに、青年が笑って言う。


「わり、もうちょい持ってて。ーーよーく見とけよ」


しばらくモグモグと口を動かしていた小さな鯨は、突然大きな口を開けて、青年の指を解放した。皆が息を飲む中ーー青年がゆっくりと指を引き抜く。


傷一つない人差し指を、曲げ伸ばししてみせた。

自信に満ちた笑みとともに。


***


ぷあー、と豆腐屋の喇叭らっぱの音が路地に響く。

透明な液体のかたまりが、アスファルトの地面に飛び散る。


「うちのコーヒーは、かんけいないだろ!」


喫茶店の前でホウキを構えた小さい少年が、ものすごい剣幕で怒鳴る。集めたばかりの葉がその足元で飛び散った。しばらく地面にうずくまっていた透明な液体のかたまりが、逃げ帰るように少年の首に巻きつく。


それを不気味そうな目で見ながら、同じくらいの年頃の少年二人が口々に言う。


「ほんとのことゆっただけだろ!」「きもいんだよ!」


かっと目を血走らせた少年が二人に駆け寄り、ホウキを振り上げーー



ーーガチャ、と金属がぶつかる音がした。



少年のホウキが、目の前に突如としてそびえ立つ金属片の壁のようなものにめり込んでいた。

衝撃で飛び散った金属片のいくつかが付近に飛んでーー『牛乳屋』とマジックで書かれた真新しい、子ども用の自転車が派手な音を立てて倒れた。荷台の牛乳瓶がぶつかり合う音。その上に、野菜の乗った台車が乗っかる。玉ねぎがごろごろとマンホールの上に転がる。


少年二人を守るように建っていた金属壁が、ざらりと崩れ去る。


「なにしてる」押し殺したような、少女の声。いつの間にかすぐ近くに、まなじりを吊り上げた少女が仁王立ちしている。肩に引っかけているのは、黒帯で束ねられた白い道着。「つよいやつが、よわいやつを傷つけてどーする。守るんだよ、まちがえるな」


「……おと」


少年の頬にぺたぺたと引っ付いている液体生物を見ながら、少女が言った。「おまえも、そいつも」


少年の瞳が揺らぐ。


「他人への暴言も傷害未遂も、他人のペットを傷つけるのも、犯罪だ。あとで親と警察に連絡しておく」


子どもらしくない冷たい目をしてよどみなくそう告げた少女は、ぶつかり合ってざらざらと鳴る金属片たちを引き連れて、立ち去る。


「……なんだよ、よわいのはお前らだろ」


牛乳屋のエプロンをつけた少年が唇を噛んで小さく呟いて、手元に転がってきた牛乳瓶を掴んでーーホウキの少年に投げつけた。


とっさに顔をおおう少年。ばしゃあ、と水音。


少年を庇うように前に飛び出した透明な液体のかたまりと、牛乳がぶつかって混ざりあった。瓶と蓋がアスファルトに落ちる、硬質な音。


半濁色に染まったかたまりは、震えて飛び上がって、混乱したようにうろうろとしたあと、近くの植え込みに飛び込んだ。ホウキを放り出した少年が慌てて枝をかき分けるが、その姿はない。


「おまえらぜってーゆるさねぇからな!」


前髪に葉っぱを付けた少年が二人を睨みつけてそう叫んだあと、植え込みを飛び越えて、その先の竹林に駆け込んだ。名前を叫んで藪の中を駆け抜ける。


蜘蛛の巣が頬をかすめるような感触がして、少年は手で顔の横を払い除ける。指先にひっついたのは、


「たんぽぽ?」


白い綿毛。こんな時期に?と首を傾げたところでーー


「痛って!」


何かが正面から激突して、少年は草むらに倒れ込んだ。目を開けてぎょっとする。


「……くじら!」


ぷわぷわと白い綿毛を飛ばしながら、白い小さな鯨が数匹、目の前に浮いていた。そういえば、と少年は記憶をたどる。


メロンの仲間をさがしてやる、と買ってもらった生物図鑑に載っていた『空飛ぶ人食いクジラ』ととても良く似ていることに気付いて、後ろにずり下がる。その動きで気づいたのか、ふよふよと向かってきたクジラが口を開け、


「ひ」


短く悲鳴を上げた少年が反射的に目を閉じたところで。

べしょ、と良く覚えのある、ひんやりとした感触が、少年の顔面に貼り付いた。


「メロン!」


透明な相棒をひっぺがして、ぎょっとなる。


「おおお前食われてーー……ない、のか?」


透明なかたまりの端に、いくつものクジラが大口を開けてくっついている。


人一倍ビビリのはずのその液体が、逃げも怯えもせず上機嫌に少年の頬をぺちぺちと叩いている。クジラたちはもぐもぐと口を動かしたあと、液体の端をぺっと吐き出した。そのまま何事もなかったかのようにふよふよと空へのぼっていく。


少年の首元にぐるりと巻きついた液体は、いくつかの綿毛をぺぺっと吐き出すと、口を開けたまま空を見上げる少年の頬をぺちぺちと叩いた。


***


電話口に怒鳴って通話を終えた女性の前、ペットボトル飲料を飲み終えた黒髪の少年が、ふぅと息を吐いて額の汗をぬぐった。真っ赤になった喉仏のあたりを痛そうにさする。


「緒戸、ほんとにヘリ飛ばすの?」


滑走路に散らばった色々なものを、グランドスタッフと生徒たちが走り回って片付けているのが見える。


「おまえが実は空飛べるとかだったら即刻中止するよ。さっきのはちょっとした試運転だったとかで」


「いやいや……や、なんかそんな必死に追わなくても大丈夫なような」


うーん、と空のペットボトルを抱えて、空を見上げる少年。


滑走路の先から、わっと声が上がる。


「戻ってきた!」「帰ってきたー!」


遠くの空に現れた小さな犬ゾリを指さす生徒たち。艇尾にはためく信号旗を見るなり、荷物運びポーターたちが近くの倉庫から空っぽの檻を台車に乗せて運び出してくる。


あっという間に近づいてきたソリは、綺麗になったばかりの滑走路に悠々と降り立った。減速を終えたそれに、わっと駆け寄る警官たちと学生たち。


ソリの上、泣きそうな顔の調査員が、熱心に書きつけていたノートを放り出し慌てて両手を上げる。くたびれた顔の運転手は手綱を引っ掛けるなり、ソリのフチに寄りかかってぐったりと身体を伸ばす。


「おっさわがせしましたー」青年が笑顔でソリから降りてきた。ーー両腕に大量の人食生物クジラを抱えて。


ソリを取り囲もうと寄っていく者たちが、昨日の墜落騒動を知っている全員が、それを見るなり一斉に身構えて間合いをとった。


「うえええ、じいちゃんが間違えて、ご、ごめんなさいいい」


続いて、ぼろぼろと泣き出した少女が大声を上げながら降り立つ。


少年のスニーカーが滑走路のアスファルトを蹴って、青年に飛びかかる。乱暴に胸ぐらをつかんだ。その弾みでふよふよと逃げていくクジラたちに、調査員があああと声を上げる。


いつもなら機敏に防御からの反撃に転じるはずの透明な液体が、青年の首にしがみついたままプルプル震えているだけなのを見てーー少年が、振りかざした拳を止める。


すかさず、ボロ泣きの少女がその腕にしがみついて外させる。少女の髪の毛をもぐもぐしていた一匹が、ふわりと風に乗って飛ばされていく。


「あの、それ、大丈夫なんすか」一人の少年が青い顔でたずねた。


悪戯っぽい笑みを浮かべた青年が一匹差し出してくる。身をすくませる群衆を笑って、軽く答えた。「試した感じ、なんでも口の中に入れちゃう習性、らしーぜ」


調査員がうなずきながら、同僚とともにただようクジラをせっせと檻に入れていく。長い舌をだらりと垂らして息を吐く白い犬たちが、くしゃみを連発し、身体をぶるぶると大きく振る。白い毛と白い綿毛が周囲に飛び散る。


恐る恐る距離を詰めてくる警官に、ソリの上の調査員が泣きそうな顔で向き直り、「お話はこのあとでいくらでも、でもまず大学と研究所に連絡させていただけると……」


尻すぼみになる主張に、青年が笑顔で割り込んだ。「この3人は俺が脅迫して連れ回しただけだからーー」


「ちがいますっ私は自分で案内とかしましたっ」少女が強く言う。


ガチャリ、と耳障りな金属音が鳴った。


「何してる」押し殺したような女性の声。


青年の前に、長身の男ーー学園の理事長が立つ。金属製の能面が、日差しを鋭く反射する。


「なんでもっと早く言わない」


そのすぐ後ろから女性の声がして、青年はゆっくりと微笑んだ。


「俺は言ったよ、何度も」


「子どものころの話だろ」


「あのな、指定害獣を何匹も何匹も捕獲・投棄してる条例違反の一般人が、学園の理事長サマに、何を相談しろって?」


黙り込むふたりの間にボロ泣きの少女が割り込み、調査員が慌ててとりなす。「いやっ、調査結果は常に更新されていくものだから」


女性が神妙な顔をして呟く。「だが、調査が絶対的なルールになっているのもたしかだ。情報を精査する場がない」


「まぁ、普通、探検隊が正しいからなぁ」と青年。


「ここまでやったくせに、そんな、他人事みたいに」少年が呆れた目を向ける。


青年はへらへら笑いながら、腕いっぱいのクジラを檻に入れると、顔馴染みの警官が横付けしたばかりのパトカーに乗り込む。そこへ少女が「私も」と駆け寄るのを、少年が呼び止める。


「きゅーちょー、兄ちゃんのこと、ありがとう」


少女は笑った。赤い目で、ちょっと気の抜けたような、いつもの表情で。


***


雑踏の中。


色あせたボストンバッグをかついで、青年が駅の階段をのぼる。


「あ、そーだ、この写真やるよ」


ぴこん、と通知音の鳴ったスマホを尻ポケットから取り出した少年は、そこに映る、満面の笑みを浮かべて大きなフルーツタルトを食べている少女の姿を見て、「なにこれ」と言った。


「連れ回したお詫びにってこないだ行ったケーキバイキングの」


少年の表情がじわりと変わるのを、数段上の階段から楽しそうに眺める青年。


「……ロリコン」


「まぁた妬いちゃって、かわいいねぇ」


けらけら笑いながら階段を2段飛ばしで登っていく青年が、大声で陳腐な告白の言葉を叫ぶ。周囲の人間が振り返る中、腰をひねって振り返り、少年に向かって投げキッスをキメてから、げらげら笑って急行列車に飛び乗った。


階段を登り終えた少年が何か言う前にドアが閉まり、列車が走り去る。


呆れ顔で踵を返そうとした少年の目がーー向かいのホームでなにやら騒ぎながらこちらにスマホを向けている、見覚えのある数人の女子生徒と目が合う。そわそわしている。


「……当分、帰ってくるな……」


少年は、ぼやいた。


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