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中編 「ただの、無能力者だ」

翌日。平日昼間の駅前商店街。


豆腐屋ののれんをくぐった女子生徒が、おずおずと店内に声をかけた。「こんにちは。あのう、巴くんのお兄さんいますか」


作りたての豆腐をせっせと切り分けて、風呂のような巨大な水槽に浮かべていた壮年の男性が顔を上げて、不思議そうに言う。「……巴は一人息子ですが?」


「えっえっあれっ?」


目を白黒させてあわあわしながら自分の頬をつねりだす少女に、おーい、と青年の声がかかる。


「星屑のお嬢ちゃん、こっちこっち〜」


開け放たれた窓の外、喫茶店の店先を掃き掃除している青年の姿があった。


浮き沈みする豆腐を黙々と愛でている男性に、失礼しました、と慌てて頭を下げて退店した少女は、青年に駆け寄った。


「俺はこっちの家の息子」青年が目の前に建つ喫茶店を指さした。「いつもご利用アリガトウ」


「ああー、こちらこそごちそうさまですっ」


さて、と言い置いて、ホウキを壁に立てかけた青年は、前髪を掻き上げて脇道の先を指さす。


「ちょうどいい。俺も話、あったんだ」


脇道の先に停められた銀のクーペの、ドアロックが外れる音。



空調音とエンジン音。ひっきりなしにアクセルペダルをベタ踏みする真顔の青年。その横の助手席に座るのは、猛スピードで流れ去る車窓に顔を向けている真顔の少女。


続く沈黙の中、少女がポケットに手を入れて、振動するケータイを取り出した。

「はいっ」


「あっこら」慌てた青年が伸ばしてくる腕をかわして、


『きゅーちょ、今日の欠席ってカゼ? 見舞いとかーー』


「ううん、サボりっ、初等部のときの友だちと買い物っ」


『そっか。あとさ、さっき兄ちゃんとこに来たって聞いたんだけど』


「昨日の落とし物拾ったのでお届けに!」


『あそ。またマスターがキレてんだけど、どこ行ったか知らね?』


「えーと、なんか、半島のほうまでドライブするって言ってたようなー」


『まじかー。さんきゅ。また明日ね』


「あしたねー」


ばいばーい、と朗らかに言って通話を切る少女。消化不良の顔をしたままハンドルを握る隣の青年のほうへ、居住まいを正した少女が、「信じます!」と元気よく言った。


「……ん? は?」


青年の混乱をよそに、少女はカーナビに手を伸ばして行き先変更のボタンを押す。


飛行場そっちはいま整備中だから、第二保管庫こっちのほうが早いよ、いまテスト飛行やってるし」


ナビから新たなアナウンスの声。

赤信号で車が停まった。カチカチとウインカーの音。


青年が息を吸って、吐く。

「……やっぱ、昨日の見てたかぁ」


「ごめんなさい。いつもは個人情報は見ないようにしてるんだけど」


「まぁ、クジラ探してたし見えるよな」すげーな、と呟いた青年が、赤信号を見ながら、着信音の鳴るスマホを叩く。「巴だ。着拒〜」


「ひえっ」


ぽいと後部座席にケータイを放り投げ、アクセルを踏んでハンドルを回す。


少女が青年の横顔を見た。「クジラ、好きなの?」


「こいつの恩人なんだよ」


前を向いたままの青年が右肩を上げて、日を浴びてだらっとしている液体を少し持ち上げてみせる。


少女がやけに明るい声で言った。「じゃあ、がんばらないとねっ」


数台の車とすれ違う。

ややあってから、青年が口を開く。


「いいのか?」


電源を落としたケータイを、少女の手が、揃えた膝の上でにぎりしめる。ぐっと涙をこらえた赤い目の少女が顔を上げて、道の先を見つめた。


「うん。ーー私も、じいちゃんが間違ってたのか、確かめたいし」


震える声で、でもはっきりと言って。


***


フェンスに囲まれた広大な草原を突き破るように、東西の方角に真っ直ぐ伸びる、たった一本の滑走路。両脇にはいくつかの倉庫や格納庫が建ち並ぶ。


西の空から、いくつかの咆哮。

雲間から近づいてきた一隻の犬ソリが、滑らかな動きで滑走路の端に着陸した。緩やかに減速しながら、長い舌を垂らして荒い息を吐く、白い長毛の大型犬たち。手綱をソリのフチに引っ掛けた運転手が、犬たちに労いの言葉をかけようとしてーー


「お帰り」


ガタン、と簡素な木ソリが、左右に大きく揺れた。

聞き慣れない声に、運転手と助手席の調査員が後方を振り向く。空席だったはずの後部座席に、両側がら飛び乗ってくる元バイトの青年と、制服姿の見知らぬ少女。


にっこりと良い笑顔を見せる青年。「これ、もう一回飛ばしてくれる?」


「は?」と運転手。


「このソリを5分以内に、上空に戻してって言ってんの。さもなくばー」


荷物を置いた青年が、ソリの後端に置かれている『非常用』と書かれたスチール製のボックスを蹴り飛ばした。蓋がガランと路面に落ちる。中から防犯用の手斧を取り出し、大きく振りかぶってーー


「まっ待て待て!」白目を剥いた調査員が助手席から飛び上がって、青年にしがみついて叫ぶ。


すんでのところで止めた刃の下には、新旧様々な、数百万から数千万の精密計器類が積み上がっている。そしてもちろんその価値も重要性もとてもよく知っている元バイトの青年は、背中に調査員をひっつけたまま軽々と振り向いて、

顔見知りの運転手に向けて、催促するように斧を揺らし。


「さてどーする? ーーそれとも、人質とってもいーんだけど?」


運転手の喉がひゅっと鳴った。


***


「は? 兄ちゃんがきゅーちょー拉致って探検隊をハイジャックした? って聞こえたんだけど、あってる?」


豆腐屋のエプロンをつけた黒髪の少年が、スマホを耳に当てて豆腐屋の店内を歩き回っている。豆乳の瓶が並ぶ冷蔵庫のガラス面に、しきりに変顔を繰り返す少年の顔が映る。


「……えーと。なんかまたそういう自主制作映画を勢いで撮り始めたとか、そういう……?」


『緒戸』と表示されたスマホ画面から、けたたましいサイレンの音と、青年の名前を連呼する地元警察官の怒号が聞こえて、言いかけの軽口を撤回した少年は大人しく口をつぐんだ。


「で、なんでそんなことに」


電話の向こうからの返事はない。


「もしもし? 緒戸?」


「さぁな。いいからすぐ来い」


『通話終了』と表示された画面を見つめ、呟く少年。


「でも、きゅーちょー、そんな感じじゃなかったけどなぁ……あ、れおくんも聞いた? 行くとこ?」


軒先に下がるのれんの向こう、コンビニのビニル袋とスマホを持った幼なじみの少年が足を止めて、怪訝そうに振り向く。


「かくかくしかじかで」


「は? これ兄ちゃん?」


「うん」


途端にげんなりした少年が、コンビニ袋からチョコレート菓子を取り出して封を切りながら方向転換する。「パス。帰るわ……」


「えっなんで」


「当たり前だろ。そこの工場もガッコ裏の自動車修理場もここらへんのゴミ収集会社も駅の向こうのラーメン屋の横の鉄工所も、みーんなあの人の舎弟まみれだぞ」


「不良漫画読みすぎ」


「お前は昔からそーだったよなぁ」


はぁ、とため息をついてチョコレートをかじりながら、少年が去っていく。


***


Uターンののち、再び滑走路を駆け出し始めた犬ゾリに、地上で待機していた整備士たちから戸惑いの声と呼び止める声がかかる。さらに離れたところから、鋭い制止の声が飛ぶ。滑走路脇のフェンスをよじのぼってくる学生たちの姿が見えた。


「早いな」舌打ちを鳴らした青年が運転手を急かす。


「すぐそこに住んでる子たちっ」カバンからハンカチを取り出した少女があわあわと自分の顔を覆う。


「ああ、クラスメイトか。やべーやつは?」


「ともくんが一番すごいよっ」


「そりゃそうだ。あぁ、あいつも連れてくるんだったか」青年がぼやいてーー


ぱぁん、と間近で大きな破裂音。


青い顔の運転手、助手席でうずくまる調査員、ハンカチお化けになっている少女が揃って肩を震わせるのに、


「大丈夫大丈夫、危ないもんは全部俺らがどうにかするって」軽く答える青年。その笑みのすぐ横で、肩に乗っていた透明な液体が細かい液滴になって四方へと飛び散った。深くめり込んだ小石が、揺らぐ液体の中で減速して動きを止める。


「メロンさん!!」少女の悲鳴。


「大丈夫大丈夫、水様生物アクアビオスは分裂自由の不死身アンデッド


ぺっと小石を吐き出した液体が、アクリル板のように薄い膜状に広がってソリの側面を覆った。フェンス側から放たれた紫色の光を跳ね返し、猛スピードで飛んできたシャープペンシルを跳ね返し、


ーーそこにガツン、と、小さな金属片が突き立つ。

ぶわわわ、と液面に波立つ放射状の波紋。



「来たな」見覚えのある金属片を見つめ、青年がうっそりと笑う。


ハンカチの隙間からそうっと顔を出す少女の瞳が、フェンスの向こうに仁王立ちしている女性の姿を捉えた。女性のほうをまっすぐに見つめながら、青年の口が、「ごめんな」と声を出さずに小さく動いた。


すぐ間近で空き缶やBB弾を次々と弾く頼もしい液体を見つめながら、

「あのっお兄さんの能力ってどんなーー」

期待をこめたまなざしで、息せききって少女が聞くのに、青年はこともなげに答えて。



少女のハンカチが落ちた。「……え?」



全速力で漕いでいた自転車のペダルを蹴り、緑色のフェンスに身軽に飛び移る黒髪の少年。放り出された自転車が倒れる。フェンスをよじ登って越えた少年が、膝を大きく曲げて、草むらに両足で着地した。


スーツ姿の大男が、倒れたばかりの自転車を金属製の両手で持ち上げ、フェンスの内側に放り込んだ。少年が短く礼を言って、それに飛び乗り草むらを走り、生徒たちや警官たちを追い抜いて、ソリを追って滑走路を走る。


少年が去ったすぐあと、格納庫から出てきた調査員たちや、騒ぎを聞きつけた近隣住民たちがフェンスの内外にわらわらと集まってくる。


「せんせー、巴せんせ来たし、俺らもう帰っていいすかー」


先陣を切ってソリを止めようとしていた生徒の一人が、駆け寄ってくる担任の姿を見つけて、くたびれた顔で言う。


去っていくソリをフェンス越しに睨みつけている教員補助職の女性が、険しい表情で首を振る。「苦戦するだろうから、手伝ってやれ」


生徒たちがどよめく。

ああ、と彼らの担任がソリに乗る青年を見て眉を下げた。「あいつかぁ」


「せんせ、犯人と知り合い?」「そんな優秀な人なんですかっ」


「卒業生だよ、お前らの先輩。ーー何年かに一人、ああいうムチャなバカがいるんだよなぁ」


首を傾げる生徒たちに、緒戸が答えた。


水様生物ペットと腕力と機転と根性だけで、能力科に入学して卒業したーー



ただの、無能力者だ」


作業BGM;Soichi Noguchi(Youtube)https://www.youtube.com/c/astrosoichi/videos

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