後編 「『能力の詐称をしないこと』ーー入試の能力試験の第一項目にあった記載を覚えてるか?」
「腕なしは家に帰ってろ」
「老いぼれこそ。避難指示も聞こえなくなったか」
「俺たちはこないだゴブリンの大群を追い払った」
「おいそれ、また農協と消防と能力科に一報入れてないやつだろ」
尚も続く騒動の中、猪除けの柵の前。野次馬の最前列にいる老人と、柵の内側に立って騒動を睨みつけている女が言い争っている。周囲の野次馬たちが迷惑そうな目を向けるそこへ、学生服姿の黒髪の少年が駆け寄ってきて「緒戸、」と女の肩に手を置く。羽織ったジャケットの袖が揺れる。二人の足元に、つぶらな目をした柴犬が座り込む。
「話しかけるな」真剣な表情で上空を睨みつけている女性がにべもなく言う。
「大事なことなんだよ。あの人の能力、教えて」
珍しく食い下がる少年がいつになく真面目な顔で指す、人混みの中の相手を見て、女は「個人情報」と呟く。
なおもうなずくだけの少年に向けて、諦めたような表情を浮かべ、一段声をひそめて答えた。
「気体を動かす。とりわけ微粒子の操作に長けている」
「ありがと」
即座に去る少年の背を目で追って、
「え」
緒戸はぽかんと口を開けた。
さっきまで指差していた相手に駆け寄った少年が、そのままの勢いで男をぶん殴ったからだ。
ゴム底のスニーカーが、あぜ道の砂利の上をざりざりと滑る。
上空の虫にばかり意識を向けていた男ーー能力科の指導教員に先日着任したばかりのその男は、不測の攻撃によろめいて畑の中に尻餅をついた。男の正面にいた隻眼の少女が、驚きに甲高い声を上げる。
「おまえ何してんだ!」近くにいた上級生が少年に飛びかかろうとしてーーその腕を、大柄な男ががっちりと掴んだ。
銀色の顔面をしたスーツ姿の男だ。良く見るとその顔や手が、細かい銀色の金属片がいくつも寄せ集まって形作られていることがわかる。
「理事長、そいつ頭おかしいすよっ」腕を掴まれた上級生が叫んだ。
理事長と呼ばれた金属人間は、もう片方の腕でゆっくりと頭上を指さした。
立ち込めていた積乱雲が晴れている。
びっしりと、不気味なほど密集していた虫が、目的を失ったかのように散り散りに飛んでいく。
「あれ! 落としてっ」少女の声。
黒髪の少年の指先から水の筋が飛び出して、虫の隙間から現れた炎に直撃した。水をかぶって消火された、細い薪のようなものが2・3本、どぼんと近くの用水路に落ちる。しぶきが上がる。その衝撃に、近くの茂みから羽虫が飛び立つ。
うっすらと水蒸気が立ち昇るその薪木のようなものを、皆が取り囲んで見下ろした。
「着火系の浮遊エアプランツだ」と誰かが言う。
蒸気の熱にあおられて、かすかに漂う甘いかおりを少年がかいだところで、「樹液だよ」と隣に立った少女が言った。「あの虫、あったかい樹液が好きなの」
「詳しいな」
この上なく嬉しそうににっこり笑って、少女は快活に答えた。「じいちゃんの本に、あった!」
その笑顔を見、少年は肩の力を抜いて、口角をゆっくりと上げた。
「ーーそれで、それは自然発火するものか?」
突然見知らぬ女性からかけられた問いに、あわてて首を振る少女。短く礼を言った女性が、思案顔のまま、近くに立つ警官を呼ぶ。
と、野次馬たちがどよめいた。
顔を上げた少年は、ぐらついた上空の岩ーーいや、崩れかけの虫の巣が、ぼろりと大きく崩れて降下し始めるのを見た。
「やっべ」
真下にあるのはーー
ーー収穫直前の大豆畑。
ガシャ、と耳障りな金属音を鳴らして上級生たちの間を駆け抜けたひときわ大きな人影が、人間離れした脚力で地を蹴り、空に飛び上がった。晴れ渡った日差しを逆光に、伸ばした銀の両腕で巣をキャッチするのが見えた。
そのまま綺麗な放物線を描いて、反対側のあぜ道に着地する。
おお、と柵越しの群衆から歓声と拍手。
「理事長つえぇ」興奮気味に笑いながら、レオが雨霰のように降ってくる細かな破片を弾き飛ばしている。
巣を抱えたままの金属人間が足早に戻ってきて女性の脇に立つのと、頬を赤く腫らした教員の男がうなだれ、駆けつけた警官に手枷をはめられるのが同時。
がしゃん、と鍵のかかる音がした。
***
見回りを終えた消防士たちが報告に駆けていく足音、ゴミ収集車のメロディ音、帰り支度を始める上級生たちと、散っていく野次馬たちの安堵をまとった喧騒。
いくつもの農具が立てかけられたプレハブ小屋の裏。
「さぁて?」
建物越しに差し込む夕日を背に、仁王立ちの女性がそう言った。
彼女の後ろに控えるように立つのは、スーツ姿の金属人間。
二人の足元、日陰の、じめっとした地面に正座している黒髪の少年。そのまわりをうろうろしている、青いリード紐を引きずる柴犬。
「……俺、店番あるんで、すけど」
「さっき電話しておいた。今晩は学校行事でちょっと遅くなると」と女性。
うう、とうめいたあと、少年はしばらく押し黙ってから、弱々しく女を見上げた。「なんでバレた?」
女性はゆっくりと口角を上げた。「最後に油断したな」
右肩をくいと上げて背後の男ーー否、金属人形を示し、
「これは『学園理事長』で、こうして私の後ろに控えてる『執事』は、」
金属人形がスーツの下から黒い外套を取り出して、頭からフードをかぶった。両手には白い手袋をつける。スーツも金属の顔面も両手も、布にすっぽりと覆われて見えなくなる。
「こうだ。そして、これが私の『傀儡』だと知ってるのは、あの場にはおまえしかいないよ、ボン」
長く長く納得の息を吐いた少年は、意味不明なぼやきを吐きながら地面に伸びた。
その前に片膝をついた女性が、ふと真剣な表情になって言う。「で、おまえ……もしかして多重能力か?」
「まさかぁ」地面に伏したままくぐもった声で答える少年。「緒戸、そんな都市伝説信じてるなんて、へぶっ」
金属人形の手刀が遠慮なく少年の後頭部に振り下ろされ、少年の顔面が泥に沈んだ。少年の震える両手が、早くも膨らみ始めたコブを押さえる。
「てっきりお前のは、あの水鉄砲だと思ってたんだけど」と女。
「ウォーターカッターって言ってよ」ゆっくりと顔を起こした少年が、泥だらけの顔を柴犬に向けて。「タロウ、水ちょーだい」
ちょいと片方の前足を上げた犬の、その指先から弧を描いて放たれる透明な水。
その水で少年が顔を洗うのを見下ろし、『それ』が誰の才能かを理解した女性は長い息を吐く。
「だってさ、」シャツを袖で顔をぬぐって、少年が顔を上げた。「駅前商店街の豆腐屋の息子にそんな学歴いらねーし、あっちのクラスすごい殺伐としてるし、放課後まで追加授業多くて遊べないし、俺は楽しく楽に卒業したいし」
役目を終えた柴犬が、二人の前のてくてくと通り、日なたに移動して座り込む。
「それに、いつも思うんだけど、能力って、なんか性格でるっつうか、すごくズルい感じするし……」
小さくぼそぼそと呟いた少年の声は尻すぼみになったが、女性はきちんと聞き取った。
その上で、一拍置いてから言った。
「『能力の詐称をしないこと』ーー入試の能力試験の第一項目にあった記載を覚えてるか?」
「え、」がばっと顔を上げる少年。その顔は青い。
「意味は分かるな?」
「い、いやちょっと待って、待ってください、退学だけは!」
先代の時から贔屓にしている豆腐屋の、跡取りのボンクラ息子が、世界で一番怖がっているのがオカンと父方のじいさんだとーーそこんところをよく知っている学園理事長は、悪役そのものの笑みを浮かべて。
「お前が一番嫌がりそうな処罰にしよう」
息を止めて死にそうな顔をする少年に、さらっと言い足す。
「安心しろ、卒業はさせてやる。今すぐに、な」
「……え?」
***
翌日。校庭の中央。
ジャージ姿の教え子たちを見回しながら、能力科のとあるクラスの担任教師がよどみなく言った。
「師事してた奴、振替処理は済んだな。あの先生は対外的には『遠くへ赴任』ということになったから、みんな話合わせろよー。近隣住民にも連絡済みだ」
体育座りの生徒たちは互いに顔を見合わせ、一人が挙手した。
「それはいいんですけど、あのう、今日の実技はどうするんですか」
「まさかセンセが」
「馬鹿言え、そしたら今日で全員卒業じゃねぇか」普通科出身の一般教職員は、にわかに士気の上がる生徒たちを前に、反吐が出そうな顔をして。「てことで、新しい先生でーす」
平坦に言って示した先で、教職員用の昇降口がガラッと開く。
「どーもー」
やたらとヘコヘコしながら、まるで若手お笑い芸人か何かのように登場したのは黒髪短髪の少年。本校の制服。ゴム底のスニーカー。ポケットからは画面が点いたままのスマホと小型ゲーム機がのぞいている。全員と握手を始めた少年を見、途端に白けた目をしたレオが挙手して担任を呼んだ。
「昨日の分も今日終わらすんだろ、ふざけてる時間あんの?」
「そうだったらよかったんだがなー」
遠い目をする担任ーー何を隠そう、去年までは普通科で少年の担任をしていたーーが言い終わる前、近くに置かれていた金属製のボールカゴがふわりと宙に浮き上がる。
中に入っていた無数のバレーボールが、カゴから出るなりそれぞれが縦横無尽に、意志を持った生物のように精緻な動きで浮遊する。
「それオレの?!」とレオが目を白黒させ。
ひとつのボールが放電音を鳴らして紫電に包まれ、その一条の光が校庭に落ちて、
どぉん、と、地面にとどろく爆音。
円筒形の土埃が高く舞い立つ。ぽっかりと現れた巨大なクレーター。その中央からぼこりと巨大な岩が現れ、そのてっぺんから植物のつたのようなものが数十本伸びて、落下してきた無数のボールとカゴをしなかやな動きでキャッチして、そうっと地面に下ろした。
あとひとつだけ中空に残っていたボールを、上空から飛翔してきた猛禽類が小さな頭でぽんと弾き、それを小猿の影が三回転バク宙をしながらキャッチして、カゴに着地した。
「は……?」
ぽかんと口を開けたまま固まるレオ。彼のクラスメイトたちが互いに顔を見合わせ「何もしてない」「今のは自分じゃない」などと言いながら首を振る。
まだ信じきれていない様子の担任が、目をすがめて少年を凝視する。
その横で、ぱちぱちとまばらな拍手を鳴らす茶髪の少女ーー今朝の転入生。
「ともくん、あんこーる!」
無邪気な歓声に、まぁまぁ、ととりなすように手を振った上機嫌の少年は、「ん?」と動きを止めて、顔をしかめて。
「緒戸、まずいぞー、これめっさ感覚だから説明しろっつわれてもできな」
理事長室の方角から小さな銀色の金属片がひとつ、俊速で飛んできて、少年の額にがつんと直撃した。
***
木々の枝葉が揺れる。
錆びたベンチの上に放置された四人分のカップの冷えきった液面が、ゆらゆらと揺れている。
「まじでこまるんですけどー」
赤髪の少年に胸ぐらを掴まれて、がくがくと揺らされる黒髪の少年。
「ふざけんなしー」
青髪の少年は真新しい卒業証書を筒状に丸めて、少年の黒い後頭部をぽこぽこと木魚のように叩いている。
「俺らのこれからの宝箱はどうなる?!」
「えっ私?」居残り授業の続く校庭を覗き込んでいた女子生徒が目を丸くして振り返る。
「そうだよ!」と青髪。
「来週からまたイベントなのに!」と赤髪。
「ともくんは?」
「そっちは昨晩ずーっと説明さした」
「ああ、昨日はイベントじゃなかったんだねぇ」
三人の目の下の隈を見てうなずく少女に、そろって3つの頭が横に振られる。
「周回しながらに決まってる」
「ああー」
二人の襲撃からようやく逃れた黒髪の少年がベンチに辿り着いて、冷めたコーヒーを一口飲んでから言う。「いやだからさ、昼休みのたびに教室、遊び行こーぜ」
「それだ」と赤髪の少年が指を鳴らし、
「よし許す」と青髪の少年が卒業証書を無意味に広げる。
ぱあっと顔を顔を輝かせる少女が、ともくん、と少年を呼んだ。
「どうも、ありがとう」
少年は笑って答えた。
「俺は本当のことを理事長に言っただけ」
『緒戸、うちの級長知ってる?』
『俺、級長の能力、確認のために一回借りたけど、それ以外は増幅も何もしてないんだよ』




