中編 「んとまじチート」
いくつもの畑が広がるその奥、サイロの屋根からカラスが飛び立つ。
いびつな形をした巨大な岩のようなかたまりが、青空の中にぽっかりと浮かんでいる。その高さは、ちょうど鳥たちが向かう先、電線の集まる白い鉄塔の頂上と同じくらい。
岩の周囲、ちりのような大小の砂粒が風に乗って数回している。それらが引き寄せられるように集まって、岩はじわじわと大きくなっているように見える。
「美術の資料集に載ってたやつ」群衆の中、学生の誰かがぼやく。
口を開けながら空中の岩を見上げ、黒髪の少年は真顔で言った。「いっそのこと、このまま観光名所にでもしたらどうかね」
その隣、レオが真顔で同じように見上げ。「あれな、さっきまで上の雲にくっついてた。あと三十分で畑に落ちて、ここら一帯の作物全滅ーーって、そこの学者先生がさっき言ってたけど?」
バチ、と破裂音。紫色のまばゆい電光が即座に巨岩全体を包み、その表面、真っ直ぐ縦方向に大きな亀裂を走らせた。
おおお、と後方の野次馬から野太い歓声が上がる。
周囲に飛び散る大小無数の破片。風で流されたその岩粒が上空で大きな渦を作り、岩の亀裂を埋めるように次々と戻っていく。
元通りの岩を前に、あああ、と野太い落胆の声。
続いて岩に絡みついたのは、緑色の、植物のつたのようなもの。岩の表面にいくつかの細かい亀裂が増えては、すぐに埋まる。
ふーん、と黒髪の少年がぼやく。「物理攻撃効かないタイプか。フツーこういうのはどこかに核があるもんなんだけど」
「ひっこんでろゲームオタク」レオが心底うんざりしたような顔で言った。
少年の目がすいと横にずれる。「ね、きゅーちょー」
「うーん、待ってー」神妙な顔でこめかみをぐりぐりしている少女の前で、小さな猿のような影や猛禽類が次々に岩へと飛びかかっては牙や爪を立て、青い炎や氷のかたまりが次々と岩に激突し、そして。
ーーぱぁん、と大きな音を立て、岩が弾け飛んだ。
破片が周囲に飛び、
「うおやば」
悲鳴とどよめき。
落下してくるいくつもの大きな破片に、黒髪の少年がとっさに少女の手を引いてーー
横から飛んできた大型看板が、降下中の破片を残らず横なぎに吹っ飛ばした。
「え?」バランスを崩しながら、少女の短い声。彼女の髪とスカートを揺らしてと猛スピードで通り過ぎた駅前のパチンコ屋の看板は、そのまま岩の破片と一緒に、誰もいないネギ畑のど真ん中に落下した。葉っぱと、コンポストと、それから泥まみれの肥料袋がいくつか飛んだ。
「くぉらノーコン坊主!!」
柵越し、スキンヘッドのおっさんがものすごい剣幕でレオに怒鳴る。
そっぽを向いて舌打ちを鳴らしたレオが、
「お前やっぱ帰れよ、そこの落第と一緒に」
そう言って、あぜ道にへたり込んでいる元同級生の少女を見た。
赤面した少女はもたもたと立ち上がりながら、
「う、えへ」
もごもご言いながら前髪をいじる。
「普通科にも噂くらい入ってるだろ。赤点じゃなくて、センセーがサジを投げたやつだって」
「まぁねぇ」黙り込む少女のつむじを見ながら、黒髪の少年が、相変わらずののんびりした調子でぼやく。「能力科、ほんっと攻撃と守備以外を軽視しすぎよなぁ」
「あの、ともくん、私、帰るーー」
畑の泥がついたローファーが、踵を返そうとして。
ぴたりと止まった。
隻眼の少女は、半笑いの表情をふっと消して、おもむろに空を見上げた。ふわふわの茶髪が風に流れる。
少女の見ている方向に巨岩はない。青空に能天気に浮かぶ、真っ白な積乱雲。
「きゅーちょ、」少年がいつものように少女を呼んだ。
振り向く少女に、少年は黙ったまま親指を立ててみせた。
半年前ーー能力科から普通科にドロップアウトしたその初日、クラスメイトから遠巻きにされていた少女の前に、いきなりスマホを突き出して『宝箱、選んでくんね?』と頼んできたときと、まったく同じ仕草で。
ひく、と少女の白いのどが動いた。
「あのね、あっち、雲の中」
また性懲りもなく重機を空高く持ち上げて、農家のじいさんたちに怒鳴られているレオが、不審そうな目を向けてくるのに少女は慌てて両手を振り、
「あ、でも気のせいかもしれな」
「れおくん、あの雲ふっとばしてくんね?」と黒髪の少年。
「だから、探検隊ごっこなら商店街戻ってからやれよ」
「みなさーん、このかっこつけ、なんと小五のときに」
「ああああああ!!!!」
突然絶叫するレオ。同時に、近くに建っていた傾きかけの廃屋から錆まみれのトタン屋根がベキベキと剥がれ、空高く舞い上がってーー白い積乱雲に刺さった。
「あ」、と誰かの声。
白い雲間から見えたのは、うごめく小さな虫たちの大群。すぐに雲に覆われて見えなくなったが、
「これ、岩じゃなくて、あの虫の巣か!」と誰かが叫んだ。
岩に向けられていた様々な攻撃が、一斉に矛先を雲へ、その先の虫へと変わる。
「ナイス、きゅーちょ」
黒髪の少年が親指を立てるのに、照れたように顔を伏せて少女が早口に言う。
「あれね、木とか齧って口から巣の材料吐き出すやつ」
「詳しいな」
「じいちゃんの本に、あって」
快活に答えながらも少女の表情が晴れないことに気づいて、少年が口をつぐむ。少女は前髪をいじりながら、ちらちらと周囲を見回していて。
「……きゅーちょ、ちょい『借りる』よ」
「ん? 何、スマホ?」
「いや、」
明後日の方向を向いて一瞬目を閉じた少年は、「んとまじチート」と小さくぼやいて。
いつのまにか半泣きになっている少女の顔を覗き込んで、一言。
大丈夫、とキッパリと言った。
「ほら、先週の限定イベント思い出せ。下り階段と、真ん中の扉と、青いボタンで合ってたろ?」
間髪入れず、ひときわ大きなレオの舌打ち。目を輝かせた少年が俊敏に振り返る。
「えっまじ、こんど対戦」
「しねーよ!」
言い争う少年二人の様子にそっと微笑んだ少女は、あぜ道を少し進んで、一人の男の前に立った。
「や、やめてください」
震える声で、そう言って。




