前編 「我が家そういうの通じないから……とにかく危機には駆けつけろ、さもなくばメシ抜き、だから」
#春の創作ワンライ 参加作品
・前編:第3回お題「生返事」「待ち合わせ」
・中編・後編:第4回お題「鍵をかける」「遠くへ」
頭上に、影。
空に浮かんだ巨大な岩が、ものすごい速度で上空から落下する。
真下に立っている少年が両腕を広げる。紫色の電流が指先からほとばしる。巨岩をつつんだ光が弾け、ヒビを入れたかと思うと、中空の岩の粉々に砕いた。
飛び散る石片。周囲のどよめき。周囲一帯にもうもうと立ち昇る粉塵。
少し離れたところで重心を落として構えていた別の少年が、上空に掲げていた両腕を下ろして悔しそうな顔をする。周囲に浮いていた小石が力なく校庭に落ちた。
勝ち誇った顔で何事か告げた少年の、断続的に紫電を散らすその身体が、直後ーー右横に吹っ飛ぶ。
植物のつたのようなものが、ムチのようにしなって校庭の砂をまきあげる。その根元に寄りかかる少女が、好戦的な笑みを浮かべていた。
その光景を眺めて、三人の学生が口々に、ああー、と大声を上げる。
「すげー、いいなぁ」
「つえええー」
「かっこいー」
錆びたベンチに並んで座る男子生徒二人と女子生徒一人がそう言う。三人の指先はせわしなくスマホの画面を叩いている。彼らの視線は、それぞれの手元で賑やかに進行している周回イベント中のソシャゲに……ではなく、木々の隙間から見える校庭の光景に向けられていた。
「あ、あの子。こないだ消防から表彰されたって」と少女。
「聞いた。そんで今月のバイト代で扶養外れたって噂」と青髪の少年。
「うわ勝ち組すぎる」と赤髪の少年。
「内申もやばいし、もう大学から推薦来てるって」と青髪の少年。
「ひええ別世界」と赤髪の少年。
「あ」隻眼の少女がベンチからぴょんと立ち上がり、「ともくん見っけ、ぐえ」上機嫌に言ったかと思うと、何もないところで転んだ。
喫茶店の裏口のドアが開く。「こっちのセリフ」湯気のたつカップを持って現れた黒髪短髪の少年が、そう答えながら地べたの少女を引っ張り上げる。
そこに、空になったカップを持ち上げて振り、赤髪の少年が脳天気な声を出す。「ともくん、おれもおかわり。イタリアンね」
「自分で行けー。きゅーちょ、先生がまだかって呼んでた」
黒髪の少年が言うのに、ぱしぱしと大きな目をまばたかせてから、少女があっと声をあげる。
「そうだったっ、私、サボり常連三人組を呼びにきたんだったっ」
「ほんと、きゅーちょってばミイラすぎる」と青髪の少年。
「とられてるほうのミイラすぎる……」と赤髪の少年。
えへへ、となぜか照れたように笑う少女。
あ、と赤髪の少年が空のカップを持ってベンチから立ち上がり、木々の向こうを指さす。「ともくん、それよりアレ見てみ。今日のは一段とゲームっぽい」
入れ代わるようにベンチに座って、制服のズボンのポケットからスマホを出した黒髪の少年は、眠たげな目を校庭に向けて。
「……うーん、三次元は見てるだけで疲れるからなぁ」
「ひがむなって」
「いやだって、明らかに下級生のが良くね?」
「だから、ひがむなってー」笑って言った赤髪の少年が、喫茶店の裏口に消える。
足元に乱雑に積まれている数個のカバンの一つから、はみ出しているシワだらけのプリントーー進路希望表を見て、青髪の少年がふと言う。
「そいや、ともくん、教職課程どうした?」
「しがない豆腐屋の跡取りがそんなもん、とるわけないでしょ」
「だよなぁ。きゅーちょは?」
「とったよー内申上がるし」ぴょいと飛び跳ねた少女が、腰に手を当て謎のVサイン。「めざせ星屑探検隊!」
なんともファンタジックな通称だが、正式名は公共局の参備課。れっきとした公務員だ。冬の夜空に定期的に旅立つ探索隊で、星屑と呼ばれる滞空性のある各種資源や飛行発光生物などの収集と調査が主な任務。いわく、少女のおじいさんが昔、鑑定員として参加していたらしい。
なお、下級生で公務員になれた奴はいないらしいが。
「教職とっとくと色々有利だからなー」
「そういえば、今けっこう教員不足って聞いたよ?」
「それ上級生の話だろ。今の代、能力のレパートリー広すぎて実技の指導教員が足りてない……って、なぁともくん聞いてる?」
会話に参加せず画面にのめりこんでいる黒髪の少年が、視線を外さず曖昧な返事をよこす。
「あ、本日の『生返事』」
先日の現文の授業で出てきて以来、「ともくんぴったりだね!」と少女が使い始めた表現を今日も口にして、「あー」と今度は聞こえているだろうに、わざとらしい相槌を打つ少年。
と。地面がかすかに揺れた。どぉおん、と遠くから謎の破壊音。少し遅れてサイレンの音。
「きゅーちょー、なにごと?」と画面に目を落としながら、青髪の少年。
「んーとね、」
目を閉じてこめかみを指先で叩きながら、少女が隣の区と番地を言った。
ふぅん、とうなずく青髪の少年。「そこなら避難指示出てからで間に合うな」
ドアが開いて、湯気の立つカップを持った赤髪の少年が戻ってくる。
「あそーだ、きゅーちょーガチャひいて。今日のは逃せない」
「だから、そういうのは通用しないって。選べるやつじゃないと」
「じゃー宝箱選んで」
「んとね、真ん中のやつ」差し出された小さな画面の中央に、とんと置かれる少女の細い指。ド派手な光がほとばしり、
「おおお! さんきゅー!」
優雅に振り向くモーションの和服少女アバターと『SSR』の太ゴシックが踊る。ファンファーレから続くメロディーに重なるように、別のスマホが、ぴこぴことものすごい頻度で通知音を鳴らす。
「やっべ!」青ざめた黒髪の少年が突然すっくと立ちあがる。右手に握られたスマホの通知欄が目まぐるしく増えていく。「じいちゃんの大豆畑! ちょ、きゅーちょも来て!」
「えっまた現場行くん? 知ってる? 俺ら下級生じゃバイト代出ないんだよ?」と赤髪の少年。
「それな」と青髪の少年。
ううん、と黒髪の少年がうなだれる。「我が家そういうの通じないから……とにかく危機には駆けつけろ、さもなくばメシ抜き、だから」
同情の目を向けられながら、別れの挨拶をした黒髪の少年が少女の手を引いて喫茶店の横の建物に飛び込み、そのまま賑やかな表通りに抜けようとしたところでーー店先ののれんをくぐって、店内に入ってきた女性が一人。
「ボン、木綿一丁」
「あああ、今ちょっと」コンクリートの床で数歩足踏みをする少年をぎろりと睨みつける女性。
「ほう、私の夕飯より大事な用があると」
その、幼い頃からよく見知った高圧的な目に条件反射的に立ちすくんだ少年が、無意味に視線をさまよわせ。
「ええええ、うーん、きゅーちょ先行ってて!」
「わかったー」
素直にうなずいた少女は店の前に停めてあった愛車にまたがると、鼻歌まじりにエンジンをふかして、さっさと走り去っていく。
その音を聞きながら、少年はぷかぷか浮かぶ白いかたまりをひとつ掬い上げて、手のひらに載せる。もう片方の指先から飛び出た複数の水の筋が、賽の目状に豆腐を切り分けた。
「……おい、おまえね」
いつもの場所に包丁が立ててあるのを見て、女性が半目になる。
「緒戸も知ってるでしょ、俺、急いでんのっ」
手早くビニル袋に入れて封をし、女性の脇に立っている大柄な黒フードの男に手渡す。
「お金そこ置いといてっ」
ぶら下がるザルを指さした少年は、足元であくびをしていた柴犬のリード紐を外して抱き上げる。
緒戸が不審そうな顔をする。「こんなときに犬の散歩?」
答えないまま店から飛び出した少年は、いきなり室外機に飛び乗り、雨樋をよじ登る。
その音に、店の奥から出てきた妙齢の女性が、ひさしの上に消えるスニーカーを見つけて、まなじりを吊りあげて叫ぶ。
「巴、あんたどこのぼってんのっ」
「急げっつったの、かーちゃんだろっ」
言い返してアーケードの上に上がる。少年のスニーカーとほぼ同じ大きさしかない小型種族たちが、急に現れた巨人に驚いてわらわらと逃げていく。
「ごめん、ごめんて!」
小さな露天商人たちにぎいぎい怒られながら、夕飯前にごったがえす駅前商店街の人混みを足元に見て、犬を抱えた少年が、アーケードの上を駆け抜ける。
***
普段は無人の、だだっぴろい農地の一角に、消防車やら警察車両やら近隣住民やらが集まっている。そこから少し離れたところに、巨大な丸い岩が宙に浮かんでいるのが見えた。人々が、まるで現代アートか何かのようなそれを見上げている。
芝犬のリード紐を引く黒髪の少年が、息を切らせて野次馬の群れを抜け、猪除けのフェンスを飛び越え、警察や同級生たちが集まっているところに駆け寄った。
「ごめぇん、待ったー?」
「ううん、オレも今来たとこー……って、今日も来たのかよ下級生」
ノリツッコミしたくせに白けた目をする『上級生』の少年を見て、近くに立っていた少女がキョトンとする。
「ともくん、お知り合い?」
「うん、初等部の同級生で野球仲間。ね、れおくん」
懐かしいあだ名を口にした黒髪の少年は、スネの後ろを全力で蹴られて、変な呻き声を上げてしゃがみこむ。近寄ってきた飼い主の顔を、尻尾を揺らした飼い犬がひと舐め。
レオは、ああ、と岩の真下を見て声を上げた。「そこおまえんちの畑か」
「そゆこと」
「どおりでさっきからおまえのじいさんぶちキレてると」
「えっもう何かあった?」
なぜか畑の中央で横転している重機を指さすレオ。「あれを、あの岩にぶつけただけで、斧ぶん回して追いかけてきやがった」
「あああ、これだから脳筋は……」
「助けてやらねぇぞ下級生」
「すみませんでした」