【責任と答え】あの日の約束
この世界はお前たちが思ってるよりずっと広いんだ──。
昔、じいちゃんに言われた言葉がふと蘇った。その話を聞いたのはまだ俺もアイツも小さくて、二人の絆が壊れるなんて考えもしなかった頃──振り返ることはできても戻ることは決してできない、遠い過去のことだった。じゃあ、俺たちが外の世界を見に行くよ。そう言って指切りをしたのはいつだっただろうか。
その言葉が実現する前に、じいちゃんは死んでしまった。アイツと笑い合うことも、もうないだろう。
じいちゃん。俺、アイツと、じいちゃんと一緒にこの狭い村を飛び出して、外の世界を見たかったなあ。
墓の前で手を合わせて、祖父に語りかけた。
でもさ、俺、諦めてないから。俺は、俺のやり方で、じいちゃんの話した景色をきっとこの目で見てくるから。
合掌を終え目を開けた時、静かな墓地に足音がした。何気なく振り向いた俺は向かって来る人影を認めて、凍りついた。
アイツだった。
子供の頃、俺とアイツはじいちゃんの家に入り浸っていた。アイツの母親は彼を産んだ時に亡くなってしまったし、父親は外に働きに行かされた。俺の父ちゃんもそうだったし、母ちゃんは昼間は農作業をしなければならないから、俺たちはじいちゃんに育てられた。だから俺とアイツは兄弟みたいなもんだったし、大の仲良しだった。
この村は、昔は平和だったんだ。昔じいちゃんは、俺たちに村の話をしてくれた。
険しい山に囲まれているから外からは稀に旅人が来るくらいだったけど、村の人たちは平野につながるところから近くの海へ漁に出たりしたそうだ。
海はいいぞ、見渡す限りの水、水、水。果てが見えないくらいでっかくて、どこまでも青いんだ。そう話すじいちゃんは本当に楽しそうだったけど、村の小さな池ぐらいしか見たことがない俺には見渡す限りの青い水なんて想像もできなかった。
そう、俺たちは村の外に出たことがなかった。この土地は、外の人間に侵略されてしまったから。その人間たちは本当に突然現れて、あっという間に村を支配した。
村の入り口には門が建てられて、村の人は自由に出入りできなくなった。重い税が課せられて、男は外で働かされた。
彼らは逆らわなかった。戦っても勝ち目はなかったし、村に損害を出すだっけだった。彼らは決して外の人間に歯向かわず、しかし媚びへつらうようなこともしなかった。
それが村の人のできる「無言の抵抗」だった。
アイツは、戦わないなんて臆病だと言った。じいちゃんはそんなアイツに、今は分からなくていいと言った。
だけど、アイツはずっと分からないままだった。外の人間の支配から逃れるため、戦うことこそが正しいと信じ続けた。若い奴らは、アイツについていった。
でも俺は戦いたくなんかなかった。仲間が傷つくのなんて、村が傷つくのなんて見たくなかった。
アイツは俺を突き放した。俺もアイツと話さなくなった。
「よぉ、元気にしてたか?」
軽い口調でそう言うアイツを、俺は思わず睨みつけた。
アンタがここに来る資格なんてあるのか?1年前の今日、アンタがじいちゃんを殺したようなものじゃないか……。
「……どの面下げて戻って来やがった」
殴りたい気持ちを抑えて絞り出したその言葉に、アイツは少し不愉快そうに俺から目を逸らし、じいちゃんの墓へ歩きながら吐き捨てた。
「別に。普通の面でいいだろ。」
墓の前に突っ立っていた俺を押しのけて、アイツはじいちゃんの墓を見つめながら続ける。
「何か変える必要があるか?」
そのまま手を合わせるアイツを見て、俺の中で何かが切れた。
「あぁ、あるだろうが……アンタのせいで……あんな事に!!」
アイツは閉じていた目を開けて、こちらを見る。俺はその胸ぐらを掴んで叫んだ。
「アンタさえ居なければッ!こんな事にはなっていなかった!!!」
「ん?ハッハッハッハッ……」
アイツは俺の手を掴んで真っ直ぐ俺を睨んだ。
「俺のせいだと?俺が居なければ状況が変わっていただと?それは面白くない冗談だなァ……!!」
突き飛ばされて、俺は尻もちをついた。
「……」
見上げたアイツの顔は逆光で表情はわからないのに、なぜか泣いているような気がした。
アイツは、反乱を起こした。
じいちゃんは、それを必死に止めたんだ。だけどアイツはそんなの聞かなかった。武器を持って、軍を率いて、戦って……。
そしてあっけなく負けた。
笑っちゃうよな。あまりの戦力差にむしろ被害は少なかったんだ。
でも笑えない事態になったのはそこからだ。当然リーダーのアイツは処刑される事になって、それをじいちゃんが止めた。自分が身代わりになるって。
そりゃ、アイツが死ねばいいなんて思っちゃいない。でもじいちゃんが身代わりになるのは、違うだろ。俺はそれこそ反対した。それなのに、じいちゃんはアイツはまだ若いからって。お前らには未来があるからって。
大体それを認めた外の人間もおかしい。普通、そんなのだめだろ。にも関わらずそうなったのは、じいちゃんが村の中で偉かったからなんだろう。じいちゃんはアイツの代わりに処刑されて、それ以来アイツの姿は見ていない。
それなのに──。
「本当に俺のせいかァ!?俺だけのせいか!!」
叫ぶアイツを俺は睨みつける。なんで墓参りになんか来たんだよ。じいちゃんに合わせる顔なんかないだろ。
なんだか泣きたいような気持ちになった。ぐちゃぐちゃの気持ちのまま立ち上がって、俺はアイツに言葉をぶつけた。
「そうだ、全ては貴様のせいだ!!!」
「フンッ、ガキみたいな意見の一点張りだな。もう少し頭を使ったらどうだ?」
頭を、使え──?
──ちくしょう、じゃあ、どうすれば良かったんだ!こうでもしないと、俺たちは一生自由になれないんだぞ!お前にだってそんぐらいわかるだろ!頭を使えよ!
アイツが姿を消す前、最後に言われた言葉が脳内に響いた。
「……あぁ、アンタに言われてたから……何度も頭を使ったさ、どうすれば良いかずっと考えた。」
アイツとは違うやり方で、この村の外へ出る。その方法をずっと考えてたよ。じいちゃんに見せるつもりだった紙を、俺はアイツに突きつけた。
「これが、この答えが!!俺の考えた結果だ!!!」
それは、村の人たちの署名。外の人間と、歩み寄りたいと言う、村全体の願い。戦いではなく、話し合いで俺は自由を掴み取る。
「ハッ……ハハハッ!!」
それを見て、アイツは笑った。
「その程度で、今の状況が変わるとでも!?たかがその程度で!!!アハハハ!!」
ああ、笑うがいいさ。そんなの理想論だって。話し合いで解決するなら戦争なんて起こらないって。
「変わるさ……変えてやるんだ、絶対に!!!」
でも、俺は本気だから。じいちゃんが話した外の世界に、絶対、行ってやる。
しばらく、沈黙が続いた。そのあと、アイツはくるりと背を向けた。
「なら変えてみるが良いさ、俺には出来なかった事を……お前がその手で、やり遂げてみせろ。」
俺は舌打ちをした。そういう事、こっち見て言えないのかよ。
それとも……もしかして、アンタも、後悔してんのか……?
もうアイツが何を考えているのか分かんなかった。それくらいアイツは遠くに行ってしまった。そして今も、アイツの背中は俺からどんどん遠ざかる。その背中にぶつけるように叫んだ。
「言われなくても、そのつもりだ!!」
アイツは何も言わない。
「俺はあの日の約束を、覚えているからな!!!」
アイツは一瞬足を止めた。だけど、一度も振り返ることはなかった。
生まれて初めて見た海は、美しかった。
それは、どこまでも続いているように広かった。まるで、水じゃないように青かった。
太陽の光を反射してキラキラ輝く、遥か彼方まで続く水──。
思わず息を飲んで見つめていると、足音がした。
まるであの時のように。
俺はゆっくり振り返ってその人影を見た。
──じゃあ、俺たちが外の世界を見に行くよ。
果たされることはないと思っていた約束は、もしかしたら──。
俺はアイツに向かって、駆け出した。